美術室の幽霊部員

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美術室の幽霊部員

 8月になると、辺り一帯に青い匂いが立ちこめる。裏山から聞こえてくる蝉の鳴き声が暑さを冗長させているようで、無意識のうちに口からため息がこぼれた。息を吸うたびに肺を満たす熱くて湿っぽい空気に顔をしかめながら畦道を歩いていると、ようやく目的の場所にたどり着いた。  見渡す限りの緑に囲まれたこの小さな学校は、あと数か月で廃校になる。伸び放題の雑草を踏みしめながら玄関へと向かうと、下駄箱の中から自分の上履きを下ろした。  夏休み期間の校舎に人の気配はなかった。そもそも、廃校になるようなこの学校には登校日だろうと数人の生徒しか居ないのだが。  私は職員室へ向かい部室の鍵を借りると、うだるような暑さの中で懸命に足を動かした。 「(あーもうホント最悪……)」  本当ならばクーラーのきいた部屋でゴロゴロと漫画を読んでいたはずなのに。まさか、大会提出用の写真データが入ったSDカードを部室に忘れてしまうなんて。  どうせ外に出るなら道すがら風景でも撮るかと一眼レフを首に下げてきたはいいものの、あまりの暑さに即刻意思が揺らぎ、シャッターを切る元気を出せないままここまで来てしまった。  こんなことなら置いてくればよかった、と首の後ろを圧迫するストラップを忌々しく思う。  やがて部室へたどり着くと、私は足早に机に向かい引き出しを開けた。プリントやら現像した写真やらが乱雑に詰め込まれた空間を掻き分け、指先の感覚を頼りに四角いそれを引っ張り出す。    念のため首に下げていた一眼レフのSDカードを移し替えてデータをチェックすると、そこには自分の予想通り大会提出用の写真が詰め込まれていた。  赤と白のコントラストが眩しいその写真を眺めていると、寒さに耐えながら鳥居と朝日が上手く重なるタイミングを待ち続けていたあの日々が蘇る。  とりあえず目的は達成できたと部室を後にすると、再び灼熱地獄の廊下へと踏み出した。  大きな窓から容赦なく降り注ぐ陽光にいら立ちを覚えながら職員室へ向かい歩いていると、ふと近くの部屋から物音がした。  キョロキョロと辺りを見回すが、自分のほかに人の気配は無い。それどころか、隅に追いやられた写真部の部室の周辺には、既に廃部となった美術部の部室、つまり美術室だけしか存在していない。  美術の授業もあるにはあるが、最近は教室内だけで事足りることが多く、誰も美術室には寄り付いていない。  夏休み前に一度掃除の際に入ったが、デッサンのための石膏や数々のモチーフは既に別の学校へ寄付され、残っているのは数点のイーゼルと教本、それにスケッチブックぐらいだった。 「(……先生かな)」  なんとなく足音を立てないようにそっと美術室の扉に近づくと、四角く切り取られた窓を覗こうと背伸びをした。  しかし自分の身長では中の様子を十分に見渡すことができず、視界の端に映る女性と思しきシルエットだけが視認できた。 「(あれ、でも今のって)」  てっきり中に居るのは先生だと思い込んでいたが、先ほどちらっと見えた人物は自分と同じ制服を着てイーゼルの前に佇んでいた。  生徒がこの空っぽな部屋に一体何の用があるのだろうか?なんとなく異質な気配を感じ取った私は、騒ぐ胸を押さえつつ電源を入れっぱなしにしていた一眼レフを扉に向けた。  レンズを扉の窓枠に向け、液晶画面を確認する。部屋全体を見渡すようにカメラを動かしても、人物の姿を捉えることはなかった。  自分の目で見ていた時よりも格段に視野は広がっているはずなのになぜ少しも見えなくなってしまったのだろうかと不思議に思いつつ、 やがてカメラの重さに耐えられなくなった私は大人しく腕を下げた。 「……見間違いだったのかも」  この暑さのせいで、幻覚を見てしまったのかもしれない。拍子抜けしながら踵を返そうとした次の瞬間、再び扉の先で物音が聞こえた。
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