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「好き」
静寂にぽん、と浮かんだ声は、他人のものみたいに聞こえた。
短い言葉は真っ黒な空気に飲まれて、すぐあと、言ったか言ってないかわからなくなってしまった。
だからオレはもう一度、同じ言葉を放った。
「好き。オレ、しののこと、好きなの――」
言うつもりなんてなかったことをわざわざ二回も口走ってしまい、オレは直後、口を手でおさえようとした。
――が、それはかなわなかった。
言い直したオレの言葉尻を飲みこんだのは、暗闇じゃなく、志信の唇だった。
柔らかく温かい志信の一部が、意思を持ってオレの唇に触れている。
「ん…………!」
後ろに倒れそうになったオレの肩を引き寄せて、志信はさらにキスを深くした。
閉じたすき間を舌でなぞられて口をひらくと、口腔内に舌が侵入してくる。
未体験の深いキスに、身体が一瞬で固まる。
縮こまっている舌に舌を絡められ口の中を舐められると、背筋に電流が走った。
怖くて寒気がするのに、ずっとやめないで、こうしていてほしいと思う。
志信の右手がオレの左耳に触れたときに、気づいた。この背筋をビリビリ這いあがる感覚が、快感なんだってことに。
「だ、め」
オレは柔らかい拘束から逃れようと、志信の胸を両手で押した。
肩を支えていた手が離れてゆくと、オレは尻もちをついていた。
「夏生」
名前を呼ばれて身体が震えた。
地面に尻をつけたまま後ずさる。
「夏生、俺――」
「ごめん、なさ……」
なにか言おうとした志信を遮って、オレは立ち上がった。
見上げてくる光を宿した瞳から目をそらし、振り返ると暗闇に向かって一目散に走りだした。
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