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姉さんはまだ気づいていないだけで、俺はとてもいい弟だ。
本当はわしゃわしゃと撫でてもらったり、偉いねぇと表情を甘ったるくして微笑んでもらったりすることだって考えている。
なにもこれは慈善活動じゃないんだから、それ相応の報酬があったっていいと俺は思う。
だけどそうしないのは、ひとえに俺が弟としての思い遣りに溢れているからに他ならない。
「あのさぁ」
俺の低い声は姉の肩をびくりと震わせる。
つい半年前にできたばかりの姉の細い肩を。
姉ができる、という言葉に含まれる家族関係の複雑さは誰しもがなんとなく察することができると思う。
その予想の通り、俺たちは両親の再婚によって成立したきょうだいだ。
もう成人して数年が経って、看護師として働いている年上の姉ができたという事実は同級生の渡辺に言わせれば、どエロい、ということになるらしい。
だってお前そりゃお注射うんぬんって話になるじゃんと渡辺はえらく嬉しそうだったが、俺はお前のそういった知識の絶妙な古臭さが若干気になるといった感想に留まった。
なぜなら、姉は渡辺の言うような性的な匂いとは距離があるとしか俺には思えなかったからだ。
染めたことのないという髪は真っ黒を保ち、いつも同じ様な髪型に野暮ったい眼鏡。
体型が隠れるすとんとした形のださい服ばかり着ていて、お世辞にも流行りに敏感とは言い難い姉。
同居していると言っても夜勤の関係もあり頻繁に顔を合わせる訳ではなかったし、会ったとしてもおどおどと挨拶をしてくる程度の接触以上のことはなかった。
話が合わないほどではないが、違う年代であることは間違いがないから話なんて弾んだ試しがない。
そこから、どこをどう取ったらお注射うんぬんという話になるのだ。
「…えっと、なにかあった?凛くん」
無理に口角を引き上げていることがよく分かる硬い笑顔。
この姉は俺が苦手なのだ。
無愛想でしかも自分よりも遥かに体格がよく空手部に所属しているくせにピアスを何箇所も開けたりしている、成人してからできた高校生の弟、それが俺だ。
人懐っこく明るい性格とは決して言えない姉には荷が重すぎる相手であることは間違いがない。
(俺だってさ、あんたみたいな姉さん歓迎してた訳じゃないんだ)
いてもいなくても同じ。
突然にできた父親にくっついてきただけの、時々顔を合わせる家族のような他人。
そのうちにどちらかが家を出るだろうから姿を見ることすらやがてなくなって、書類上の関係だけが残される。
この姉は、ただそういう存在だった。
「手んとこ、傷できてる」
「…え?」
「右手の外側」
とんとん、と自分の腕を軽く叩いて場所を示す。
右手の肘よりもやや下にあるその傷に気づいた姉は、少し慌てたように視線を揺らした。
「あ、あれ?なにかに引っ掛けたのかな」
「ふぅん」
引っ掛けた、ねぇ。
俺は知ってるんだよ、姉さん。
それがそのへんの物に引っ掛けた傷なんかじゃないってこと。
看護師の仕事でも日常のなかでもなく、とんでもなく特別でおかしな場所にこの姉が身を置いているということを、俺は知っているんだ。
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