心乃花さんのマッチングアプリ

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 もし、人生で一番ドキドキした日を挙げろと言われたら、初めてマッチングアプリで知り合った人と会った時だと僕は言うだろう。 「じゃあ、心乃花さんは元々僕のことを知っていたんですね」 「そうだよ。マッチングアプリでマッチングして、メッセージを一ヶ月くらいしてから会ったよ。と言っても、君が見て会話していたのは杏心ちゃんだったけど」 「全然気付かなかったなぁ」  心乃花さんがイタズラ子供のように笑った。 「それは杏心ちゃんの努力の賜物だろうね。あと、実はその時、杏心ちゃんの隣に私もいたんだよ」 「へ?」 「君とのデートの後、杏心ちゃんが言ってたんだけど、ちょっと私に取り憑かれているような感じがあったんだって。ほら、私やっぱり一応幽霊だし、強く想いすぎると生きてる人間に影響を与えちゃうみたいなんだよね」 「心乃花さんは僕とのデートの時、なんて想っていたんですか」 「私を見つけてって。ずっとずっと想ってたよ」  だから、と心乃花さんは続ける。「杏心ちゃんと一緒に実家に来て、私の挨拶に答えてくれた時はドキドキしちゃったなぁ。君が私を見つけてくれたって」  どうして僕が心乃花さんを見つけられたのかは分からない。ただ、心乃花さんの長い話を聞く限りは杏心と一緒に過ごすことが一つのきっかけだったのかも知れない。 「心乃花さんの話を聞いて納得しましたよ。杏心の実家に初めて行った時、僕よりも杏心のご両親の方がちょっとぎこちなかったから」 「うん、母と父からしても君の存在は驚きだっただろうね。杏心ちゃんが私を見つけたのは家族だからで納得できるけど、君は全然他人だし」 「ホント、なんでなんですかね」 「まぁ、理由なんて何でも良いよ。今こうして、君と肩を並べて歩けてることが私にとっては嬉しいことだから」 「それは僕もです」  心乃花さんの長い話の間も僕らは歩き続け、杏心の待つ部屋を通り過ぎて随分経ってしまった。  日も暮れて外灯が灯り、歩道には人影がなくなった。  その代わりと言うように道路では帰宅ラッシュの渋滞が続いている。 「ねぇ、杏心ちゃんと君が付き合っているのは理解してるんだけど、今だけ手、繋いでくれない」  心乃花さんが手を差し出した。  この場を作ったのは杏心だ。彼女がどこまで想定して、僕らを買い物へ行かせたのか分からないが、僕は彼女の手を握った。心乃花さんの手は柔らかくて、幽霊だと言われても未だに信じられなかった。 「ちなみに、心乃花さんって心臓あるんですか?」 「ないよ。だって、幽霊だよ?」  そりゃあ、そうだ。 「じゃあ、今こうして僕と手を繋いで歩いていてもドキドキはしないんですね」  僕の言葉に心乃花さんの足は止まった。 「心乃花さん?」  真っ直ぐ目を見て、心乃花さんは言う。 「ドキドキしてるよ! 心臓なくても、幽霊でも、好きな男の子と手を繋いで歩いたら、ドキドキするんだよ!」  夏も終わって、夜は肌寒くなってきているはずなのに、身体の奥から熱いものが込み上げて汗ばんできたのが分かった。 「そう、ですよ、ね。すみません。ちょっと失礼なことを言ってしまいました」と頭を下げて、小さく「なんか、……ちょっと照れます」と言った。  僕の言葉に心乃花さんが顔を真っ赤にして、「やめてよ! なんか、勢いで言っちゃった私が恥ずかしくなっちゃうでしょ!」と叫んだ。  ホント、すみません。  と僕は内心で謝った。心乃花さんは僕から見ても気の毒なほど戸惑っていて、今まで恋人ができなかったというのは本当なんだろうと思った。  だから、韓国ドラマが好きなのだろうか? なんて思うのは失礼かな? と僕は考えながら心乃花さんが落ち着くまで、手を繋いでゆっくり歩いた。  五分か十分すると、心乃花さんから何でもない話題を振って来るようになった。それもひと段落したところで僕から口を開いた。 「ねぇ、心乃花さん。幽霊でいるってどんな感じですか?」  僕の質問に心乃花さんは「うーん」と小さく唸った。 「身体がないからかな? 昔のことをどんどん忘れていってるんだ。最近はもう学生時代の記憶はほとんどなくて、鮮明に思い出せるのは交通事故に遭って幽霊になってからばっかりになっちゃった」  それは、と言いかけて僕は言葉が続かなかった。  心乃花さんは変わらぬトーンで続ける。 「多分、私は今ゆっくり消滅していってるんだよね。成仏とかじゃなくて、世界と私の境目が薄くなっているって言えば良いのかな」 「だから今日、僕の小さい頃の記憶について尋ねたんですか?」 「そうそう。もう私は覚えていないから。せっかくなら、君の小さい頃の情景を思い浮かべながら、消えていきたいなって思ってね」 「寂しいことを言わないでくださいよ」 「私は君と出会った時から死んでたからね。仕方ないよ」 「まだ、心乃花さんに勧められた韓国ドラマ見れてないのいっぱいあるんですよ」 「ちゃんと見てね、全部面白いから」 「杏心も寂しがりますよ」 「そうかもね。けど、これからは君がいるでしょ」 「僕も寂しいですよ」  声は返ってこなかった。  手の感触もいつの間にか消えていた。横を見ても心乃花さんはいなかった。 「心乃花さん?」  周囲を見渡す。誰もいない。最初から誰も何もなかったみたいだった。  視界の隅に外灯の光がぼやけて浮かんでいた。
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