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「雨が止んだらまた来てくださいますか?」 「雨が…ですか」 「ええ、わたくし雨って嫌いなの、なんというのかしら…憂鬱というか、気分が乗らないというか」 「はぁ、なるほど」 「ですから今日のところはお引取りを」 さも残念そうに、まるでこの雨ったら本当に困ったものだと言わんばかりにほんの少し眉を下げると、自分の表情はとたんに大袈裟なものになることを知っている。 顔立ちがきついのだ、険がある。 とりたてて造作が悪いわけではない、むしろ整っているほうだとは思うがどうにも目つきが優しくない。 笑顔を浮かべただけでなにか企んでいるようにさえ見えるらしい。 甚だ失礼な感想だとは思うが、重要でない他人の考えを矯正する労力をアルエラは知っているからそのまま言わせっぱなしにしている。 そもそもアルエラは自分のそういった部分を気に入っているのだ。 ちょっとつんとしたような、気位が高くはおれないのだという雰囲気がなかなかにいい。 甘ったるくて柔らかく優しげなのもそれはそれでいいが、自分には似合わない。 そう思っているから、アルエラは今日も堂々と、吊り目をゆるりと細めて婀娜っぽく笑う。 (馬鹿にされてるように見えるでしょう?ほら、帰りたいって思うんじゃなくて?) 目の前の男は、すこしばかり困ったように首を傾げた。 「しかし今日こそは…少しでもお話をと」 「気分が悪いのです、どうかお引取りを」 「ですが、私たちはまだろくにお互いのことも知らない。これは問題だと思うのですが」 問題どころか好都合だ。 アルエラは、そう心からおもっていることなんておくびにも出さずにまた微笑む。 「良くあることでしょう?」 だって、わたくしたちは決められたから成立したというだけの婚約のもとにいる。 当事者たちの気持ちなど全く関係がない、家同士の結びつきのために行われる婚約のもとに。 そんな状況はこの国において少しも珍しいことではなかった。 顔も知らない相手といつの間にか婚約が成されているなんてままあることであって、年端も行かぬ頃から、さらに言うなら生まれる前から決められていることだってある。 そんな関係にとって、話をしたことがあるとかないとか、そんなことは全く重要ではない。 そしてこのアルエラのように、夫婦となった先の生活や関係を良好に保とうという気のない人間にとっては尚更に。 (むしろわたくしは、お話なんてしたくない) 世間の噂のなかのアルエラのように、他の男と遊び回りたいとか贅沢三昧がしたいなんて下らないことが理由ではない。 ただ、興味がないのだ。 こんなつまらない婚約も、それを唯唯諾諾と了承してしまうこの男も。 家同士の繋がりのためにと言う名目の婚約ではあるが、その実態はあまりに評判の悪いアルエラをなんとか貰ってもらうためのものだ。 父親がはっきりとそう言った訳ではないが、返事を濁すこと自体がすでに肯定の証拠のようなものだ。 次々とやってくる求婚の訪いをろくな対応もせずに断っているうちに前述したような噂はどんどんと広がり、すこしばかり容姿がいいのを鼻にかけた高飛車極まりない令嬢との評判はぴったりとアルエラに張りついた。 歴史も地位もある名家にとって、アルエラのような者が居座っていては体裁が悪くて仕方がないのだろうということもよくわかる。 しかしアルエラにだって言い分はある。 (だって、誰も彼も同じようなことばかり!) 評判の悪い娘ならばすぐに手中に収めることができるだろうとか、じゃじゃ馬を慣らしたいという目的が透けて見えるとか、とにかくアルエラのもとを訪れるのはそんな男性ばかりだった。 アルエラは男性と遊び回ったことなど、実際には一度だってない。 好むのは幼少期から嗜む乗馬とお気に入りの馬の世話、外国の珍しい糸を使ったレース編みだ。 地味で、そして派手さなんてないのもばかり。 そんなこと、まともな会話をしたりすこし調べたりすればすぐに分かることなのに誰もそれをしない。 ふたりで遠乗りに出かけませんかと、たったそれだけの誘いすら一度もない。 さぁ飛びつきなさいと贅沢な贈り物をちらつかされるばかりでは胃がもたれる。 あなたのどんな悪評も気にしないと堂々と口にする目に灯る加虐的な光を目の当たりにすると、背筋がぞっとして怖くなる。 必要ない、違う、それは望んでいない。 そんな言葉をそのままの意味で受けとる者は誰ひとりいなかった。 そして、あまりに求婚を無下にして悪評を欲しいままにするアルエラをみかねて、父親はさっさと婚約を取り付けてきてしまったのだ。 この、アルエラの慇懃無礼な振る舞いに少しも怒りを見せない穏やかな青年、ジオード・ラウォラックとの婚約を。
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