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一章『昏き鑑定士の殺人』-2
『千羽堂』から2キロほど離れた場所に、かつて『江ノ神(えのがみ)レジデンス』というアパートがあった。古くて大きいアパートだったが、数ヶ月前に解体されている。解体前はガラの悪い連中が根城にしていたとの噂も聞くが、詳しくはセンバも知らなかった。
アパートが解体されてからすぐにまた建築工事が始まるのかと思っていたが、解体された資材などもそのままに数ヶ月の間放置されている。次の工事案件の目処が立たないのか、それとも別の事情があってなのかはわからないが、ここは都合が良かった。普段から誰も寄り付かないし、工事用のフェンスが入り口を除いて敷地を囲うように設置されているため、目撃されるリスクが低い。
センバはその『江ノ神レジデンス跡』に到着すると、車を敷地内に入れてから降りた。車はソノダの使っていたセダン車だ。キーを拝借してここまで運転してきた。当然、指紋は残さないように手袋は着けたままだ。
地面は粒の大きめの砂利、周囲には錆びた鉄骨や鉄パイプの束、ドラム缶などがあちらこちら乱雑に置かれているのが見える。周囲に人がいる気配はない。
センバは車の後部座席ドアを開けた。座席の上には、緑のビニールシートに包んだソノダの死体があった。死体に余計な傷をつけないよう、ゆっくり慎重に車から降ろす。砂利の上に死体を降ろすと、ビニールシートをめくって死体の状態を確認してみた。
顔は表情だけ見れば眠っているようにも見える。だが血の気はすっかり失われ、死んでいることは明らかだ。凶器は抜かずにおいたため、出血は殆どしていない。運転で多少揺れるからどうかとも思ったが、死体に影響は出ていないようだ。
これは推測でしかないが……おそらく、警察はこの件には関与してこない。これは以前ナイツについて調べているうちに掴んだ情報だ。この国の警察はナイツの絡んでいる犯罪――とくに殺人事件――には手を出そうとしないらしい。もちろん、大事にならないようナイツが内々に処理しているからということもあるだろうが、警察は警察で深入りしない立場を取っているというのは、どうやら間違いないそうだ。ここで死体が見つかり、それがナイツの構成員だったとすれば、よほど大きな騒ぎにでもならない限り警察は同じような対応をすると考えられる。
もしかするとナイツのほうが先に事件に気づくかもしれないが、それならもっと都合が良い。まず確実に死体は奴らが処理してくれるし、事件が公になることもないだろう。ナイツも犯人探しを始めるだろうが、警察を相手にするよりは遥かにマシなはずだ。騙し通せる自信はある。
計画を考えてからここまで、迅速にことを運んできたつもりだが、それでも既にソノダが死んでから30分ほど経過している。そろそろ身体に死斑が浮き上がってくる頃だろう。死斑は滞留した血液が沈降し、皮膚に斑点状に現れる現象だ。身体の向きは死亡した時の仰向けの状態を保っているから、死斑の出方で死体を移動したことがバレる、ということはないはずだ。実際に検証したことがあるわけではないから、おそらく、としか言えないが。
センバがふとソノダの下半身に目を向けると、スラックスの裾上げで折られた部分に、何か白いものが挟まっているのが見えた。
「これは……?」
手に取ってみるとそれは、直径2センチくらいの白い陶器の破片だった。すぐにそれが何か思い当たる。先程、店のキャビネットから落ちて割れた花瓶だ。破片が跳ねて入り込んだのだろう。床に散らばった破片は回収したつもりだったが、こんなところに紛れていたとは。致命的なことになる前に見つけられてよかったと安堵すると共に、その紙一重ぶりに危うさも覚える。注意を払っていたつもりでも、こんな単純な見落としが発生するのだ。一時も気を抜くわけにはいかない。
今一度、死体の衣服を調べて同じように破片がどこかに入り込んでいないか確認する。車内も覗き込んで座席シートの隙間、下部なども入念に調べたが、紛れ込んだ破片は他に見つからなかった。心配が完全に拭えたわけではないが、とりあえずは大丈夫そうだ。見つかったこの破片は後で持ち帰るとしよう。
……それにしても、花瓶か。コレクションは全て大事なものだが、あれもそうだった。店を立ち上げる直前、馴染みのリサイクルショップで見つけた思い出の品だ。大した値段ではなかったが、色使いが好ましかった。生きた花は世話が難しいので造花だったが、似合う花を探してやったこともある。残念だが、ああまでひどく割れてしまっては修復も無理だろう。巻き込んでしまって、悪いことをした。センバは、どこか古い友人との別れのような気持ちになる。
……破片は捨てずに全て集めてあるから、何か良い再利用法を検討してみようか。割れた陶器は集めて鏡のフレームにすると綺麗とかいうようなライフハックを見たことがあるから、その方向で。
「さて……」
