14人が本棚に入れています
本棚に追加
/76ページ
1 点 点 点
夏の風はぬるい。
まったくやってられない。月曜の朝にくわえてこの暑さだ。俺は家の窓をすべて閉めきってクーラーをつけた。
テレビのリモコンに手をかける。モーニングルーティンというやつだが、本当はテレビを点けたくなかった。その反面、モニターに映る内容からは目を逸らしたくない。怖いもの見たさ、というやつだ。
テレビに映る昨日の渋谷は、夏という言葉を具現化したように、それはそれは清々しいかんかん照りである。
「こちらは先日、スクランブル交差点の定点カメラが捉えた映像です。日曜日というだけあってお買い物に来られた方や観光客の方が多く見られますが、みなさん交差点の真ん中に現われた謎の女性を避けています。白い服を着た髪の長い女性は、映画『リング』に登場する貞子を彷彿とさせますが、女性は一分後に突然消えてしまいました。この現象は日本だけなく海外でも話題となっており、現在世界中の専門家が意見を発信しています」
くどい映像のループを背景に、怪奇現象や映像技術の専門家がワイドショーで討論をつづけている。
ふとテレビから視線を外すと、ベッドから通知音がした。
「外田士郎、至急集合」
俺は夜逃げを決行する一家のような早さで身支度を済ませ、全力疾走で日暮里駅へ向かった。
パチンコ屋や居酒屋がスクロールする。前から歩いてくる老人たちも、すぐにその流れに乗って俺の背後へと消えていく。ふだんから運動してこなかったツケが回って頭はふらふらだが、なんとか改札へ向かう潮流に合流できた。
山手線内回りで十三駅、俺の職場はそこにある。
大都市迷宮渋谷駅にはいつも辟易するが、地下二階へと下りてしまえばこっちのものだ。その階にある職員用入口のうち、一つだけ駅職員にも立入禁止の場所がある。その扉を専用の鍵で開ければ、職場へとつづく廊下のおでましである。
【PEOPLE PLAY PARANORMAL PHENOMENA】
人々は超常現象を演じる、という意味だ。
この英文の頭文字である四つのPで、今からちょっとしたパズルをしよう。
まずPを置く。その左に鏡合わせのように二つ目のPを置く。二つは離さないですぐ隣に置いてやろう。そうしたら、次はこの双子のPの中央に横向きの対称軸を引き、三つ目と四つ目のPを並んだ双子とは逆向きに置く。完成したのは、背中合わせに並ぶBのようなマークだ。
そのマークは紋章として俺の襟で光っている。B2機関の紋章だ。
渋谷駅地下二階の機密空間、「人々は超常現象を演じる」というモットー、この二つの意味で、俺が働く職場はB2機関と呼ばれている。
B2機関の仕事は、簡単にいうといたずらである。
人間が観測するあらゆる怪奇現象、超常現象、心霊現象は、すべて我々の手によって作りだされている。もちろん、他国にもうちのような機関が存在する。いってしまえば、この世のあらゆるオカルト的事象は人為的なものなのである。
そのことを知っているのはごく一部の人間だけだ。俺は就活でエンジニア系の企業を探しているときに、彼らからのスカウトを受けた。これが超常現象作りというとんでもない仕事との出会いだ。彼らは公務員であるらしく、俺はその安定した高収入と単なる興味でスカウトを承諾した。
新人研修ののち、本格的に仕事を任されるようになった。プログラミングの腕を認めてもらえたときは嬉しかった。しかし今となっては、もう少し謙虚に仕事に取り組むべきだったと心の底から後悔している。
そう、渋谷幽霊事件の犯人は俺だ。
本来は立入禁止区域でキャンプをする若者たちを驚かすため、関東のある山に女性型幽霊を出現させる予定だった。
これが金曜日の夜、つまり一週間の最後の仕事でなかったら、きっと設定画面にスクランブル交差点の座標と正午という時間を入力するなんてふざけた真似はしなかっただろう。そして、土日に誘惑された誠実な公務員は、修整せずに職場をあとにしたというわけだ。
だが現地班も現地班だ。彼らは今から自分たちがしようとしていることの不自然さなど考えもせず、俺の設定を忠実に実行した。理由は知らないけどいわれたらやる、これでは公務員というよりプログラムだ。昼間の東京に幽霊を出すなんておかしな話あってたまるか。
最初のコメントを投稿しよう!