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2. 雨の上七軒
「うわっ、やっぱり降ってきた」
家を出てすぐ小雨だった雨は上七軒に来る頃には、本格的なものに変わっていた。
周りを見ると、お稽古帰りらしい小紋を来た舞妓ちゃん達や観光に来たお客さん達が町家の軒下で雨宿りをしている。
皆急な雨にびっくりしてそれぞれ駒寄せのあるとこや提灯が下がってる屋根の下でばらばらになっていた。
―沙羅。
誰かに呼ばれた気がして持っていた傘を落とした。
―沙羅ちゃん。こっちやで。
「沙羅?傘もささんとなにをしてるんや」
ちょっと低い声といっしょに、男の人が怪訝そうな顔でこっちを見ていた。
「お兄ちゃん」
そこに立っていたのは、いつも行く北野のお豆腐屋さんの息子さんやった。
お兄ちゃんいうてもほんまのお兄さんやないけど。
京都の花街では男の人はおじちゃんから若い人まで皆が『お兄さん』。
豆腐屋のこの『お兄ちゃん』も、上七軒に近い場所にお店があるから先代のおじちゃんの代からそう呼ばれていた。
「何ボーっとしてるん。ここにおったら濡れるで」
お兄ちゃんはそう言って、私の手を取った。
「配達の帰りにここ来たら、よう似た子ぉがおるな思っててん。ほしたらまさか本人やったとはなあ。あんなとこで何してたん」
お兄ちゃんは、脇に止めていたボックスカーの助手席に私を乗せた後でそう聞いてきた。
「ちょっと、考え事」
「考え事、なあ。なんや、おばあちゃんが恋しなってしもたんか?」
「・・・・・」
「さっきもなあ、配達に行った先の料理屋で娑羅さんの武勇伝散々聞かされたで。姉さんみたいな芸妓さんはもう京都には二度とでてけえへんかもしれへん、ってな。」
「ふうん」
お兄ちゃんの運転する車は、上七軒の歌舞練場から一本道へと入っていく。雨の音は、その間もせわしなく窓を打ち付けていた。
上七軒は京都でも一番古い花街で、毎年夏の一番暑いころにビアガーデンが開かれる。
柔らかい京言葉と一緒に、浴衣に身を包んだ舞妓ちゃんがよそから来たお客さんをおもてなししてくれる、この季節が小さい頃から好きやった。
車は北野商店街をすぎ、お兄ちゃんの実家がある豆腐屋に着いた。
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