2.新婚生活

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 芸能事務所のマネージメント課に所属して6年目にして初めての案件だったが、そこまで過剰に珍しいことでも無い。木崎功(きざき つとむ)は社長からのお達しに何度も心の中で疑問を投げ飛ばしながら、結局は頷いてフォローに回るしかなかったのである。 「マキが結婚」 「そう。だから本人にボロ出させないようによく言い聞かせてね。一応そういう対応時のマニュアルをメールで送っとくから」 「あいつ、21じゃなかった……ですっけ?」  黙っていれば妙に落ち着いて見えるマキは、下手したら5つも6つも上に見える時もある。性差のあまり感じられない容姿が年齢というものを覆い隠しているのだ。性格も浮世離れしている分、余計である。 「そうね、21歳。お相手は24歳のOLさんだって」 「えぇ〜」  目の前の、芸能事務所を取り仕切る女傑にうっかり非難とマキに対する羨望の声を漏らせば、社長は切れ長気味に引いたアイラインを突き刺してくるように木崎を見た。24歳のOLと結婚なんて、仕事が恋人になりつつある木崎にとっては純粋に羨ましい。 「とりあえずこれは確定案件だから。仕方ないじゃない。本人たっての希望だし、何よりお相手の大叔父?だかなんだかにはうちの父がここ立ち上げる時そこそこお世話になっちゃってたらしいのよ」 「え、縁故……」  社長がマキの結婚を承諾せざるを得ない理由がなんとも理不尽だった。なにせ現場の人間や末端にはあまり関係のない事柄である。相手の大叔父と縁が無ければこの会社が無かったと言うのならそれなりに感謝をしなければならないが、そんな昔の話をされても現場でこれから動かなければならない身からしたら正直どうでもよかった。 「ていうかマキって、結婚向いてるんすかね。あいつ素はふわっふわですけど」 「知らない。でも本人がどうしてもしたいって言ってたんなら、結婚願望はあったんじゃない?」 「なるほど……」  ほとんどお見合い結婚のようなものなのにマキがそれほどまでに積極的だったということはよっぽどの美人なのかと木崎は更に羨望のため息を吐いた。それからそっとお腹の辺りを押さえる。これからのことを考えると胃が痛くて仕方ないのだ。自分にも家に帰ったら美味しいご飯を作ってくれる嫁が欲しい。などと呟くと、赤いリップを引いた女傑は呆れながら「それだからあんた結婚できないんでしょ」なんてため息を吐いた。 ──そんな話をしたのがほんの1ヶ月ほど前だった。  何やらあっさりとマキと件のOLは結婚をしたらしい。マキとはボロを出さない為に雑誌のインタビューやイベントでの発言に気をつけるべき点、マキとしてのキャラクターのすり合わせまで終えてほんの少し落ち着いた木崎は、その日待機場所にともらった楽屋で、一人机に突っ伏すマキこと槙人の小さな異変に気が付いた。 「なんかあったのか?」  槙人は木崎が自分に話しかけていることに気が付いたのだろう。テーブルに突っ伏したまま一度ちらりと木崎を見た。切れ長でどこか温度の低い彼の目は、槙人の表情に戻ると途端に甘えたような温度を持つ。 「ううん。べつに」  もぞもぞと、突っ伏したまま首を振った槙人だったけれど、暫く考え込むように黙り込んでから「ねぇ木崎さん」と顔を上げた。 「どうした?」 「オムライスってさ、作るの大変ですね」 「……」  知らねぇ。と言いたげに木崎は目を細める。あいにくと自分は自炊なんてものはほとんどしない上に、オムライスを作ってくれる彼女も存在しないのだ。しかし木崎の思いにまるで気が付かない槙人は、今度はテーブルを艶めかしく這っていた髪ごと体を起こし、頬杖を軽くつく。あいにくと木崎は可愛い系統の女子が好みな為槙人の容姿に好感は持てども傾倒したりしない。が、男女問わず虜にしていく男の物憂げな表情はなかなかに破壊力がある。などと冷静に考えた。 「この前結婚して初めて早く家にいたからみちるさんと食べようと思って作ったんだけど、結構大変でした」 「ふーん。