1.お嫁取り

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1.お嫁取り

「結婚?!」  自分が大きな声を出した後、それに気付いて慌てて周囲を見回すと妙な静かさにドギマギするものである。が、みちるにとってはもはや些事だった。一瞬こちらを向いたもののその後はすぐ自分達の会話に戻る周囲の人間はそれ以上こちらを気にすることもなく、またみちるにとってもそんな周囲を気にしている余裕なんてなかった。  目の前の叔母は妙に機嫌良く、横の母は喫驚のあまり完全に固まってしまった。それもそのはず叔母が持ってきたのは地方の土産菓子ではなく、はたまた誰かの訃報でもなかった。 「そうよ。叔父様の遺言書、開封されたでしょ。そこに書かれてたの」  叔母の叔父、つまりみちるの大叔父である人は、商売はそこまで上手ではなかったものの、とにかく顔が広かった。あちこちに知り合いや友人を作った結果様々な縁を生み、大叔父はなんだかんだと美味しい商売にありついていたのだという。つい先日亡くなった際の葬式は、およそ一般人が開く規模のものではなかった。大叔父と面識のなかったみちるは焼香だけ上げてその場は辞したが、よほど縁の深い人が多かったのだろう。その中に芸能人まで見かけて、みちるは別の意味でクラクラとした。  そんな大叔父が遺した遺言の一つにこんな事が書かれていたと言う。 『私の命の恩人である高洲の人間と婚姻関係を結び、必ず縁深くいなさい』  更にその続きで、高洲家に嫁いだ娘には遺産の一部を渡す、という遺言が書かれていたとのことなのだ。 「……」 「今うちの親戚で結婚出来そうな年齢なの、みちるだけなのよ。高洲さんの家にもちょうどみちるくらいの歳の男の子がいるんですって。どう?叔父様の財産もらえるのよ!」 「ねぇ、それ本気で言ってるの?」  みちるは叔母に、とりあえず尋ねた。この現代日本でまさか遺言に従って結婚しろなどと言ってくる人がいるなんて信じられなかったのだ。しかし叔母は真剣な顔で頷いた。 「本気も本気よ。高洲さんていうのはね、叔父様が戦争で怪我をした時助けてくれた人なのよ。だからずっと、それ以降も懇意にしてらした家でね」  叔母の言葉にずっと黙っていた母も頷いた。 「それは本当の話ね。私も聞いたことあるし、高洲さんの家に行ったこともあったわね」 「でしょ?だからきっと、叔父様は高洲さんと家族になりたかったのよ。生きてる間にはどうしても難しかったけどせめて、て感じかしら?」 「かしら?じゃないし。嫌だよ。私遺産とかよく分かんないもん」  とにかくその高洲という家が存在する事を理解したみちるは、本題に戻った。ほとんど知らない親戚からもらう遺産なんて、なんとなく怖かった。何より知らない人と結婚なんて全く現実味が無い。 「いいじゃない一回会ってみるだけでもさ。あんた叔父様の遺産ナメちゃダメよ」 「お見合いとか古すぎない?今時あるの?」 「何言ってんのよ。婚活アプリ?だっけ?だって似たようなものじゃない」  叔母に言われて、みちるは閉口した。確かに昨今流行りの婚活アプリはアプリ会社を通して知り合うのだからお見合いとシステムは似通っている。みちるも一度試しに利用してみたものの、プロフィールの書き方や写真の選び方を何度も吟味しなければならない所で挫折した。それでもなんとか設定を終えたもののプロフィールを書いただけで大きなミッションを達成したような気持ちになってしまい、いくつか連絡をくれた人がいたものの返信する気にはなれなかった。  そも、本気で婚活する気がなかったのだろう。ただなんとなくで始めるものではなかったと、みちるは少し反省した。 「ほら見てよ〜。お相手の方、すごく男前なのよ」 「え?」  ついそう言われると反射で興味を持ってしまう自分が悲しい。みちるはつい叔母のスマホを覗き込んだ。そしてまた、喫茶店なのを忘れて叫ぶ。 「ええっ?!」 「みちる、うるさいわよ。いい加減にしなさい」  場所が喫茶店である事をすっかり忘れているみちるのあまりの大声に、母がみちるを叱責する。しかしそんな言葉耳に入ってなどこなかった。  叔母のスマホ画面には、雑誌の表紙が撮られている。そこに写っているのは涼しい目元が特徴的な、昨今人気急上昇中のマキと呼ばれる男性モデルだったのだ。雑誌の表紙では男性では珍しく長い黒髪をゆるく結っていて、白いシャツの上に妖艶に垂れているのがなんとも清潔感のある色気を纏っている。雑誌の見出しは『大人気モデル・マキの私服コーデ公開!』と彼の雰囲気にはあまりそぐわないポップなフォントで書かれているのが、なんとなく面白い。が、そんな所を楽しむ余裕は勿論みちるにはなかった。とにかく今、目の前のスマホに写っている人物を一度目を閉じ眼球を潤わせてから、再度目を見開いて見る。