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 8月も終わりを迎えるころには、夏バテからか舞琴の体重は4キロも落ちてしまい、周りから心配されるのが嫌で、ずっと長かった髪をベリーショートまで短くして明るく染めた。 「上條さんどうしたの、めちゃくちゃイメチェンじゃない。思いっきりいったね」  会社に着くなり、山野が驚いて大声を出した。 「おはようございます。まだまだ暑いですからね。思い切ってバッサリいっちゃいました」 「良いなあ。すごく似合ってる。美人はなんでも似合うねえ」  可愛らしい顔に甘めのメイク、ハーフアップにして綺麗に巻いた毛先をいじると、山野は私は顔が丸いからなと、切りたいけど一歩が踏み出せないと笑う。 「うわなに上條、失恋でもしたの?」 「いや今時失恋して髪切るとかないだろ」  向かいの席に座る太田健吾(おおたけんご)宮村和宏(みやむらかずひろ)が、朝の一服を終えてデスクに戻ってくると、二人も舞琴の髪が短くなったことに気付いて声を掛けてくる。 「バカじゃないですか。上條さんが失恋なんかする訳ないでしょ」 「そんなん分かんないよ?上條、寂しかったらお兄ちゃんたちが、飲みに連れてって慰めてやるからな」  山野の言葉に太田がそう言って、舞琴を見ながら今夜でも飲みに行くかと優しい言葉を掛けてくれる。  営業企画の先輩は、一番歳が近い山野で26、太田が28で宮村は29と、新入社員で短大卒の舞琴とはだいぶ歳が離れている。  ちなみに山野もそうだが、太田も宮村も見た目が良く、舞琴はこの課に配属されると同期からかなり羨ましがられた。  長くチームでやって来た三人は仲が良く、4年ぶりに増員となって加わった舞琴に対しても、歳が離れていることも手伝ってか妹のように可愛がってくれる。 「太田、よく見ろ。上條は左手の指輪を外してないだろ?だから失恋じゃない」 「宮村さん、そういうのしれっと見てるのキモがられますよ」  宮村と太田が些細な言い合いをしていると、山野が呆れたように二人のやり取りを止める。 「二人ともなに言ってるんですか。そもそも上條さんは旦那さんが居るのに、失恋なんかしないし、結婚指輪なんだから外す訳ないでしょ」 「え、マジか!」 「あれ上條、そうだったの」  どうやら既婚者だとは知らなかったらしい二人が、驚いて舞琴に視線を向ける。舞琴はただただ苦笑した。  隠している訳ではないが、率先して報告もしていないので周りが知らないのも当然だ。会社の中でも人事担当者や、部課長と、舞琴の指導係になった山野くらいしか知らないことだ。 「わざわざ言い回ることでもないかな、と思いまして」 「そりゃそうだ。でも水臭えよ。お兄ちゃんは寂しい」 「なんだろうな。この大事な妹を取られたような気持ちは。いや、娘か」 「ハイハイ。バカ言ってないで、仕事しますよー」  太田と宮村が好き勝手に返す中、山野が手を叩いてその話は打ち切りとなった。  仕事に少し慣れてくると、山野はもちろん、太田や宮村がいかに優しくて、常にフォローを入れてくれているかが分かる。  良い先輩恵まれて仕事に取り組めるのだから、少しでも早く結果に繋がる仕事をしたいと、舞琴も気を引き締める。  営業企画に求められるのは、営業戦略の立案、策定のために、マーケットにおける自社シェア、競合他社を含めた市場動向やトレンドの変容など、多岐に渡るデータを収集して分析することだ。  なので舞琴にとってこの最初の一年は、営業部の社員とペアで仕事をすることも多く、営業部の仕事をより深く理解する必要がある。 「上條さん、来週からまた羽多野さんと一緒に営業だったよね」 「はい。夕方のミーティングで共有予定ですが、分かってる範囲でイントラに予定の入力は済ませてあります」  休憩時間にデスクで持参した弁当を食べていると、コンビニのサンドイッチをかじりながら、隣の山野が今夜飲みに行かないかと声を掛けてきた。 「ほら、営業部全体で納涼会やった時は上條さん不参加だったし」 「本当にすみません。あの時はちょうど義母が家に来る日と被ってしまって」 「違う違う。飲み会は強制参加じゃないから、そんなにかしこまらなくていいよ。あのね、最近痩せたでしょ?ちょっと気になってて。相談ならいつでも乗るから、私でよければ話してね」 「山野さん……ありがとうございます」  やはり4キロも体重が落ちたことを、山野には気付かれていたようだ。 「全然いいよ。旦那さんとの都合もあるだろうし、無理ならそれで構わないけど、金曜日だしどうかな」 「是非ご一緒させてください。夫はそういうの怒るタイプじゃないので大丈夫です」  そう答えて煌耶に先輩と飲んで帰るとメールを入れると、残りの弁当を食べながら、山野と世間話をして楽しく昼休みを終えた。  午後はデータ入力と、週明けの営業担当との同行の擦り合わせを終えると、16時から課のミーティングに参加して、今後の営業戦略についての簡易の企画書を作成した。  気が付いたころには定時になっていて、山野から声を掛けられ、キリのいいところで仕事を終えると、課長の奢りで課員全員で飲み会に繰り出した。
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