1.お嫁取り

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 会場である個室のラウンジは大きな窓から庭の枯山水がよく見える場所で、ドラマでよく見そうないかにもお見合い会場、といった具合の場所だった。とりあえず3人並んで席に着き、向かいの空席二つを見る。相手はマキと付き添い人の二人か。と無意識に考えながらみちるはこちら側の緊張した表情の叔母と母を見た。母は恐らくマキに緊張しており、叔母はこの縁談をまとめる決意の表れだろう。  先に飲み物のオーダーを聞きにきたウェイターに、みちるはアイスコーヒーを頼んだ。季節はゆっくりと夏に向かっている。みちるの着ている化繊で出来たワンピースは即座に汗を吸ってくれるわけもなく、じっとりと背中を這うそれは紛れもなく叔母や母以上に自分も緊張しているからだろう。それはモデルのマキに会うからというのも確かにある。けれどそれ以上に本当に結婚するかもしれないという事実に緊張していた。  結婚。しかも前時代的なお見合いで、全く知らない相手──否、こちらは一方的に顔だけ知っているけれど。であり、相性だって未知数である。反面それだけこの話を真剣に考えている自分が妙に不思議だった。イケメンにササッとと会ってラッキー。お返事は後日〜で話を濁して、後に叔母を通して断ればそれが一番平穏だろうとも思う。 「お待たせ致しまして、申し訳ございません」 「仕事が押してしまいました。申し訳ありません」  そんな刹那、個室の扉がウェイターによって開かれて、現れた二人の人物はめいめいにみちるたちに向かって謝罪を入れた。最初に聞こえた声は老婆の声で、もう一つは若い男性の声だ。母が気配だけで色めき立つのを感じながら、みちるは二人を見た。  一人は着物を着た老婆で、深い皺を更に深くして眉間に悲しげに皺を寄せていた。恐らく恐縮からきている表情なのだろうけれど、重くなった瞼がやや眠そうな印象をこちらに与える。腰は曲がっているけれど丁寧に頭を下げるその姿はどこか凛としていて、気品すらも感じられた。  対してもう一人の男性は、雑誌でこちらが一方的に知っている顔そのものだった。長い髪は肩甲骨辺りまであり、それを低い位置で一つに結っている。決して不衛生には見えず、むしろパキッとした清潔感さえ感じられた。線が細い分女性のような声を想像していたが、思いの外低い声をしていた。柔らかな、けれど芯の通った声の彼は細身のスーツを着こなしており、シャープな印象をより色濃くしている。慌ててきたのだろう、ジャケットを脱いでベスト姿なせいか、白いシャツが窓際の日差しに透けて妙に眩しかった。紛れもなく、モデルのマキである。  叔母と母が示し合わせたように同じタイミングで立ち上がったので、みちるも慌てて立ち上がり頭を下げた。 「いえいえ。お仕事お疲れ様です。お忙しい中お時間をいただきありがとうございます」 「私たちも来たばかりですので、お気になさらないでください」 「は、はじめまして」  叔母と母がみちるが言おうとした言葉を全て言ってしまったので、やむを得ずみちるは挨拶だけに留めた。ゆっくりと顔を上げてマキを見ると、ふと目が合い彼がニコリと微笑んだ。涼しげな視線が穏やかに細まり、ついドキリとして俯く。美形の微笑みはそれだけで圧が強い、などと思った。  二人が席に着き、ウェイターが全員分の飲み物とケーキを持ってきてから、時刻はちょうど午後3時。静かにお見合いは始まった。  ではこちらから。と老婆が挨拶をし、マキが紹介される。マキは丁寧に頭を下げてから低く柔らかな声で名乗った。 「はじめまして。高洲槙人です。仕事は芸能の仕事をさせて頂いてます。……ええと、21歳です」  みちるは思わず目を見張る。クールで大人っぽい見た目をしているのですっかり年上だと思っていたのに、まさか3つも歳下だったとは。それは母も思ったのだろう。うっかり「あらぁ、」なんて声を漏らした。 「すみません。僕老けて見られる事が多くて……」 「あっ、ち、ちがいます!」  マキ、もとい槙人が縮こまって言った。もしかしたらよく間違えられるのかもしれない。とはいえ老けているのではなく落ち着いた不思議な魅力があるせいなのは見てわかる。みちるは手をひらひら振りながら彼の謝罪を否定した。 「槙人さん、とても落ち着いてて大人っぽいから歳下なのに驚いただけです。すみません。私こそ年齢より子どもっぽいってよく言われちゃって……」 「こら、余計なこと言わないの」  母の小さな叱責が入る。自分を売り込むつもりがついつい欠点から先に話してしまった。