やはり件の人気モデルである。 「は?!マキじゃん」 「みちる知ってるの?」 「知ってるって……。雑誌の表紙じゃんこれ」 「ね〜!すごいわね」  騙されてるでしょ?!と叫ぶと、痺れを切らした店員がそっと注意しにきた。母がみちるの脚をガツンと蹴る。 「いたっ、」 「これ以上騒ぐなら帰るわよ」  母の正論に、みちるはようやく口を閉じた。隣のサラリーマンが席を立ち退店していくのが、なんだか自分が騒いだせいな気がして一気に申し訳なくなってきたのだ。 「ほら、これ見たら信じるでしょ」  叔母はぎこちない指でスマホを操作して、次の写真を見せてきた。そこには大叔父らしき人物と、見知らぬ老人、それからマキが不自然なピースで写っている。 「そのおじいちゃんが槙人くん…じゃなくて?マキくん?のお祖父様。叔父様の命の恩人よ」 「いや写真写るの全員下手かよ」  真顔なのに妙に指を開いた形のピースをする3人はアンバランスで、しかしそれが3人で仲の良い証のように見えてくる。みちるは一度叔母のスマホを操作して雑誌の表紙に写る流し目姿のマキを見てから、叔母が槙人と呼んだ青年を見る。同じ人物であるのはわかるが、どうにも雰囲気の温度差が激しかった。 「マキって本名槙人っていうんだ。まきと、からのマキね」  見た目は線が細くて体の薄い、シルエットだけ見れば背の高い女性にも見えなくもない彼だからこそ、マキという中性的な名前が似合っていると思っていたが、本名はしっかり男性でそこには少し驚いた。 「とりあえず会ってくれない?ていうか叔父様の遺産、あんたが貰ってくれないと浩司に渡す羽目になるのよ。それだけは避けないと」  浩司というのはみちるの叔父で、三色の食事よりギャンブルが好きな放蕩人だった。確かにそんな人間に遺産を渡したら大叔父が必死に稼いだお金があっという間に何の価値もない負け馬券へと早変わりしてしまう事だろう。それを聞いて、みちるはヒッ、と喉を鳴らした。浩司は当時まだ大学生でアルバイトしかしていなかった姪のみちるにさえ金を無心してきた最悪な人物なのだ。もう二度と会いたくないし、出来ることならそんな人間に金を与えたくない。 「わ、わかった。会うだけね?だって結婚とか、マキが嫌がるかもしれないし。ていうか職業上結婚なんて無理だろうし」 「大丈夫よ槙人くんなら。とりあえずよろしくねみちる。あんたもいいわね良子」 「わかった」  母の名前を久々に聞いたな。などと現実逃避気味に考えながらみちるはその場でスケジュールを押さえられた。幸い土日は休みの仕事に就いている為、予定は来週の土曜ということであっさり決まる。マキの予定は事前に確認済みだったようで、そこは絶対に空けておけと叔母に三度念押しされて、母とみちるは解放されたのだ。 「お母さん、もし私が結婚ってなってもいいの?」 「いいんじゃない?だってあんた、こんな事がなければ結婚に興味すら持たないでしょ」  その通りだった。既に結婚して家庭を持っている友人も少なからずいるが、みちるにとってはどこか非現実的な話だったのだ。まだ24歳だしなどという言い訳を片手に持ちながら、いつかは結婚したいと漠然と考える事はあった。しかし具体的に、いつまでに、どのように、などという事は全くと言っていいほど考えていなかったのである。そんなみちるが今ここで見知らぬ人間との結婚話をされた所でピンとくるはずもなかった。  結局マキとの顔合わせの日まで順調に時は過ぎ、あれよあれよと当日になった。会場は個室の和風ラウンジで、みちる側は叔母と母が付き添いで来たが何故か二人とも着物で現れた。髪は自分で簡単なアレンジをしただけ、服装は綺麗めのワンピース程度のみちるが、逆に浮いて見える。 「いやなんでそんなに気合い入ってるの……?主役私じゃないの?」 「だってあんた、モデルのマキくんよ?!お母さんだって会うの初めてだもの!」 「この縁談、叔母さんなんとしても上手くいかせたいのよ。浩司なんかに金をやってたまるもんですか」  それぞれチグハグな事を言いながらも和風のラウンジによく溶け込む格好をしていて、みちるも着物をレンタルすべきだったか。と後悔しながら自身のワンピースを見た。一応家にある一番いいものを着てきたが、以前友人の結婚式に着たものであり、新しい服ですらない。メイクは普段よりも気合いを入れたものの、そもそも素顔が美しいモデルが来るのだ。何をしても釣り合うわけなどないのだから、一周回って削げ落ちそうなやる気をなんとか沸騰させて丁寧に引いたアイラインが虚しい。 「もう失敗してる気がする……」  エアコンの真下を歩いたのか、みちるの感情とは無関係にワンピースの裾が風に揺れてふわりと舞った。  
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