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恋愛プラシーボ効果
「これはいわゆる惚れ薬と呼ばれるものとなります」
怪しげな物品に囲まれた古臭い建物の中でハンチング帽をかぶった怪しげな店主が言った。カウンターの上には無色透明の液体が入った小瓶が置かれている。
「でも注意していくださいね。これを飲ませた相手は貴方のことを確実に好きになって愛してくれるでしょう。しかし、この薬の効果は惚れさせることまでです。惚れ薬ですからね。惚れられた後に嫌われることはあります。そして、一度嫌われてしまったら二度と好かれることはないでしょう」
「え?」
僕は思わず店主に聞き返す。
「どんな相手でも惚れさせる薬ですから。それぐらいのリスクはあって当然でしょう」
店主は口角をわずかに上げると皮肉気に笑う。
「必要ないのでしたら。それは重畳というもの。私のお節介と思って忘れてもらってかまいませんよ」
店主が小瓶を片付けようとするので僕はその腕を掴む。
「貰います!」
「ありがとうございます。またのご来店をお待ちしております」
思わず貰ってしまった。噂には聞いていた。その店はどんな恋愛の悩み事も解決してくれるアイテムを売ってくれるのだという。探しても見つけることはできず。
恋愛に悩んでいる人間がふとした拍子に迷い込むことでしかたどり着けない店。都市伝説だと思っていた自分が実際にその店に迷い込むまでは。
しかし、こんなものが本当に効くのだろうか。手に持った小瓶を目の前に掲げながら思う。半信半疑だし、正直に言えば信じられないと思う。
でも、僕には藁にもすがるような思いでこんなものに頼るしかないのだ。
僕が所属するサッカー部のマネージャーであり一つ年上のあやの先輩。僕の好きな人だ。あやの先輩は明るく誰にでも気さくに話してくれる優しい人で、とても可愛らしい人だ。
言い方は古いが学園のマドンナという立場の人だった。サッカー部でもレギュラーになれるかどうかの能力しかなく、恰好いいわけでもない僕にはとても釣り合う人ではなかった。
次の日、部活が終わった後に道具の片づけをしているあやの先輩の所に行った。
「手伝いますよ」
「ん? 浩二君。ありがとう」
二人で部活で使った道具を片付ける。すべての道具を倉庫にしまい終えると先輩はにっこりと笑って言う。
「手伝ってくれてありがとう。今日はちょっと量が多かったから助かっちゃった」
「……いえ。いつもやってもらってありがたいと思ってます」
「あはは。それがマネージャーの仕事だからね」
にこにこと笑うあやの先輩はとても可愛らしかった。僕は鞄の中にいれてあったペットボトルを取り出すと蓋を緩めて先輩に差し出す。
「これどうぞ。今日は暑いですから。熱中症に気を付けてください」
心臓が跳ね。口から飛び出してきそうだった。ペットボトルの中には惚れ薬が入れてある。僕からのペットボトルなんて受け取らないかもしれない。
ペットボトルの蓋が空いている事を誤魔化す為に蓋を緩めた動作を不審に思っているかもしれないと不安ばかりが頭の中をぐるぐると回っていた。
しかし、先輩はやっぱり笑ったままそのペットボトルを受け取ると蓋を開けてぐいっと勢いよく水を飲んだ。
「ありがとう! 今日は熱かったから助かったよ」
先輩が満面の笑顔で言ってくれるので僕は照れ臭さで顔をそらした。すると先輩は自分の鞄から水筒を取り出すと蓋を緩めて僕に差し出してくる。
「じゃあ、これは私からのお礼です」
「え?」
僕は驚いて固まってします。
「あれ? いらなかった? 大丈夫だよ。まだ口はつけてないから」
「いえ頂きます」
僕は水筒を受け取り。おそるおそる口をつける。冷えたお茶が喉を通過し、体温を下げてくれているのを全身で感じた。
「ありがとうございます」
「こっちらこそ」
二人で頭を下げあって、その様子に二人でくすくすと笑った。
その後、僕たちはよく話をするようになり、先輩の卒業式で先輩から告白された。僕は飛び上がるほど嬉しくて、そして、少しだけ胸が痛かった。
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「本当に浩二って巨乳が好きだよね」
目の前の席に座るあやのがジト目で僕を睨みつけてくる。
「え?」
