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少女はふわりと優雅な動作で席を立つと、ゆっくりと私の目前まで歩みを進めた。私は逃げ出しそうになる自分の体を必死に抑えながら、早まる鼓動と共に少女の言葉を待った。
「ね、昨日大丈夫だった? 助けてあげたかったんだけど、私この部屋から出られなくって」
少女の口から告げられた言葉は、意外にも私を気遣うものだった。
驚きのあまり固まる私の前で、少女は眉を下げてこちらを見つめていた。
「……あ、うん。大丈夫、です」
ようやく絞り出すことができた言葉を歯切れ悪く並べる。すると、その言葉を聞いた少女は安堵した様子で目を細めた。その表情に、ふと自分の警戒心が緩む感覚がした。
次の会話の糸口を探そうと部屋の中へ視線を移すと、イーゼルに立てかけられたスケッチブックが目に留まった。
揺れた線が幾重にも重ねられたそれを眺めていると、ふと感じた既視感が口をついて出た。
「あれ、これって……学校裏にある神社?」
私が言葉を言い切るよりも早く、少女の視線が勢いよくこちらへ向いた。どこか期待感がこもったような視線の意図を噛み砕けないまま首をかしげると、少女は弾んだ声色で話し始めた。
「そう! 私、死んじゃう前はずっと絵を描いてたの。だから私が美術室に囚われてるのって、何か描かなきゃいけないものが残ってるからじゃないかと思って! だからとりあえず覚えてる神社を描いてるんだ」
そう告げた少女の顔は明るかった。私が何の言葉も言い返せないでいると、少女は再びイーゼルの前に座り、スケッチブックへ手を伸ばした。
シャ、シャ、と短い音が響く。しかしそれは数回続いたところで歪な音に代わり、少女が一瞬顔をしかめた次の瞬間には鉛筆が床へと転がり落ちていた。
「うーん……やっぱりこの体で描くのは難しいなぁ。ちょっと悩んだりすると集中力が切れちゃうみたいで、鉛筆が手から落ちちゃうんだよね」
不服そうに口を尖らせた少女は立ち上がって鉛筆を拾い上げると、ため息をつきながらそれをイーゼルの端へ置いた。
再び訪れた静寂に、私は勇気を振り絞って声をかけた。
「えーっと、あなたはいつからここに居るの? 美術室に幽霊が出るなんて、聞いたこと無かったんだけど……」
不躾な私の問いかけに、少女は少しも表情を陰らせなかった。どこかあっけらかんとした様子で少し考え込んだ後、「わかんない」と明るく告げた。
「私が覚えてるのは、絵と神社のことだけ。だからよっぽど未練があったんだろうなーって思ってとりあえず描いてたんだけど、なかなか上手くいかなくて。これが納得できる出来になったらそろそろ成仏できるかもーって思ってるんだけど、そもそも神社の景色も曖昧にしか思い出せないし」
少女は窓の傍へ移動すると、締め切ったカーテンを少し持ち上げて燦燦と光が降り注ぐ外の世界を眺めた。
貫くような光がこちらまで届き思わず目を細めると、光に包まれた少女の姿がほんの少し、透けているように見えた。
「あーあ、この窓からあの神社が見えたらいいのに! そしたらきっと、もっと集中して描けるのになぁ」
頬杖をついてぼやく横顔を眺めながら、私は無意識のうちにカメラに手を伸ばしていた。思わず切り取って残してしまいたくなるような幻想的な光景だと思った。
しかし電源ボタン押した直後に我に返る。そうだ、この子はカメラに映らない。どうしたって残せやしないのだ。
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