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 クリスマスは舞琴の母親と三人でケーキを囲み、年越しと正月は、煌耶の兄姉が家族を連れて帰省して来たのに合流して過ごし、初詣で大吉を引いて良い年初めになった。  2月には新居に引っ越しも済ませて、互いの実家からそう遠くない新生活には大きな戸惑いもない。  気が付けば5年も続けたアルバイトも、最終日には煌耶と二人で顔を出し、スタッフ皆で写真を撮って、挨拶に持参した菓子折りより高価な花束を用意されて戸惑った。  そして新年度が始まり、あっという間に梅雨を迎えた6月。舞琴は社会人として新生活をスタートさせて3ヶ月目を迎えていた。  舞琴が勤めるのは女の子向けのグッズやぬいぐるみの制作、販売を行い、全国に26店舗あるファンシーショップ、トゥインクルを運営する企業、株式会社ルナティア。  10人ほどが採用された今期、半数は店舗勤務で、舞琴が配属されたのは本社の営業企画課。メンバーは舞琴以外に4人。課長と先輩が3人。 「上條さん、少しは慣れてきた?」  細々した雑務のひと月の流れをなんとか把握したころ、隣の席で指導係の山野真凜(やまのまりん)が舞琴の顔を覗き込んで話し掛けてきた。 「まだお名前と顔が一致しない方が居たり、初歩的なことで、また同じ確認の質問をしてしまったらすみません」 「大丈夫だよ。分かるまでなんでも聞いて。そのために付いてるから」 「ありがとうございます。山野さん」  営業企画の仕事は、営業を支援するため、売上や販売に関する戦略の提案を行うのがメイン。  たとえば大規模なキャンペーン企画や、ノベルティ作成に留まらず、クライアントの課題を見つけ、解決に向けた戦略の企画や提案を行うこともある。  ただし、入社したての舞琴は、せいぜいその会議を見学したり、大まかな流れの説明を受けただけで、まだまだ実戦には程遠い。  この日もデータ入力がメインで、1日パソコンと睨めっこするだけで、あっという間に退勤時間になってしまった。 「お疲れ様。明日は今どんな流れでうちの課が動いてるか説明する予定だけど、気負わずにリラックスしてね」 「はい。よろしくお願いします。お疲れ様でした」  満員電車に揺られて1LDKの新居に帰宅すると、しんと静まり返った部屋で1人、スーパーに寄って買い物してきた食料を冷蔵庫に移す。  こうして仕事が始まれば、新婚生活だって日常に変わる。  仲良く休みの日に出掛けて買い物をしたり、決まった時間にご飯を一緒に食べたり、そんなのはごく限られた日しかなくて、煌耶の仕事が本格化すると、生活リズムも違って来た。 「あ。高山さんからメール来てたんだっけ」  着替えを済ませてから、お茶を淹れてリビングの真新しいソファーに座ると、ようやくひと息ついてスマホを手に取る。 【今月号が刷り上がったので送ります。聞いてるとは思うけど大丈夫かな?なにかあれば連絡してください】  そういえば、煌耶が女性モデルと仕事をしたと言っていたので、そのことへの配慮だろうか。細かい心遣いに感謝しつつ、お礼のメールを返すと、夕飯の支度に取り掛かる。 「さて。なに作ろっかな」  料理に関しては、煌耶から仕事もあるし頑張らなくて良いと言われている。だから本当にしんどい時はお惣菜やお弁当を買って済ませる。  けれど毎日それができるほど、潤沢に稼いでいる身分でもないし、自分は食欲がないから食べずに済んでも、疲れて帰ってくる煌耶にご飯を支度してないとは言えない。 「ちょっと味濃いかな?」  母親は忙しい人だったし、舞琴は料理を作ることに抵抗がある訳でも、慣れてない訳でもない。  ただ、結婚したら家庭的な空気が味わえる気がしていたのに、結局、母の居ない家で一人でご飯を食べていたあの時と、なにも変わらなかったのが現実だ。 「よし。出来た」  料理を作り終えても食欲は湧かず、先に風呂に入るとにする。  バスタブを掃除して、お湯を貯めながらシャワーを浴びて体を洗うと、入浴剤を入れてバスタブに浸かった。 「はぁあああ」  カモミールの香りでリラックスすると、体を伸ばしてバスタブの中で簡単なストレッチをする。  今日はモニターを見てばかりで目を使ったので、体も変に凝っている。ぐるりと首を回しながら、熱いお湯で絞ったタオルを、目元にかぶせて上を向いて壁にもたれる。 「ふぅ。気持ちいいな」  好きな人と、煌耶と結婚して幸せだし、贅沢な悩みなのは分かっている。だけど色々と期待し過ぎていたのかも知れない。  家庭と言っても夫婦二人。仕事を始めたばかりだし、子供を作る予定もない。それに欲しいからと言って、すぐに授かれるものでもないだろう。   煌耶が舞琴を蔑ろに扱っている訳でもない。むしろ優し過ぎるから、もっと気楽にして欲しいと思う。  だけど。 「あれ、おかしいな」  濡れたタオルの隙間を縫って、ポタポタと涙が流れて落ちる。最近こんな風に涙が止まらなくなることがある。  そしてこんな自分が情けなくて、恥ずかしくて、またしばらく涙が止まらなくなるのだ。
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