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二章『紅き探偵の洞察』-1
その日の20時過ぎ、『江ノ神レジデンス跡』の前に到着した女は、乗ってきた自転車を道路脇に立てると深く息を吐いた。
汗に濡れた額を着ているモッズコートの袖で拭い、シャツの胸元を手でぱたぱたと動かした。乱れた髪を軽く振ってから手櫛で整える。うなじから流すようにばさっと手で払うと、滑らかな赤い長髪が夜風に揺れた。
女の身体つきはメリハリがあり、手足もすらりとして、およそケチのつけようがない見事なプロポーションである。容貌に未だ幼さは残るものの均整の取れた目鼻立ちをしており、類まれな愛くるしさと美しさの両方を兼ね備えている。幸福になるために生まれてきたかのような美しい少女――彼女を見た人の多くはそう感じるだろう。
女は自転車のカゴに入れておいたペットボトル入りのスポーツドリンクを喉を鳴らして飲むと、ようやく一息ついたように言った。
「ぜぇ……はぁ……やっと着いた」
とにかくもう、疲れた。大した距離ではなかったはずなのだが、根本的な問題として体力が貧弱すぎる。
「禊屋(みそぎや)」
声をかけられた方を振り向くと、ウェリントン型の眼鏡をかけた20代後半くらいのスーツ姿の男が立っていた。敷地の中から出てきたところのようだ。
「あ、乃神(のがみ)さん……お疲れ様~……はぁ……はぁ……」
ふらふらになりながら、手をひらひらと振った。乃神は半分呆れたような顔で言う。
「お前のほうがよほど疲れてそうだが……。自転車で来たのか? 言えば車を回してやったんだぞ」
「はぁ……はぁ……そんなに遠くないし、少しは体力つけないとって思って」
「う、うむ……まぁ、無理はするなよ。仕事の前に倒れられてはかなわん」
「おっけーおっけー。それで、はぁ……アレは、中のほうで、見つかったんだっけ?」
「ああ。死んでいるのは二人。一人はナイフで刺され、一人は銃で撃たれている。来てくれ、こっちだ」
乃神からマグライトを受け取り、敷地の中へと入っていく。
女の名は志野美夜子(しのみやこ)。ナイツ夕桜支社の顧問探偵『禊屋』として、トラブルを解決するのが彼女の役目だった。トラブルと一口に言っても内容は多種多様――しかし、中でもとりわけ多いのは、殺しにまつわるトラブルだった。
敷地内に入ると、僅かに動いている人影が二人分見えた。
「先にドクトルに調べてもらっている。大まかな死因と死亡推定時刻くらいはわかっていたほうが調査しやすいだろう。死体の写真は先に撮ってあるから大丈夫だ」
こちらが訊く前に乃神が教えてくれた。
「流石、手抜かりないね」
美夜子は歩きながら言う。夜の闇の中でも、ライトを照らしながら近づいていくと次第に『それ』が見えてくる。
敷地のほぼ真ん中あたりで、二人の死体は互いに足を向け合うように仰向けに倒れていた。東側に倒れているのがパーカーを着た金髪の男。西側に倒れているのがスーツ姿の男、こちらはナイツの構成員だということが既にわかっている。
「スーツの方はソノダという男だ。うちでは主に海外密輸組織との取引などを担当していた。東支部時代からいる、比較的古参のメンバーだな」
乃神が説明してくれる。
「発見されたのは今から2時間ほど前。仕事で外出したきり長い時間戻ってこない、連絡もつかないと報告を受けて、シミズさんに探しに出てもらった。ソノダの支給スマホのGPSは午後3時頃を最後に途絶えていて、その最後の発信地がここだったというわけだ」
「じゃあ、シミズさんが見つけたんだ」
「ああ。死体と現場周りの写真もあの人に撮ってもらっているから、後でデータを貰ってくれ」
何度か一緒にやったことがあるからわかるが、シミズの仕事は丁寧だ。そのあたりの心配はいらないだろう。
パーカーの男の死体の傍らに、60前くらいのセーターを着た太った男が屈んでいた。死体を調べているようだ。その近くでは、スーツを着た30代半ばほどの七三分けの男が立っていて、大型の懐中電灯で死体を照らしてやっている。
「ん……もういい」
検分が終わったようで、太った男が手をサッと上げて言うと、七三分けの男は大型懐中電灯の明かりを消して小型のものに切り替えた。
「おお、やっと来たか」
太った男が美夜子に気づいて、よたよたと立ち上がろうとするので、美夜子はその手を引き起こしてやった。男は「すまん」と言いながら立ち上がって、よれた衣服を整えた。
「こんばんは、ドクトル」
「はいこんばんは。やれやれ、いきなり呼び出されて二件も検死する羽目になるとはな。お陰で晩飯食い損ねちまったよ」
『ドクトル』と呼ばれるこの熟年の男は、ナイツ夕桜支社から依頼を受けている医者の一人だ。昔は警察医として働いていたらしい。白い毛の混じった髭を蓄えており、さながらサンタさんといった見た目である。彼が名乗っている名前は正しくは『ドクトルD』なのだが、Dが何を意味するのかは誰も知らないし、本人に訊いても教えてくれない。
「お前さんも苦労するな、禊屋。どうも今回はちと厄介そうだぞ」
「お呼びがかかった時点で覚悟してた。ドクトルの所見は?」
ドクトルは金髪パーカーの死体を指して言う。
「こっちの男は、胸を銃で二発撃たれとる。9ミリ弾だ。それが死因と見てまず間違いないだろう。他に目立った外傷もない。ま、後頭部に小さい打撲痕はあるが撃たれて倒れた時のものだろう。あと、銃創の周囲には僅かではあるが放射状に煤や火薬といった残渣物の付着があるようだな。接射ではないが、1メートル以内の至近距離で撃たれた可能性が高い」