けれど槙人は一瞬ぽかんとしてから、小さく笑った。 「みちるさんは、楽しい方なんですね」 「え?! あ、ありがとうございます」 「仲良く出来たら嬉しいです……へへ、てっ、」  槙人がへらりと笑うと、今度は老婆から叱責が入ったのか、槙人の顔が微かに、それでも美しく歪む。どうやら足を踏まれたようだ。 「槙人、お前はこんな場所でも緊張感がないねぇ。全く」 「いいえおばあ様。それはうちのみちるも同じですので……」  ほほほ、と当人たちを抜いた笑い声が響く。それで一旦会話を断ち切り、今度はみちるが自己紹介をした。 「井崎みちると申します。メーカーで働いておりまして、……えっと24歳です」  よろしければ、と小さな鞄に入れていた名刺ケースから名刺を取り出して渡した。お見合いなのに会社の名刺を渡す、という意味のわからない事をしてしまった事に名刺を渡した直後に気づいたが、もう後の祭りである。 「ありがとうございます」  しかし槙人はその名刺をまじまじと見てから丁寧にベストの胸ポケットに入れて、ぽんぽんとそこを軽く叩いた。もう取り出さないで欲しい。出来れば捨てて欲しいと思いながらも、今度は叔母や母、老婆が簡単に挨拶をした。予想通り老婆は槙人の祖母のようで、今は二人で暮らしていると言う。そこから共通の話題であるみちるの大叔父の話になると、槙人はクールで大人っぽいという印象からはかけ離れた、人懐っこい笑顔で大叔父の話を始めた。どうやらみちるの何十倍も大叔父との思い出があるらしい。それを懐かしそうに聞く叔母と母。それから老婆に対して、みちるはひたすら愛想笑いを浮かべた。何せ知らない人の話である。しかし話を聞く限り大叔父はかなり無鉄砲な人だったようで、槙人の祖父とは相当に仲が良かったようだった。 「勝治さん……みちるさんの大叔父さんと僕のお祖父さんは本当に破天荒な人で。でもどんな生き物も大切にしてくれました。例え人でなくても生きてるものは平等に尊いのだと、僕に教えてくれたんです」 「そうなんですね」  いつしか槙人の話は随分と壮大になっていて、みちるはとにかく聞き役に徹した。相槌しか打てない分間を取ろうとストローに口をつけるせいで、自分の飲み物はどんどん減っていく。 「これ、そろそろみちるさんが困っておいでだよ」 「あっ、すみませんみちるさん」  そこでようやく老婆が話の腰をあえて折ってくれたので、みちるは心底感謝をした。そろそろ結婚に関する話が出てくるのか、それとも世間話程度で終わるのかを見定めたかったが、槙人は突然確信に刃を立ててきたのである。 「ええと、みちるさんは僕と結婚してもいいと思ったから、今日来てくれたんですか?」 「え、えぇ?」 「僕は期待していいんですか?」    突然の本題に、相槌を打ち続けていたみちるですら置いてけぼりである。老婆は怒り疲れたのか呆れたようにため息を吐き、代わりに叔母と母は息を飲んだ。みちるはなんとかその話題にしがみつくと逆に質問をする。 「質問に質問で返してすみません。でも槙人さんは結婚していいんですか?その〜、お仕事の関係とか」  槙人、もといマキは今や大人気の売れっ子モデルだ。雑誌の表紙はもちろん、その中世的な美貌は化粧品のアンバサダーやCMに出演しても女優と引けを取らない。世間でのイメージは完全に『クールで孤高な人気モデル』といった具合である。今彼が結婚する事が万が一世間に漏れ出たら、彼は芸能界に居られなくなるのでは、とみちるは思ったのだ。それだけファンも、彼に本気で恋をする女性も多いはずだ。熱愛発覚を通り越して結婚する事実が世間に露呈すれば、タダでは済まないだろう。  しかし彼は一度ぽかんとしてから、今度は強く頷いた。 「そこは大丈夫です。公表はしませんし、僕自身のプロフィールはほとんど非公開ですから」 「この子、見た目に反して本当にぼーっとしているでしょう。私からすれば結婚していてもらえた方が安心なんですよ。ほら、芸能界の女性は……したたかでしょう」  老婆の偏った意見に、みちるは苦笑しつつも頷いた。美しく自信に溢れた人が多い業界で、例え槙人がクールで人を寄せ付けない印象を周囲に植え付けていても、この短時間でわかるほど彼はぼんやりとしている所がある。肉食女子にあれよあれよと流されるよりは、と言いたいのだろう。それに関しては納得だった。つい流されて相手が妊娠、授かり婚とかあったらそれこそ笑えないのかもしれない。無くはなさそうな展開だ。現状の彼を見るに。 「やだなばあちゃん、僕も流石にそこまでじゃない。