悠長に名残惜しんでもいられない。計画を次の段階に移す。この後の展開によって幾つかのパターンは考えてあるが、どうなるか。
センバはスマートフォンを取り出し、カワラへ電話をかけた。3コール目で応答がある。
『俺だ。何だよ?』
カワラの声は、どうやら寝起きのようだった。面倒くさそうな感情が声に表れている。
「カワラ。今、家にいるのか?」
『ああそうだけど?』
「アユミはどうしてる?」
『あん? 知らねぇよ』
「知らないって? 今朝一緒にいただろ」
『お前んとこ行ったあの後、すぐ解散したんだよ。あいつ、俺が車のダッシュボードに入れといたピースを勝手に吸っててよ。お前のじゃねぇぞってビンタしてやった。そしたら泣いて帰ってったわ。で、俺も帰って寝てたってわけ』
ピース……煙草か。そうめちゃくちゃに高いものでもないだろうに。殴るのは明らかにやりすぎだ。まあ、かといって女の方に同情もしないが。
「じゃあ今は家に一人でいるってことだな」
『だからなんだっつんだよ、それが?』
カワラはアパートに一人暮らしだ。この状況は都合が良い。
「よく聞いてくれ。カワラに特別な頼み事をしたい」
『あ?』
「例のお得意さんからの仕事でな。お前の協力があれば楽に出来る」
『例の……って、お前。そりゃ絶対やべー仕事だろ』
当然だが警戒するか。このくらいは想定済みだ。
「いや、心配するようなリスクは殆どない。二人ならまず確実に成功するし、報酬もかなり出る」
『報酬ってのは、いくらなんだ?』
「先方は300万は出すと言っている。仕事の出来によっては400でも良いと。カワラ、お前が協力してくれるなら取り分は4:6……いや3:7でもいい」
『ふーん……。で、仕事の内容は?』
「それは言えない。直接会ってから説明する必要がある。聞いてから断る分には問題ない、なかった話になるだけだ。とりあえず、会ってくれないか?」
『……その前に一つ、確認させろ。お前なんで俺に頼むんだ? 手伝うのが俺じゃなきゃならない理由があるってわけでもねぇだろ』
「理由……。友達だからじゃダメなのか」
『ダメだな。だってお前、ぶっちゃけ俺のこと憎んでるだろ?』
「…………」
ここの受け答えは重要だ。奴は餌に食いつきつつある。
「ああ、憎んでるよ。でも感謝もしているんだ。お前がいなかったら、俺はとうの昔に破滅していただろうから。それにさ、他にこんなこと頼める友人なんて俺にはいないよ。……頼むよ、カワラ。俺はただ金が欲しいだけなんだ。金の絡んだことに関しては、お前は信用できると思っている。俺が今こうしていられるのもそのお陰だ。違うか?」
『……へっ、そうかい。わかったよ。とりあえず話は聞いてやる。お前の店に行けばいいのか?』
「いや、店にはいない。今から言う場所に来てくれ」
……釣れた。なんだ、こんなに容易いのか。それもそうか。結局のところ、この男は俺のことを格下の搾取対象としか見ていないからこんな罠にかかるのだ。
『――なんだ、すぐそこじゃねぇか。10分もすりゃあ着くから、待ってろ』
「あ、待ってくれ」
『なんだよ』
「もし仕事が上手くいって報酬が手に入ったら……今朝の50万って話はナシでいいよな?」
『ん、ああ? はっはっは! ……ああ、いいぜ』
電話が切られる。これでいい。後は待つだけだ。
センバはソノダの車に一度戻り、ダッシュボードに入れておいたそれを取り出した。『グロック17』という名前で呼ばれる自動拳銃。元はソノダがスーツの懐に仕舞っていたものだ。調べてみたが間違いなく本物、流石はナイツといったところか。これを使われる前に殺せたことは幸運だったと言って良いだろう。弾が装填されていることは確認済み、つまり引き金を引くだけで撃てる状態だ。
センバは右手に銃のグリップを握りしめ、緊張感と少しの高揚感を胸に、その男がやってくるのを待った。
約10分後、カワラの車が敷地内に入ってくるのが見えた。センバが軽く手を振ると、カワラはこちらに気づいたようだった。
センバの近くで車が停まって、カワラが降りてくる。今朝と同じパーカーを着た恰好だ。ただし、今朝と違ってニット帽は被っていない。
「よう。あれっ、お前だけか?」
「ああ。この後のことは俺から説明するよ」
センバはカワラのほうへ歩いていき、一メートルから二メートルくらいの距離に近づく。
「それ、なんだ?」
カワラが指差す方向にあるのは、地面に横たえてあるソノダの死体だった。もちろん、ビニールシートを被せて隠しているのでそれが死体だと気づかれることはない。
「後で使うものだ。それより、ここに来るまでに誰かに会ったか?」
「いや、誰とも会わなかったぜ?」
「そうか」
「それで、仕事ってのはなんなんだよ?」
そう言いながらカワラはピースの箱を取り出した。煙草を咥え、百円ライターで火をつけようとする。センバは更に相手に近づきながら、腰の後ろに挟んでいたグロックに手をかけた。
「仕事の内容か、簡単なことだよ。死んでくれ」
