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二
――妊娠したみたいなんだ。――
その時の俺の気持ちは、言葉ではとても表し切れない。
優真の腹に俺の子供が…?!思い返すと、確かに覚えはあった。
優真は後から避妊薬を飲むからと言っていたけど、それが間に合ってなかったのか?
いや、何でも良い。とにかく、優真の所へ行こう。そう思って、俺は次の講義をすっぽかして優真のアパートへ向かった。
俺の鳴らしたインターホンでドアを開けた優真の顔色は真っ青だった。
『今しがた、また吐いたばかりで』
そう言って俺に微笑んだ優真の健気さに、俺は胸がきゅうっと苦しくなった。
『…いつから?』
『一週間前くらいから、変だなっては思ってた。』
問いに答えた優真は、俺の顔をじっと見てから、直ぐに目を伏せた。
『ごめんな。ちゃんとするから。』
『ちゃんとするって何だよ?』
『…堕ろすから。』
その言葉を聞いた時、俺はショックで気が遠くなりそうだった。
『俺はそんな事なんか望んでない!!』
そうだ。さっきの連絡が来た時、俺は嬉しかった。
優真に俺の子供が出来た。これで優真も俺と番になってくれるんじゃないかって、期待した。
なのに堕ろすなんて言葉が出るなんて、優真はやっぱり俺の事は遊びだったのか…。αらしからぬ女々しさだが、本気でそんな風に思った。
けれど…。
『家柄、違うって言われてたし、迷惑をかけるつもりはない。だけど、黙って出来る事でもないからさ。
今日呼んだのは、その為の同意書にサインを貰う為だ。』
『家柄?迷惑?俺がいつ、そんな事…。それに同意書って…。』
同意書とは堕胎手術の、という事だろう。せっかく授かった俺と優真の子供を、そんな勝手に…と頭に血が上った俺は、つい声を荒らげてしまった。
だが、沈んだ表情の優真を見て、俺は気づいた。
そんな事を優真に吹き込んだ人間がいるんだ、と。そして俺には、そういう事をしそうな人間にとても心当たりがあった。
『…母さんに、会ったのか?』
優真は俺の問いに、少し躊躇ってから こくりと頷いた。
俺は溜息が出た。
昔から母はそうだった。
俺の交友関係に陰で口を出していた。何故か急に関係が切れて、数年振りに偶然再会した恋人未満だった子達や友人達の口からそれを聞いた時、俺は母に幻滅した。母に見下され罵倒され俺との交流を断った友人達は、母にその場で連絡先を削除させられ、学校での付き合いも控えるようにと言われたのだという。
優真にも同じ要求をしたらしいが流石に学生時代のようにはいかず、スマホを取り上げる事迄は出来なかったらしい。華奢とはいえ、優真の体躯は通常のβ男性に近いし、Ωの中年女性の母よりは力もある。気が弱いタイプでもないから、母の理不尽な言い分にも負けなかったのかもしれない。
けれど、人の心を抉るのがやたらと上手い母の罵詈雑言は後から徐々に効いてくるらしく、優真も結構なダメージを受けたらしい。言われた事が何度も脳内にリフレインしてくるようになり、俺との付き合いに悩んだ。その矢先に当の俺は呑気にも番になって欲しいと言ってくる。そりゃ悩むよなあ、と俺は思った。
『…ごめんな、あの人はああいう人なんだ。』
母は、名家の出だ。
典型的なα家系のΩとして産まれた。
そういう家に産まれたΩは、将来的に有力な他家との姻戚関係を結ぶ駒として一般家庭のΩよりは大切に育てられる傾向があるようで、ご多分に漏れず母もお姫様育ちに近かった。
確かに母も、将来的に自家よりも力のある家の跡継ぎである優秀なαの伴侶におさまるべく様々な教養や習い事は身につけたが、残念ながら性格は頗る悪く仕上がった。特権階級にありがちな選民意識は、母に自分は特別なΩであると勘違いさせたのだ。俺は母の、そんな思い上がった所が嫌いだった。人の価値なんか、その人を大切に思う人間にしか無いも等しいものなのに。
母の最初の子供で、尚且つ父によく似た俺に対する執着と依存は成長と共に増していくばかりで、そんな母への嫌悪感も俺の中では膨れ上がっていくばかりだった。
出来る事なら距離を置きたい。だが、幼い頃から刷り込まれた、家の跡継ぎであるという立場が俺に家を出る事を許さなかった。
けれど、自分が惚れ込んで愛して、番になりたいと望んだ相手に迄そんな真似をされていたとなると話は別だ。
俺は優真に、俺は優真を愛している事や、今どき家柄に拘っているのは母くらいだという事、それから子供が出来たのは、俺にとっては凄く嬉しい事なのだと。俺と番になって、絶対産んで欲しいと強く言った。
優真は黙ってそれを聞き、最後に少し涙ぐんで頷いた。
『俺も清人が好きだ。ほんとは一人でだって、産みたいと思ってた。だから、信じるよ。』
それは、母の事が解決するならば、俺との番を了承してくれるという事だと、俺は受け取った。改めて優真の口から俺への気持ちを聞けた事も、俺を奮い立たせた。
『母とは距離を置く。父に直談判するよ。』
感情的な母では話になりそうにもないから父と話す方が良いだろう。普段は母のやる事に文句を言わない父だが、母よりは理性的に話ができる。このままでは家を継げないと言えば、きっと俺の気持ちを理解してくれる筈だ――。
だが、この時未だ俺は事態を甘く見ていたのだ。
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