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不安定だった舞琴の元に、心を折られる決定打になる出来事が起こったのは、梅雨が明けた7月下旬。
〈残念だから供養。幻のウェディングショット〉
EmynaがSNSに投稿したその写真は、瞬く間に拡散された。
撮影場所までは分からないが、意味深な左手のリングと、生成りにアンティークな刺繍が施された特徴的なラインのウェディングドレス。
そのウェディングドレスは他でもない、舞琴が着た物の一つと全く同じデザインだった。間違いなくスタッフの中に、Emyna側に加担して協力してる人が居るのだろう。
あのフォトウェディングは昔からのスタッフしか関わっていないし、皆が優しくしてくれた記憶しかない舞琴にとって、この裏切りのような行為はショックが大きい。
なにより、EmynaもMACOこと、謎のモデルがKO-YAとウェディングドレスでの撮影をしたことを知っていて、故意に攻撃を仕掛けて来てるということだ。
そして時を同じくして、フォトウェディングの写真の一部がネットに出回り、KO-YAとEmynaが結婚したのではないかと憶測を呼ぶ。
そして心を折られるもう一つの出来事、Emynaが直接舞琴の元に乗り込んで来た。
「ふうん。一般人なんて、どんなショボい女かと思ってたけど、やっぱりアンタMACOでしょ」
仕事帰りにいきなり不躾に腕を掴まれると、好戦的な目で睨み付けられて吐き捨てられた。
車に乗せられそうになるのをなんとか拒み、話なら聞くから二人きりでと切り出すと、Emynaは意外にもあっさりと了承した。
そして会社近くの古くからある喫茶店で、舞琴は今、Emynaと対峙している。
「それで、端的に貴方のご用件はなんですか」
舞琴は静かにそう言うと、目の前で不躾に舞琴を舐め回すように見つめるEmynaを見つめ返す。
「アンタ、自分がKO-YAの邪魔になってるのが分からないの」
「邪魔?」
「MACO?幻の美人モデルだかなんだか知らないけど、KO-YAがパートナーに選んだ相手は私よ」
「突然押し掛けて来て、道端で拉致しようとして、私に難癖付けるのが貴方の目的ですか」
「難癖じゃなくて事実よ。KO-YAは私を選んだの。アンタは用済みなのよ。さっさと彼から手を引いて」
「仰っている意味が分かりません」
ストーカーの妄言だと分かっていても、楽しそうに煌耶の隣に並ぶ彼女の姿を何度も雑誌で見て来たので、舞琴の心には小さなひび割れが亀裂になって広がっていく。
「図太い神経した女ね。ちょっと綺麗だからって勘違いしないでよ。KO-YAがパートナーに選んだのは私なの!たかが2回程度撮影したくらいで、アンタ何様なのよ」
「私は私の仕事をお受けしただけです」
「それが迷惑だって言うのよ」
「迷惑?」
「アンタみたいな女が居るから、私はフェイクで、KO-YAの本命がアンタなんだって、周りが面白がって私をいつまで経っても認めない。そんなのおかしいでしょ!」
おかしいのは彼女の思考だ。胃がキリキリする。
「こんな風に押し掛けて来る方が迷惑ですよ」
「うるさいわね、いいからさっさとKO-YAと別れなさいよ。アンタが居たらKO-YAは気を遣って私のところに来れないでしょ」
「どうして?貴方が本当に信頼されて選ばれたパートナーなら、こんなことしなくても良いのではないかしら」
「だからそれは、KO-YAがアンタに義理立てして、出来ることも出来ないからよ」
つまりEmynaは、舞琴が空気を読まずに煌耶にしがみ付いているから、早く解放してやれと言いたいのか。
結婚指輪が勝手に持ち出された件があるので、彼女のことに関しては、静観していて欲しいと高山にも言われているが、ここまで常軌を逸しているとは思ってなかった。
「煌耶が本当に貴方を選んだのだとして、彼はそんな相手を不誠実に扱う人ではないです。そんなことも分からないくせに、私のところに怒鳴り込んできたの?」
「うるさい女ね。上から目線で何様なのよ。それにその指輪、アンタがはめる物じゃなくて、それは本来私の指にはめるものよ!」
急に立ち上がったEmynaが舞琴の左手を掴むと、乱暴に結婚指輪を外そうとする。指に彼女の爪が食い込んで痛い。
「汚い手で触らないでくれる?」
勢いよく手を払うと、腹に据えかねて声が出た。
彼女は明らかに狂ってるし、煌耶はどんな事情があれ、こんな女性を選ばないことも頭では理解できる。
けれどもう舞琴の心は限界だった。他人にこんな風に土足で踏み荒らされるのは嫌だった。例えそれが妄想に取り憑かれたストーカーであってもだ。
「ふんっ。ペアリングがある程度で調子に乗らないことね。アンタが薄汚いストーカーだって、ネットで拡散してやる」
「好きにしてください。私も出るところに出ますから」
「はあ?アンタごときに何ができるのよ」
「安心して、今の会話は全部録音してたの。それに、私が本当に一人きりで貴方に会うと思う?」
舞琴がそう答えた瞬間に、近くのテーブルに控えていた山野や太田、それに宮村がスマホを構えたまま立ち上がる。
「アンタ私をハメたのね!」
激昂するEmynaの手が容赦なく舞琴の頬を平手打ちするが、一切抵抗せずにそれを受け止める。
「ああ、これで暴行罪も増えた」
スマホを構え、動画を撮ったままの太田の呟きが聞こえると、Emynaは慌てた様子で急に泣き崩れる。
けれどその場に居る誰もが、彼女に一切の同情すらしない。
「何がしたいのか分からないけど、煌耶は貴方みたいな人を選ばない。貴方はそれが分かってるから、相手にされなくて私のところに来たんでしょう?」
「……るさい、うるさい!」
「迷惑掛けられた件はしっかりと償ってもらいます」
伝票を引き抜くと、山野たちに行きましょうと声を掛け、お詫びを兼ねて一万円支払って喫茶店を後にした。
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