日常と非日常

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日常と非日常

 スマートフォンのアラームが鳴り、モゾモゾと手を伸ばす。いつもどおりの朝の目覚め。 ――いつもどおり?  普段とはどこか違うその違和感。それは次第に大きく膨らみ、私の胸を高鳴らせた。心がザワザワと騒ぎはじめ、いてもたってもいられなくなった。  高揚とでも言おうか、その感覚は歯を磨くときも、ママが用意してくれた朝食のパンにかじりついたときも、消えることなくずっと続いていた。 ――なんだろう、この感じ?  あっ、そういえば!  昨日、学校の帰り道、ミカから妙な薬をもらったんだった。西洋から流れついた古い品を扱う雑貨屋を営むおばあちゃんにもらった薬って言ってたな。「合法の薬だから大丈夫!」、なんて(うそぶ)いていたミカの顔を思い出す。  薬の効果を聞きそびれてしまったというのに、好奇心という名の誘惑に負け、昨夜、眠る前に薬を飲んだんだった。  心が弾むこの不思議な感覚は、きっと薬のせいに違いない。だって、それ以外に理由が見当たらないから。  日常って、こんなに刺激的だったんだ。  目覚めとともに訪れた胸の高鳴りは、学校に向かう道中も、いつもどおりの授業中も、他愛も無い休み時間でさえ、途切れることはなかった。  部活を終え、自転車に乗って帰途につく。  河川敷に広がる夕日があまりにもキレイで、涙がこぼれそうになった。  こんなにも美しい景色を目に焼きつけず、すっ飛ばして帰るのはもったいない。そうだ、自転車を押して帰ろう。  両手でハンドルを押しながら歩き出す。すると背後から聞き慣れた声。 「珍しいじゃん。自転車押して帰ってるなんて」  声の主はタケルだ。  幼なじみのタケルとは幼稚園、小学校、中学校と同じ学校に通っている。家の方向が一緒だから学校からの帰り道も同じ。自転車を漕ぐスピードが速いタケルには、いつもこうして追いつかれ、結局、一緒に帰ることになる。  そんな当たり前が、なぜか今日はすごくドキドキした。 「どした? なんかおとなしいじゃん?」 「そう?」 「いつもみたいにベラベラ喋らないの?」 「別に……」  タケルに話しかけられる度に胸が波打つ。隣にいるのは見飽きた幼なじみのはずなのに、緊張で目すら合わせられない。  二人にとって珍しい無言の時間が流れる。  ちょっとした居心地の悪さと、緊張からくる刹那的な愛おしさを感じていると、タケルが思い切ったように口を開いた。 「なぁ、ミサキ?」 「……ん?」 「あのさぁ」 「なに?」 「ずっと――」 「え?」 「俺、ずっと、ミサキのことが好きだったんだ。今までずっと」  タケルはうつむいたままそう言った。  そのセリフが妙につまらなくて、私は拍子抜けした。 「あっ、そう」  なんだ、この退屈な感覚は?  タケルの言葉が、代わり映えしない日常のように感じた。ただすり減らすだけの毎日。刺激ひとつ見つからないルーティーン。朝から続いた高揚感に水を差された気がして腹が立った。  相手にするのも億劫に感じた私は、彼の言葉を置き去りにしたまま歩き続けた。  タケルは追ってこなかった。  彼は意を決して気持ちを伝えてくれたみたいだけど、何も感じなかった。残念ながら、なんにも――  あれ?!  急な違和感が胸を襲う。  景色が反転するような感覚。  ふと、ミカの言葉を思い出した。 ――薬の効果が続くのは半日くらいらしいから心配ないよ。  そうか。やっぱり効果が切れちゃうんだ。あんなステキなドキドキ感。ずっと続くわけないよね。使い終わった浮き輪から空気が抜かれるように、心の中がどんどん空っぽになっていく。  薬の効果がなくなれば、何もかもがありふれた日常に戻ってしまう。なんだか寂しいな。また、終わりのない退屈がやってくるんだよ。  すると背後で叫ぶ声。 「ミサキ、ちょっと待って!」  そうだ。私、告白されたんだった。  冷静になってさっきのタケルの言葉を思い出す。  ねぇ、タケル。私だってタケルのことが大好きだよ。私だって好きって言いたい。でも、幼なじみの関係が邪魔して、気持ちに蓋をしてきた。まさか、タケルも同じ想いでいてくれたなんてビックリだよ。  きっとあの薬は、何気ない日常にドキドキさせてくれる薬。当たり前過ぎて大切さを忘れちゃったものに気づかせてくれる親切な薬。でも、逆に非日常的な出来事が起これば、それを退屈に感じちゃうんだ。だから、タケルの告白をつまらなく感じてしまったんだ。  タケル……ごめん。  もう、薬は切れたから。  いつもどおりの私だよ。  後ろを振り返ると、タケルが自転車を放り出したまま走ってくる。何かを叫びながら。  その顔は、夕日の色に負けないくらい、紅潮して美しかった。  必死に叫ぶタケルの声が、なぜか遠くに聞こえる。徐々に視界までがぼやけはじめ、体に力が入らなくなってきた。  タケルの好意にちゃんと返したいのに――  薄れゆく意識の中、ミカの声が脳内で再生される。 「――あと、薬の副作用で意識が飛んじゃうことがあるみたいだから気をつけてね」  そんな危険な薬を友人にあげるなんて、ほんとバカなミカ。いや、忠告を無視して薬を飲んじゃう私がバカなのか。  私の記憶は、そこでプツリと途切れてしまった。  そのあと私は完全に意識を失い、その場に倒れ込んだらしい。  ただ、地面に倒れ込む寸前に、駆け寄ってきたタケルが体を支えてくれたことで、ケガをせずに済んだ。  タケルに介抱され、私は無事に意識を取り戻したらしい。そのまましばらく川沿いに並んで座り、夕日が落ちていくのを二人で眺めていたそうだ。  その場でタケルからのリベンジ告白を受け、私は彼と同じ気持ちを伝えた。  幼なじみの二人が恋人になっただけじゃなく、あろうことか、キスまでしたらしい。夜の(とばり)に包まれて、どうやら二人は気を大きくしたみたいだ。  話を聞いてるだけで、ドキドキする展開じゃないか。  そう。これは全部タケルに聞いた話。私は何ひとつ覚えていない。  私のドキドキを返せッ!  あの薬にそう言ってやりたかった。  でも、タケルと付き合いはじめてからというもの、なぜだか朝目覚めることも、歯を磨くことも、食パンをひと口だけかじって学校に向かうことも、何もかもが新鮮に感じる。  それだけじゃない。  雲ひとつない青空や道端に咲く花、友達の笑い声。すべてが瑞々しく感じられた。  世界にはこんなにもドキドキがあったんだ。知らなかったな。いや、忘れてただけなのかも。  そろそろ退屈な授業がはじまる。でも、教室の最前列に座るタケルの背中を見ているだけで、私の心は軽やかに弾む。  あっ、宿題持ってくるの忘れた! 先生に指名されたらどうしよう。  私はドキドキしながら、先生と目が合わないように、顔を伏せた。
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