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 家に着くと、まともな会話もないまま乱暴にベッドに押し倒されて、煌耶は行き所を失った怒りをぶつけるように、酷く乱暴に舞琴を抱いた。  その結果、煌耶の欲望が果てるまで、舞琴が気を失うまで責め立てられて、目が覚めた時にはベッドで独りで眠っていた。 「煌耶?」  絞り出した声が、虚しく響く。  いつからこんな風に、気持ちがすれ違う関係になってしまったのだろう。煌耶がなにを考えているのか、手に取るように分かったころが酷く懐かしい。  いや、そもそも分かった気で居ただけかも知れない。  苛立ちや情けなさが込み上げて、今にも泣き崩れそうになるのを必死で堪えると、ベッドからのろのろと立ち上がって、ふらつく足でバスルームに向かう。  勢いよく噴き出すシャワーを浴びると、腕が痛んで怪我をしていたことを思い出した。 「心配掛けたくなかっただけなのに」  呟く声はシャワーの勢いに掻き消される。  頼らなかったことがいけなかったんだろうか。相談していれば、煌耶は満足したんだろうか。  例え相談していたとしても、四六時中行動を共にしている訳でもない、昔のように同じ職場で働いている訳でもない。  今日起こったことは不可抗力だ。危惧していた社内の皆だって、助けようがなかったことだ。それになにより、大事になる前に逃げ出して来たのだから、なにも起こってはいない。 「なんでこんな一方的に」  今更になって震える体を力なく抱き締めると、込み上げる嗚咽を堪えずに、舞琴は独りバスルームの床に崩れ落ちて泣き続けた。   どれくらいそうしていたか分からない。  熱いシャワーを浴びているはずなのに、体がどんどん冷えていく。  ゆっくりと立ち上がって、気力を振り絞ってようやく頭や体を洗うと、シャワーを止めて洗面台の前に立つ。  忙しく過ごす煌耶とのすれ違いで、久々に肌を合わせたのに、愛し合う行為とは程遠いこんな形になったのが酷く悲しかった。  キッチンでお茶をグラスに注ぎ、真っ暗なリビングのソファーに座ってテレビをつける。別になにか観たい訳じゃない。静かなのに耐えられないからだ。  ふとテーブルの上に走り書きのメモ用紙を見つけた。 〈頭を冷やしてくる〉  見た瞬間に、ふざけるなと怒鳴りたくなった。どうしてこうなったのかよく分からない。  けれどふと、煌耶が黙ってモデルの仕事を始めた時のことを思い出した。なにも言ってくれない、相談さえしてくれないことに腹が立った。  煌耶はあの時の舞琴のような気持ちで過ごしていたのだろうか。  同じ家でまともに会話する時間すらないこの状況を、舞琴よりも重く受け止めているのは、煌耶の方かも知れない。  モデルの仕事も頭打ちする時が来るかも知れないと、星降る夜に言っていたのを思い出す。  結婚して二人での生活が始まって、社会人になって新しい環境に苦戦してるのは自分だけだと思ってはいなかっただろうか。  煌耶だって、ずっと断って来た舞琴以外の女性との撮影や、女性誌での仕事、慣れない映像媒体での仕事だって、もしかしたらなにか理由があって引き受けたのかも知れない。  なのに舞琴は理由を聞こうとしただろうか。煌耶が悩んでいるかも知れないと、少しでも心配しただろうか。あの時のように、自分と同じくらい煌耶の気持ちを考える余裕があるだろうか。 「もっといっぱい話さなきゃいけないのに、結婚したことで、なんか勘違いしてたのかな」  舞琴だけが一方的に悪い訳じゃない。だけど、自分のことのように舞琴を思ってくれるのは、親以外に煌耶なんだと、今になってようやく思う。  そんな人だから、ずっと一緒にいたくて結婚したはずだった。 「イライラする。自分にも、煌耶にも」  今回のことは舞琴は完全に被害者だ。優しく辛かったねと寄り添って欲しかったし、心配してくれる職場の人たちの前で、あんな失礼な態度は取って欲しくなかった。  だけど、そんな問題を抱えていることを煌耶に相談しなかった、日々の生活に追われて、二人でいる意味を見失っていた自分にも、改めるべきところがある気がした。  そういえば、煌耶だって忙しいはずなのに、今日はすぐに迎えに来てくれた。  もしかして仕事を途中で放り投げて来たのではないだろうか。冷静になって思い出すと、周りがすぐに気が付くほど、メイクもしたままだった気がするし、服だって衣装だった気がする。  背後で玄関のドアが閉まる音がして、その足音がリビングに近付いてくる。 「……起きてたの」  声に反応するように立ち上がると、振り返りざまに煌耶の顔を思いっきり引っ叩いた。 「いっ」  鈍く響いた乾いた音に、口の端が切れたのか頬に手を添える煌耶は、まだ驚いた様子と切なく悲しげな顔をしているが、舞琴はそのまま抱きついて煌耶の胸に顔を埋める。 「舞琴……ごめんね、ただいま」 「おかえり。ごめん」 「アイス、買ってきた。食べる?」 「食べる」  ガサガサと音を立てて、煌耶が左手に持ったビニール袋から取り出したのは、いつかのケンカの時も食べた、舞琴の好きなバニラアイスだった。
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