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誰からも愛されなかった少女
友人はおろか家族の見送りすらなくたったひとり。
ピンク色の飾り気のないワンピースの少女は品川駅から横須賀線逗子方面行き電車に乗り込んだ。
今日から始まる「潮崎羽香奈」としての新しい人生に何らの希望も期待も抱かず、無の心境で流れゆく車窓を眺めている。
早朝いちばんに近い時間帯ゆえ電車内は空いていて、同じ車両に人はなく、長い椅子も自分ひとりで独占している。
ごく普通の生まれの人間だったら、空いている電車なんて歓迎する以外にないのだろうけど。
生まれてから今日まで誰にも愛されなかった少女は、こんな時まで自分はひとりぼっちなんだなぁと憂鬱を深めていた。
こんなにも長い時間、それもひとりで電車移動したのは生まれて初めて。
彼女の生まれ育った東京都心とはまた違った景色へと徐々に移り変わっていくけれど、特段の感慨も抱かなかった。
そんな羽香奈の心をついに動かしたのは、北鎌倉駅を目前にした時だった。
不意に、鮮やかな深緑で車窓が満たされたから。
都会育ちの彼女には、こういった綺麗な自然の緑は見覚えがない。
都会の木々の葉っぱはもう少し色が薄いというか、くすんでいるというか。
ともかくもっと冴えない印象を受ける。
それは彼女自身の恵まれない生活ゆえに、何もかもが色褪せて見えただけの錯覚だったのかもしれないけれど。
それほど長くないであろう停車時間、開いているドアから北鎌倉駅のホームを覗き込んだ。
なんだか急に、違う世界へ来たみたいな感覚。
ここで降りてみたいなぁ。
でも、待ち合わせの約束をした江ノ島電鉄鎌倉高校前駅へ向かうためには、ここで降りるわけにはいかないから。
次の停車駅、鎌倉駅で乗り換えをしなければならないのだから。
ほんの一瞬でさっさと諦めて、元通り、座席に腰を下ろす。
諦めが早いのも、最初から何も期待しないのも、これまでの十二年間の人生で彼女が身に着けた処世術だった。
鎌倉駅の江ノ電乗り場では、すでに次の電車が到着し、発車時刻を待っていた。
まだ時間の余裕もありそうだから急ぐこともなく、羽香奈は悠々歩いて電車に乗り込んだ……ところで、違和感に気付く。
「この電車、床が木で出来てる……」
夏物のサンダルごしに感じる木の感触。
小学校の校舎だって木造だったのだしそこまで馴染みのないわけではないというのに、電車の床だと思うとなんだかそわそわする。
進行方向左側の席に座り、首を斜めに向けて窓の外を眺めてみる。
家族旅行の思い出などひとつもない羽香奈にとって、小学校の課外授業でバスが東京湾の近くを通ったのが、唯一海を見る機会だったから。
水平線の向こうに対岸のない広い広い海の景色は単純にきれいだなぁ。
なんて考えていた。
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