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「な…仲良くって」 どうして、そんな言葉が出る。 目をまん丸くしたまま言葉を詰まらせるアルエラに、ジオードは微笑んだまま続けた。 「雨は止みます」 「…なにを、仰っているの」 「あなたが私とお喋りをしてくれるのなら、天気くらい変えて見せますよ」 「そんなことできるわけが…!」 ジオードはするりと、まるで隙間に滑り込む猫のように滑らかにアルエラの耳元に唇を寄せた。 ごく当然のことだと言わんばかりに自然に、形ばかりの婚約者であったはずのジオードは、恐らく初めて名前を呼んだ。 「アルエラ」 耳朶を打つ低い声。 名前を呼ばれることくらい今まで何度もあった。 けれど、これはそのどれとも違う。 こんなに溶けそうに甘ったるく、アルエラがまだ知らない熱のこもった声色が乗せられた自分の名前。 長い指先が耳の縁をそっと撫でるのを咄嗟に振り払えないくらいには、アルエラは動揺していた。 「いいですか、よく耳を澄ませていて」 「よ、よくもこんな無礼な真似を!」 「無礼じゃない。私達は婚約者同士なんですから、これくらいは普通のことでしょう」 普通のこと、なのだろうか。 アルエラはずっとこの婚約を形だけのものだとばかり思っていたし特定の男性と親密になったことだってない、そもそも男性にここまで近づいたことすらないのだ。 こんなこと、未婚の女性に対する行いでないことは分かる。 けれどジオードとアルエラは婚約者同士だ。 耳を撫でることが許される範囲内にあるのかどうか、アルエラには分からない。 結局抵抗することができないまま固まるアルエラに、ジオードは口の端をゆるりと引き上げたまま問いかける。 「雨音はまだ聞こえますか?」 「きっ…聞こえるに決まっています!」 「そうですか、ではもう少し頑張りましょう」 頑張るって何を。 これ以上、なにをどうする気でいるのだ。 アルエラには全く分からないけれど、このままの体勢でこんなに近くにいてはいけないことはなんとなく分かる、危ない感じがする。 とにかく腰に回したまま腕を解くように命じるため、アルエラは息を吸い込んだのだが。 「本当はね、アルエラ」 こどもに話を聞かせるようにやや速度を落として。 けれど決してこども相手には出さない感情を込めた声だ。 こちらから一瞬も離れることのない視線もなにもかも、アルエラに強くその感情を伝えようとしている。 いままで出会った男性から向けられる自分勝手な感情なんて総じて気持ちが悪くて怖いばかりだった。 ジオードから向けられる感情も、怖い、とは思う。 けれどそれは未知に対する怖さに近い。 きっと、自分が今まで知らなかった何かに飲み込まれてしまいそうで怖いと、アルエラは感じている。 もっと嫌がって、拒んで、いつものように高圧的に責めてうんざりさせてやらなくちゃいけないのに。 アルエラには、なぜかどうしてもそれができない。 だから結局かちこちに固まったまま、ジオードの言葉を聞く羽目になるのだ。
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