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あなたの家を出て、二つ目の交差点で赤信号に引っかかる。
私の心の中のような雨が、この数分で少し激しくなった。
フロントガラスを叩く雨音がタンタンと不規則な音を立てる。
涙雨、そんな甘いものじゃない。
何が、ダメだった?
さっきから私の頭の中は、それでいっぱいだった。
ついさっき、彼の家で私は別れを告げられた。
『ゴメン、好きな子ができたんだ』
気付いてた、ずっと。
あなたの車の中に、私のじゃないバレッタがあった。
あなたの部屋の隅に、私のじゃないリップが落ちていた。
私に存在を知らしめるようなそれを見ないふりでやり過ごそうとしていたのは、責めるのは逆効果になるんじゃないかって。
責めたら二度と私の元に戻ってはこないんじゃないかって。
何も言わずに何も聞かずに、いたのに――。
『別れたくない』
そっと背中にしがみついた私に。
『ゴメン、……アイツ、お腹に子供がいるんだ』
何て残酷な話だろう。
私のお腹に命が宿った時にあなたは無理だ、と。
今回は諦めてと。
申し訳ない、と泣いていたよね?
だから、私、今回は無理だけどきっといつかは、って。
それをずっと信じてきたのに、ねえ、……嘘だと言って?
どこかで覚悟はしてたんだ。
この車の助手席に座るのは、きっと今日が最後なんだろうって。
あなたに呼び出された時、声が違ってたもの。
昨夜未明から降り続く雨は私の涙の代弁者だ。
でもね、本当は私まだ全然了解なんかしてないのよ?
なのに何故あなたはそんなにも清々しい顔で。
『今までありがとう』
なんて、泣きそうなフリをして話を終えたの?
気がつけば、四つめの赤信号で止まった車が、私の家へ曲がるために左にウィンカーを付けた。
いつの間にか激しさを増しバラバラと屋根を乱暴に叩く雨音が車内に響き渡り、ワイパーはひっきりなしに視界を作るために動いている。
雨音の中で響くカチナチとしたその音に、ハッと我に返る。
もう、時間がない。
この道を曲がれば、もうすぐ家に着く。
終わってしまう……。
「私のこと、好きだった?」
雨の音にかき消されてしまうかと思った。
だけど、私の声はちゃんと彼に届いたみたい。
「大好きだったよ」
私の方を見て、涙目で微笑んでくれたから。
その笑顔だけは忘れないように。
だって私、その笑顔が好きだったから。
思い出だけは切り取っておきたい。
「ありがとう」
不意に落ちてしまった涙に、慌ててバッグの中のものを探す。
私の『ありがとう』に、安心したように微笑んだまま前を向いたあなたに。
バッグの中で握ったものを、その首筋にと刺しこんだ。
銀色に光るそれを抜いた瞬間。
フロントガラスに紅い雨が降り注ぐ。
紅い雨は私をも濡らす。
頭の天辺から、音もなく降り注ぐのに。
屋根にあたる雨のバラバラとした音は、さっきよりも激しさを増していた。
「さよなら」
ゴトンとハンドルに頭をのせ、動かなくなった真っ赤な彼に私もさよならをやっと言えた。
彼の頭の重みでクラクションは不快な音を立てている。
大好きな笑顔のまま、目を瞑った彼に錆びた味のキスをして。
私は一人、車を降り、宛もなく歩き出した。
信号が青に変わる。
後ろの車から出発を促すクラクションを鳴らされても、彼の車は発進しない。
もう発進できない。
行きかう人は、傘もささず、赤くずぶ濡れになっている私を、異様な物でも見るように逃げていく。
『大好きだったよ』
私もよ。
あなたの笑顔を思い出しては微笑んで、想い出だらけの街に雨は降り続く。
きっと明日も雨、あさっても雨、ずっと雨――。
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