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 11月になっても、残暑の名残りのような暖かい日が続く中、羽多野に伴って営業に出ると、外回りを終えて社に戻るはずが、どうやら車は違う場所に向かっている。 「羽多野さん、この後は社に戻るはずですよね。まだどちらかに伺う予定でしたか」 「あれ。気付いた?案外しっかりしてんだな、上條」  一瞬褒められたのかと思うが、クスクス笑って肩を揺らす羽多野の様子から、そうではないのは明らかだった。 「どういう、ことですか」  手帳をカバンの中にしまうと、震え始めた手をギュッと握りしめて羽多野の方を見る。 「別に。取引先と飲むだけだよ。これも営業の仕事なんだから上條も付き合え」  嫌な予感がした。課長からもだが、営業部からも接待を含む就業時間外のことまでは、羽多野がなにを言い出したとしても、付き合わなくていいと言われている。 「取引先とですか。私も面識のある方ですか」 「いや。成伊商事の北澤さんて人。あの人お前みたいのがタイプだから、かなり喜ぶと思うわ。しっかり相手しろよ」 「無理です。そもそもそんな話は聞いてないですし、私は社に戻って課長に業務報告しないといけませんから。どこか適当なところで降ろしてください」  課長が心配していた通り、羽多野が暴走し始めた。しかも成伊商事の北澤には気を付けろと、以前言われていたことを思い出した。 「会社には俺から連絡してやるから、上條は黙ってついてきて、先方の相手してくれりゃ良いんだよ。ちょっと飲むだけだよ、心配すんな」 「羽多野さん。申し訳ないですけど、私はまだ仕事が残ってますし、こんな無理強いは困ります。課長や営業部長から、そういった飲みの席には同行する必要はないと言われています」 「頼むよ。上條連れて行くのと一人で行くのとじゃ、仕事の結果が大きく変わるんだから」  一見、優しく言い聞かせるような物言いだが、その表情は拒否を許さない様子で、目の奥が笑っていない。  信号待ちで停車すると、もう一度頼むよとへらへらした顔で片手を顔の前に持ってくると、悪びれた様子もなく羽多野は舞琴を車から降ろすつもりがないらしい。  考え過ぎかとは思うが、事前に課長や山野たちからも色々と聞かされている手前、このまま羽多野について行く訳にもいかない。 「あ!おい、上條」  舞琴は咄嗟にシートベルトを外して、転げ落ちるように車から降りると、ドアも閉めずに全力疾走してその場から走って逃げた。  後方からクラクションを鳴らす音が響いている。もしかして車を乗り捨てて羽多野が追ってきているのだろうか。  カバンからスマホを取り出して、会社に電話を掛ける。ワンコールもせずに電話口に出た声を聞いて、少しだけ安堵の気持ちが広がる。 『お電話ありがとうございます。株式会社ルナティア、山野がお受けします』 「はぁっ、はあ、山野さんっ、上條です。課長は、課長に、取り次いでいただけますか」 『あれ上條さん、どうしたの?息が乱れてるけど』 「すみません。今、羽多野さんから逃げて来てっ、走ってます。あのっ、課長はっ」 『え!ちょっと待ってね』  スマホの向こうから、慌てふためくやり取りが聞こえる中、舞琴は速度を落としてその場に立ち止まると、ようやく振り返って辺りを見渡して、羽多野が追ってきてないことを確認する。 『上條さん、大丈夫か。今どこだ』 「すみません課長、お疲れ様です。今、どこだか、分からないんですが、東京タワーが近くに見えるので、港区辺りだと思います」 『タクシーで会社に戻って来られるかい?』 「はい、大丈夫です」 『分かった。詳しくは戻ってから聞くから、気を付けて帰って来なさい』 「では今から戻ります」  言いながらすぐにタクシーを停めると、ようやく安堵して会社に引き返す。やはり位置的に東京タワーの近くにいたようで、20分ほどで会社に到着した。 「上條さん!良かった」  先回りして羽多野が会社で待ち構えていないかヒヤヒヤしていた舞琴だったが、電話を入れたおかげで、課長と太田がビルの玄関口で待機してくれていた。 「上條、お前腕!」 「え?」  言われて腕を見ると、車を飛び降りた時に擦ったのか、二の腕が大きく腫れて、かすり傷から血も滲んでいる。思えばタクシーの運転手が怪訝な顔をしていたのはこのせいか。 「とりあえず、オフィスに戻ろうか」 「荷物貸せ。戻って山野に消毒してもらえ」 「すみません。ありがとうございます」  エレベーターで3階に上がり、フロアに入るとすぐに山野が血相を変えて駆け寄って来た。 「え、ちょっと!なにこの怪我。待っててね」  二の腕の傷に痛々しい目を向けると、山野は救急箱を取りに向かい、舞琴たちはデスクの脇にある、衝立で仕切られた談話スペースに腰を落ち着かせる。  そのまま手当を受けながら事情を話し、舞琴は思い出したようにカバンの中からICレコーダーを取り出すと、羽多野との車内でのやり取りが録音されていて、裏付けが取れた。 「これで正式に問題として報告できるよ」 「仕事の備品を個人的に利用してしまって、申し訳ありませんでした」 「なに言ってんの上條さん、よく機転利かせて録音してたね。お手柄だよ」 「本当に怖い思いをさせたね。あとは任せてくれ」  課長に労いの言葉を掛けられて、ようやく安堵して舞琴は大きく息を吐き出したのだった。
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