雨の日と月曜日の響

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 家に帰った僕はソワソワしていた。留守番電話には早く帰ってきたことを吹き込んである。時計の分針が午後六時を指そうとしていた。もうすぐお母さんが帰ってくる。  鍵がガチャガチャ言う音が聞こえてきて、僕は玄関へと走った。 「ただいま、早かったのね」 「おかえりお母さん。あのね、学校に行く途中でお腹が痛くなったからお休みしちゃった」 「そうだったの、もう痛くない? 大丈夫?」 「大丈夫だよ」  だって仮病だもの、とは言えなかった。  僕はモジモジしながらお母さんに聞いた。 「あのね、聞きたいことがあるの」  僕はつばを飲み込む。あんなに練習したのに、言葉がすぐには出てこない。 「お母さんは、今でもお父さんのこと好き? 走って探しにいきたいくらい?」  お母さんは少し驚いたような顔をして、ゆっくりと返事をした。 「……そうね、そうできたら、よかったわね。でもね、その時も(りずむ)を置いて行ったりしない」 「お母さん、僕の名前の意味をもう一度教えて」  お母さんは少し驚いた顔をして、それからぽつりぽつりと語り始めた。僕が雨の日に生まれたこと、お父さんとお母さんが雨にちなんで僕の名前を付けたこと。前の発表の時に聞いたのと同じ話。  だけど今日はその話に続きがあった。 「お父さんもお母さんも音楽が好きだったから、音楽にちなんだ名前にしたかったの。お母さんはボーカルで、お父さんはドラマーだったの。音楽はどんな時だって、私たちを繋げてくれるから。私たちは、一番大好きなものの名前をあなたにつけたの。私たちの一番の宝物だから」  お母さんはそう言って僕をぎゅっと抱きしめた。前とは違って優しい抱きしめ方で、フワッといい匂いが漂ってきた。  漢字が違っても、読みが違っても、お父さんとお母さんが込めた意味は、祈りは、決して間違いなんかじゃない。他の誰かが間違ってるって言っても、僕だけが信じていればいい。僕自身が、気に入っていればそれでいいんだ。葡萄畑の持ち主の人の言葉が、胸にストンと落ちたんだ。  その日、僕は久しぶりにお母さんと同じベッドで寝た。前より狭く感じたのは、僕の体が成長して大きくなったからなんだろう。お母さんは久しぶりに歌を歌った。僕は一緒になって鼻歌を歌う。そうしているうちにいつの間にか眠ってしまっていた。  次の日の朝目覚めると、雨は止んで、窓から晴れ間が覗いていた。僕は決意する。いつかお母さんと一緒に歌えるように、英語の勉強をしよう。そして『雨の日と月曜日は』を歌えるようになるんだ。朝ごはんを食べながらそう言うと、お母さんは久々に笑った。本当の意味で、嬉しそうに。僕はそれがなんだかうれしくて、照れくさくって、いつもより早く家を飛び出したんだ。  僕は水溜まりを飛び越えて、坂道を駆け降りる。葡萄畑に差し掛かると、坂道の一番下の方で葡萄畑の持ち主の人が仕事を始めているのが見えた。僕は大きく手を振った。しばらくして葡萄畑の持ち主の人は僕に気付き、手を振りかえしてくれた。そして葡萄畑の上のビニールを勢いよく叩いた。  ビニールの上に溜まった雨水と太陽の光があまねく降り注ぐ。虹が見えたらよかったんだけど、あまりに一瞬すぎて見ることができなかった。でも黒いアスファルトも透明のビニールに覆われた葡萄畑も、世界中が雨粒でキラキラと輝いていたんだ。
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