「今、窓の外を歩いていた女の人を見てたでしょ」
過去の思い出の中から意識が引き戻され、あやのとデートで買い物に来ており休憩を兼ねてカフェに入っていた事を思い出す。
「見てないよ」
記憶を思い出している間、窓の外に視線を向けていたらしい。本当に身に覚えないので否定する。
「嘘ですー。見てましたー。そうだよね。さっきの人顔も可愛かったもんね。胸も大きかったし。どうせ。私は胸小さいですよ。むしろ無いですよ」
「そんなことないって。本当に見てないし、それに胸の大きさ何て気にしてないって」
「はい嘘―」
頬を膨らませて怒るあやのをなだめながら可愛いと思ってしまう。幸せだなと思うと同時に、申し訳ない気持ちになってしまう。これは罪悪感だ。
僕があやのを好きな気持ちは本物だ。だけど、あやのが僕を好きな気持ちはあの惚れ薬のせいなのだ。あやのの本当の気持ちではない。
無理やり僕の事を好きにさせられているだけなのだ。付き合ってから三年。時間が経てば経つほどその罪悪感は僕の中で大きくなっていた。
これは彼女に対する冒涜ですらあると思っていた。それに彼女の貴重な時間を奪い続けているのだと思うといてもたってもいられなかった。
そうだ。彼女の時間をこれ以上奪ってはいけない。もう充分に僕は幸せをもらったのだ。この幸せを手放したくなくてずるずるときてしまった。
もう、彼女を解放してあげなければ。
「そうだね」
僕が突然真剣な声を出したので彼女が驚いたように目を向けてくる。
「実は僕は巨乳の方が好みだったんだよ。あやのでは満足できないと思っていたんだ」
「え?」
「だから、別れよう」
声が震えないようにするのが精一杯だった。あやのの顔を見る事もできない。
「嘘でしょ」
「嘘じゃないさ。もう君には飽きてたんだ。告白されたからとりあえず付き合ってみたけど、もう充分だろう」
「それ、本気で言ってるの?」
彼女の声が硬くなっている。きっと怒っているのだろう。顔を見ることができずに窓の外に視線を向けたまま。僕は言う。
「ああ。僕と付き合い続けたかったらその胸をどうにかしてからにしてくれる?」
自分でも最低な事を言っている自覚はあった。しかし、嫌われるぐらいでいいのだ。
惚れ薬で惚れさせたのだから、あの店主の言う通り一度嫌われれば二度と僕を好きになることはない。それでいい。
そうでなければ僕は諦められそうにもなかった。
しばらくあやのは無言だった。永遠に続くかと思ったその時間はあやのが椅子から立ち上がる音で終わった。
「浩二って最低だね」
その通りだ。
「私も浩二のチビなところ嫌いだったよ」
あやのは言い捨てるようにその言葉を僕に投げつけると店を飛び出していった。自分の飲んだ紅茶代をしっかりとテーブルに置いて。
僕は店の扉が開いて閉まる音を聞くまでずっと窓の外を見つめていた。
「これでよかったんだ」
自分の声が震えている事に気が付いていた。ぼろぼろと涙が流れてくる。あやのと過ごした時間が頭の中を何度も繰り返し再生される。
いいんだ。これ以上彼女を縛るわけにはいかない。僕は彼女との思い出があればそれでいい。
たった三年でも世界一幸せな時間を過ごせたのだから。
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あやのと別れてから二年が経っていた。あれから誰かを好きになることもなく僕は社会人になっていた。いまでもあやのことが好きだった。
だから誰かを好きになることなんて考える事もできなかった。社会人になって同僚に合コンを誘われたことあったがその誘いは全て断っていた。
僕みたいにやる気のない人間が言っても周りに迷惑をかけるだけだと思ったからだ。
ある日、高校のサッカー部のメンバーで久しぶりに集まろうという案内が来た。同窓会の部活版みたいなものをやりたいらしい。
あやのは来るのだろうか。もしかしたら、これに参加すればあやのに会えるだろうか。そう思うと心がはずんだ。
会えなくてもいい。遠目から見られれば。そう思って参加することにした。
参加当日、会場になった店はそれなりに広く人数も多く集まっているようだった。チームメイトや先輩、後輩と会って会話が弾む。
それはとても楽しい時間だった。しかし、その会話の合間にあやのの姿を探してしまう。
「遅れてすいません。すいません。仕事が長引いてしまって」