でも僕、本当に勝治さんにはお世話になったし、みちるさんとももっと仲良くなりたいです。だから僕は、みちるさんとぜひ結婚したい」  柔らかな低音で、背筋を伸ばして彼は言った。つい先ほどまで自身の祖父の話で盛り上がっていたとは思えないほどにキッパリと結婚の意志を告げてきたので、ついみちるも押されそうになる。 「あ、ありがとうございます槙人さん。ですがここで即決は、」 「そうだよ槙人。人はお前ほどすぐに物事を決められない。いつもそう言ってきただろう」  老婆がまた槙人をたしなめてから、みちるたちに頭を下げた。 「孫はいつも気が早くて、申し訳ありません。ですがよいご縁ですので、こちらはぜひ大切にしたいと思います。どうぞよろしくお願い致します」 「いえいえ、こちらこそ優柔不断な娘で申し訳ありません。是非ともよろしくお願いします!」  勝手に返事を返した母に一言言おうと思ったけれど、なんだかそんな気も失せてしまった。想像していたマキはもっと無愛想で視線も全然交わらなくて、それこそ孤高のモデル、マキそのもののような人物だと思っていた。しかしそんな予想を大きく裏切った槙人は、人懐っこい笑顔で、少しだけ頼りなさそうな可愛い歳下の男性という感じである。みちるはそこに、ほんの少しだけ興味が湧いた。もう少し知っても悪くないと思ったのだ。 「ではぜひ、またの機会に」  そう言って終わった見合いの席から一週間後、事態は一変する。突然かかってきた叔母からの電話に出ると、叔母は早口で捲し立てた。 「みちる! もうあんた、槙人くんとの結婚OKでいいわね?!」 「え?! なんで?!」 「浩司に遺産の件がバレちゃったのよ!だからもうあんたたちに結婚してもらわないと叔父様の苦労が台無しになる!」  よく話を聞くと、叔父であるギャンブル中毒の浩司がどこからかみちるが高洲の人間との結婚を拒否したら巨額の富が自身に降り掛かると知り、叔母に詰め寄ってきたという。どうにか大叔父の遺産を守りたかった叔母は浩司にみちるの結婚が取り決まったこと、それからみちるの取り分になった遺産を全額使って新居を買ったと話してしまったというのだ。 「な、なにそれ。当人たち放置してそんなの許されるの?!」 「仕方ないじゃないの。浩司のやつみちるの家に今にも殴り込みに行きそうだったのよ! 叔母さんあんたたち守ってあげたんだから感謝しなさい!」  それはその通りだ。お金が絡むと人は豹変する。それこそ犯罪に手を染めてもおかしくない。ましてや新居をキャッシュで買えるくらいの富ならば、尚更だ。 「全くもう、父さんめ。あんなバカ息子遺して亡くなるなんて……」  浩司は母の兄であり、叔母の弟だ。そして母たちの父であり、みちるの祖父にあたる人物は30年前に事故で亡くなっているらしく、みちるはどんな人物かほとんど知らなかった。 「ねぇ、じゃあ私、どうしたらいいの?」 「実際はまだ家なんて買ってないのよ。でも今後のことを考えたら本当に家を買っちゃった方がいいわ。槙人くんにもそれを話したら了承してくれたし、知り合いの不動産屋に新築のマンション押さえてもらってるから。今度見に行って気に入れば即決で買っちゃいなさい。遺産の譲渡は弁護士を通してもう動いてもらってる」 「え、も、もうわかんないよ! 展開が急すぎて」  泣くような声でそう訴えると、叔母はハッキリとした口調で言った。 「槙人くんはいずれ結婚するのなら早すぎることはないって言ってくれたわ。あの子はもう覚悟してくれたっことよ。あんたは?あの時のまぁいいか、て気持ちのまま? あの後何も考えなかったの?」 「う、」 「いい? 最悪結婚してどうしても上手くいかなければ別れたって構わない。今時珍しくないからね。私たちや叔父様のわがままに引っ掻き回されてるあんたは純粋に可哀想だよ。でも槙人くんは本当にいい子だと思う。あんたに合っていると叔母さんあの時思ったよ。まずはルームシェアくらいの気持ちでいいから」  家賃を支払い終えたルームシェア、住む場所は新築のマンション。そして同居人は大人気モデルのマキ。何から何まで理不尽すぎる。けれど叔父の浩司は何をしてくるかまるでわからないし、もしかしたらみちる以外にも叔母や母にまで危害を加える可能性もあるのだ。それを思ったら途端に怖くなってきた。大事な人たちが傷つけられるのは、みちるだって我慢ならない。  結局その場でみちるは高洲槙人に嫁ぐ決意をした。休日土曜の午前10時25分。その日目を覚ましてまだ25分しか経っていなかった。
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