お前が作ったんだ」  槙人の結婚相手は料理が出来ないタイプなんだろうか。などと邪推する。忙しい槙人が作らずとも恐らく定時で上がれるであろう彼女が作ればいい。などという偏見じみたことをつい考えつつ言葉に出さないよう飲み込めば、槙人は頷いた。 「みちるさんも働いているんですし。でもその日は職場の人とご飯だったらしくて、タイミング間違えちゃったなぁって。あとオムライスが大変な料理なのも今更ながら知りました。ばあちゃんによくリクエストしちゃってたんですよね」 「……面倒なの?」  いつ必要になるかわからない知識だが、後学の為に聞いておくことにする。槙人はうん。と一度頷いてから細く長い指を丁寧に折って行程を数え始めた。 「まず具材を数種類みじんに切るのが面倒ですし、フライパン一つで作るなら相当時間かかります。ケチャップライスからやると卵の前にフライパン洗わなきゃいけないし……」  それがどのくらい手間であるかがよくわからない木崎は相づちを打つことで話をスルーした。自炊する予定は今もこれからもあいにく予定にない。 「今度はもう少し簡単なやつに挑戦しようと思ってます。肉じゃがとかどうかな」 「お前が作る必要はなくないか?」  つい本音が漏れると、槙人は首を今度はこてんと傾けた。もしマキの時にやった仕草であったなら、キャラを守れと注意するような表情である。 「どうしてですか? 僕もやりたいです。みちるさんのご飯もまだ食べたことないけど……というか結婚したのにほとんど会えてないけど」  会いたいな。と呟いた槙人に、純粋に感心した。結婚のきっかけは相手の親族の遺言らしいと聞いている。ゆえにお見合いより複雑かつ強制力の強い縁だったというのに、なぜ槙人はこんなにも彼女との結婚生活に彼女との距離を縮めるのに必死なのだろうという疑問と共に、よく知らない女によくそんなに心を傾けるなという感心が後を追ってくる。 「槙人、お前さ、」  木崎がその感心と疑問を少し角度を変えて槙人にぶつけようとした瞬間、楽屋の扉がノックされる。即座に槙人は背筋を伸ばし、木崎はそれを見てから扉を開けた。ノックの相手は撮影スタッフではなく別の雑誌社の記者だった。そういえば待機時間が長いから楽屋でインタビューをすると言っていたことを木崎は今更思い出す。時計を見ると予定時刻の3分前だった。 「失礼します。マキさん、待機中に申し訳ありません」 「マキと申します。こんな所までお越しいただきありがとうございます」  マキがすっと音もなく立ち上がり、丁寧に礼をした。先ほどまでオムライスの話をしていたとは思えない艶めいた仕草は木崎でもつい感心してしまう。自分の名刺を渡してマキの向かいの椅子に記者を招き、楽屋のポットで珈琲を淹れてマキの後ろに控える。料理は出来ないがインスタント珈琲だけなら何度淹れてきたかわからない。  今回の雑誌社のインタビューは、マキの私生活に関するものだった。マキのイメージは基本、ミステリアスである。プロフィールもほとんど未公開で年齢すら定かではない存在に私生活のインタビューとは、と木崎が社長につっこみを入れたのも久しいが、完全に何もわからないのでは逆効果だという社長の判断も頷ける。先ほどの雑談をする前にマキとは打ち合わせをしたので、恐らくそつなくこなしてくれるだろうというのが、木崎のマネージャーとしての判断だ。 「食事ですか? 一応こういうお仕事をさせていただいてますので、野菜が中心になるよう心がけています」  マキが薄い唇を綺麗に引き上げて言う。先ほどまで机に突っ伏して新婚の妻に会いたいと呟いた21歳の男は途端に年齢不詳、性別すら輪郭のぼやける「マキ」という不思議な生き物に早変わりした。 「ふふ、私も人間ですから食事はしますよ。見えない? よく言われます」  オムライスだろ。オムライス。と、木崎は笑顔の反対側でいつものように、心の中で槙人につっこみを入れた。
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