店の扉が開いて入って来た女性はあやのだった。二年前よりも大人っぽくなりとても綺麗だった。
「おー。よく来た!」「ひさしぶりー」「元気にしてたー?」
あやのはあっという間に人に囲まれる。男女関係なく好かれていた彼女は人気者なのは変わらないらしい。
「元気そうでよかった」
僕がぼそりと呟くと隣にいた友人が「俺も挨拶してくるよ」と言ってそばを離れて行く。卒業式に告白されたこともあって
僕と彼女が付き合っていたことを知っている人はほとんどいない。それは救いだった。
なるべく彼女に近づかないようにして視界にも入らないようにした。彼女にとっては僕は嫌な思い出でしかないからだ。
一目彼女の姿が見れただけで満足だった。
同窓会が終わり皆が店を出て行く。なるべくあやのに遭遇しないように店を出る時間を遅らせようと思いトイレでしばらく時間を潰した。
そろそろ皆いなくなっただろうという時間を見計らってトイレを出ると、目の前にあやのが立っていた。しまった。思わず固まる。
あやのは僕の事を無視してすぐに立ち去るかと思っていたが僕の前で立ちすくんだまま何も言わない。
「や、やぁ。久しぶりだね」
無言でいるのも辛かったので当たり障りのない言葉を何とか絞り出す。あやのは変わらず無言だった。
無言で立ち尽くしている僕たちを不審に思ったのか店員がこちらを伺っているのが気配でわかった。あやのもそれに気が付いたのだろう。
僕の腕を掴むと店の外に連れ出す。
「店の迷惑になるから」
引きずられるように店の外に出る。他の人たちは二次会に行ったのか店の周りにはすでに姿がなかった。あやのは店の前のガードレールに腰掛けて視線を送ってくる。
隣に座れという事らしい。僕はおそるおそる隣に座る。また無言の時間が過ぎる。
「……久しぶり。別れた時以来かな」
「そうだね」
あの時の事を謝りたかった。あの時言ったことは全て嘘でいまでも好きだと言いたかった。でも、それは無理だった。
あやのが僕を好きだったのは僕のせいで本心ではなかったのだから。
「……。やっぱり巨乳が好きなんだね」
突然、あやのが言った。僕は何のことか分からずあやのを見る。
「今、目の前を通った女の人見てたよね」
「……見てないよ。それに前も言ったと思うけど僕は胸の大きさなんて気にしないよ」
あやのが僕の顔をじっと見て、そして深々と頭を下げた。
「ごめんなさい」
僕は意味が分からず慌てるしかできない。
「え? 何? 頭を上げて」
僕が謝罪をやめさせようとしても頭をあげようとしない。
「ずっと謝らなきゃって思ってたの。信じられないかもしれないけど。私、浩二に惚れ薬を高校の時に飲ませた。だから、私と付き合ってたあの三年間の気持ちは君の本当の気持ちじゃなかったんだ。
私に飲まされた惚れ薬のせいだったの。本当にごめんなさい」
「ちょっと。ちょっと。待って」
僕は頭が混乱していた。だから、思わず言ってしまう。
「惚れ薬を飲ませたのは俺のほうだよ。あの片づけを手伝った日。ペットボトルに入れて」
「違うよ。あの日水筒に惚れ薬を入れて飲ませたのは私……」
お互いに顔を見合わせる。
「私たち」
「僕たち」
『お互いに惚れ薬を飲ませてた……?』
顔を見合わせたまま。数秒の沈黙。くっくっくとあやのが笑いだす。僕も思わず笑う。二人で笑い合う。
「何それ」
「じゃあ、惚れ薬をお互いに飲ませてたってこと?」
「そうみたいだね」
「浩二が無茶苦茶な理由で別れ話を切り出したのは私と同じ罪悪感からだったってこと」
「……そうみたいだね」
二人でもう一度笑い合う。涙を流しながら笑うあやのを見て改めて僕はあやのの事が好きだと実感した。
笑いが収まり始めたころあやのは僕の足元を指さして言った。
「それ何?」
「知らないの? 身長を誤魔化すためのシークレットブーツって言うんだ」
あやのにチビは嫌いと言われたから少しでもいい恰好をしようと今日の為に買って履いてきたのだ。ただの見栄だった。
「浩二は可愛いね」
にやにやと笑うあやのに対して僕は言い返す。
「自分こそ。随分大きいみたいだけど」
胸元を視線で指し示す。あやのは顔を真っ赤にして両手で胸元を隠した。
「うるさいよ!」
バンバンと肩を叩かれる。そして、もう一度二人で笑い合った。
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