「あ?」
カワラが煙草から視線を戻した瞬間、センバはグロックをカワラの胸に向けて二連射した。カワラは後ろへ仰向けに倒れて、そのままぴくりとも動かなくなった。センバは銃を相手に向けたまま、ゆっくりと近づく。カワラは驚いた表情のまま、時間が停まったかのようだった。センバは靴のつま先でカワラの身体を小突いてみたが、反応はない。間違いなく、死んでいた。
何年もの間自分を苦しめてきた相手が、死んだ。こんなにも呆気なく。少しは爽快な気分にもなるかと思っていたが、そうでもなかった。
「……なんだ、大したことないな」
浮かべた嘲笑は相手へか、それとも己へ向けたものだったか。
……やるべきことを済まさなければ。
センバは一度カワラの死体から離れるとビニールシートの覆いをそっと取って、ソノダの死体の横にかがみ込んだ。そしてグロックをソノダの右手に握らせようとして……やめた。『こっち』はダメだ。逆側に回り込んで、今度は左手にグロックを握らせる。それからソノダの左手人差し指を引き金に掛け、更に指先を引っ張ることで引き金を引かせる。そうしてあらぬ方向の地面に向けて発砲させた後、薬莢と弾丸を回収した。念のため、弾丸が埋まっていた砂利のあたりは靴でならしておく。
これでソノダの手や袖には発射残渣――銃の発砲時に生じる火薬や金属の粒子――が痕跡として残る。その中から硝煙の付着を検査することがいわゆる硝煙反応ということになる。すなわち、ソノダが発砲したことの裏付けを用意してやったわけだ。警察ならともかくナイツがそこまで検査するかはわからないが、ソノダがカワラを射殺したという手がかりにはなる。一応、センバも手袋を別のものに付け替える。
次は、カワラの死体に近づく。まずカワラが撃たれた際に落とした煙草とライターを回収する。一度口についた煙草は紙箱に戻すよりも後で別の場所に捨てたほうが良いだろう。ライターはカワラの服のポケットに戻しておく。
次にカワラのズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。いつも指紋認証を使ってロックを解除していることは知っている。死体の指でも、死後間もなければ認証には問題ない。問題なくロックを解除すると、電話アプリを確認した。通話履歴の最後はセンバが呼び出したときのものだ。その一つ前が今朝の早い時間帯で、通話相手はアユミだった。デートの待ち合わせの連絡か何かだろう。
センバはカワラのスマートフォンからアユミに電話をかける。何回かコールがあって、アユミが応答した。
『……なに?』
カワラと喧嘩したと言っていたからそのせいだろう、アユミの声はいつもより数段暗い。
「アユミか? センバだけど」
『えっ? どうして……』
「驚かせてごめん。実は今カワラと一緒にいるんだけど、ちょっと君に用があって、彼から電話を借りてかけてる。悪いんだけど、君の連絡先はもう消してしまっていたからね」
『ああ、そうなんだ……』
「今、どこにいるんだ?」
『家だけど』
「家で、一人?」
『そうだよ……?』
「ああ、ごめん。電話したわけっていうのは、彼が君に届け物をしてほしいって言うんだよ……俺にね。また喧嘩したんだろう? 君と顔を合わすのが気まずいんじゃないかな」
『届け物?』
「ああ。何なのかは俺も聞いてないんだけど……忘れ物か何かかな? ごめん、カワラのやつ今トイレに行ってしまって。とにかく、今ちょうど外にいるんで、これから1時間後くらいに君の家に行って大丈夫かな。玄関さえ開けてくれたら、渡してすぐに帰るよ」
『わかった。いいよ』
「ありがとう、それじゃ」
電話を切る。――よし、順調だ。アユミの状況によっては計画を修正する必要はあるが、今のところはほぼ理想形で進んでいると言って良い。
スマートフォンをカワラのポケットに戻す。さて、後やるべきことは……そうだな。車は、敷地の中よりは入り口あたりに停めておいたほうが自然か。後で移動させておこう。
それにやはり、ソノダのスマートフォンは処分しておいたほうが良いだろう。暗証番号のロックがかかっていたから確認することは出来なかったが、店内で話しているときに見ていたことから察するに、何かしら鑑定偽装についてのメモのようなものをスマートフォン内に入れてあると見るべきだ。処分するというのはこの計画においてはリスクでもあるが、放置するには危険すぎる。まあ、少々苦しいが説明がつけられないわけでもない。大した問題にはならないだろう。
――最も重要なのは、やはりこれか。センバはカワラのシャツをめくり、腰の後ろに差してある『それ』を抜いた。ケースに入った、ダガーナイフだ。いつも持ち歩いているから心配はしていなかったが、やっぱり今日も持っていた。
感謝しろよ、カワラ。見せびらかすだけだったご自慢の一品は、俺が有効に使ってやる。
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