「即死だった?」
「おそらくな。死亡推定時刻は午後1時から3時の間ってところだ。後でもっと詳しく調べちゃみるが、多分ほとんど変わらん。見たままで、なんとも面白みのない死体だな」
「も~、すぐ問題発言する」
ドクトルは今度はソノダのほうを指す。
「こっちは少しは面白いぞ。禊屋、どこが面白いかわかるか?」
「うぇ、また死体クイズ~? 相っ変わらずだねぇ~、このお爺ちゃんは」
「はっはっ。わざわざお前さんが来るまでそのままにしておいたんだ。ジジイの戯れに付き合っておくれ、お若い娘さん」
呆れながら、美夜子は屈んでソノダの死体を観察することにした。気になる箇所を、順にマグライトで照らしていく。
この死体で目を引くものといったら、やはり首筋に刺さっているこれだろう。本人から見て左側首筋に深々とナイフが突き刺さっている。刀身の両側に刃がついている、ダガーと呼ばれるタイプのナイフだ。どれほどの深さで刺さっているかは抜いてみないとわからないが、ナイフのサイズ感からして10センチ近く刺さっているように見える。致命傷とするには十分すぎるくらいだ。ナイフの刃幅は2センチほどだが、傷口はそれより一回り大きく開いているように見えた。出血は既に止まっているが、傷口の隙間から溢れ出た血が首の後ろ側に向かって垂れ、その真下の砂利を濡らしたと思われる痕跡が確認できた。
別の部分に目を向けてみる。ソノダは左手に銃を握っていた。グロック17、扱いやすい9ミリ口径のハンドガンで、好んで使う構成員は多い。左手の人差し指は銃の引き金に掛かっている。顔を近づけ、臭いを嗅いでみると、ほんの僅かではあるが硝煙のような臭いがした。左手の指を触ってみると、まだ硬直はしていないようで動かせた。
「ふぅん……」
スーツのジャケットはボタンがかかっていない。ジャケットをめくると、ヒップタイプのガンホルスターを着けているのがわかった。腰に巻くように装着し、銃を安全に保持するためのものだ。銃の差し込み口は右側の一つだけで、右利きを想定した製品であることがわかる。
では右手はどうだ? ソノダの右手は閉じている。いや、よく見ると、しっかり閉じている薬指小指と比べると、親指、人差し指、中指は少しだけ開いているように見える。触ってみると既に硬直しているようで、少し力を加えた程度では、ソノダの右手の指は動かなかった。臭いを嗅いでみたが、こちらから硝煙の臭いはしない。
「……うん、なるほどね」
美夜子は立ち上がって言った。ドクトルが尋ねる。
「どうだ、わかったか?」
「面白くはないけど、妙なところはあるかな」
「ほう、教えてくれ」
美夜子は「まず一つ」、と人差し指を立てる。
「ソノダさんは右利き用のホルスターを使っているのに左手に銃を握っている。しかも硝煙の臭いがしたから発砲した形跡もあった。一方で、右手のほうは何かを握っていたみたいに見える」
「それをどう見る?」
「二通り考えられるかな。一つは、ソノダさんは右手に何かを持っていたから、左手で銃を使った……でもこの説には少し問題がある。普通、銃の扱いっていうのは利き手じゃないと難しいものだから、よほどのことがない限り利き手で持つようにするはず。まぁ、その時の状況や右手に握っていたものが何なのかによるけどね」
「なら、もう一つが本命ってわけだな? 聞かせてもらおうか」
「ズバリ、左手の銃は犯人の事後工作。多分、犯人も可能なら右手に銃を持たせたいとは思っていたはず。でも、ソノダさんは右手に何かを握り込んだ状態で死んだために、犯人は右手に銃を持たせることが出来なくなった。手先に死後硬直が及ぶのは普通、10時間から12時間ってところ……冬の夜であることを考慮するともっと遅くなってもおかしくない。ただ、人は何かを握った状態で暴力的な死を迎えると、死後すぐにでもその手が硬直してしまうことがある。おそらくソノダさんの右手にも同じことが起こっていた。犯人は頑張って、なんとか何本かの指を開いて握っていたものを取り出すことは出来た。けれど銃を握らせるのは流石に不可能だと判断して、仕方なく、まだ硬直が始まっていない左手に銃を持たせることにした。きっと、ソノダさんがこの金髪の人を撃ち殺したように見せかけるために。……って、ところかな?」
ドクトルは満足げに頷いた。
「見事だな。俺もほぼ同じ意見だ。銃を持たせて引き金を引かせてやればいいだけだから、硝煙反応の偽装は難しいもんじゃない。撃った弾丸と薬莢は回収して、別の場所で捨てればいい」
「あとは、死因だと思われる首の傷口にも偽装の痕跡があるね」
美夜子はソノダの首筋を指して言う。
「傷口から垂れている血液。これは首の後ろ側に向かって流れている。すなわち、ソノダさんが仰向けに倒れてからの出血ということになる。そこまではオーケー。ただ、刺さっているナイフの刃幅よりも傷口が大きい。このナイフを用いた一刺しで殺害したのなら、傷口はナイフとぴったり一致していなければおかしい。刺された際に被害者が暴れたりしたことで傷口が広がるということはあり得るけれど、今回は違う。首筋という部位にこの深い刺し傷……死の直前あるいは直後にこの傷口が出来ていたとしたら、刃の隙間から飛沫のように激しく出血していたはず。この程度の出血で済んでいるのは、血液の循環が止まった後だったから。つまり、傷口は死後時間が経ってから広げられたと考えられる」
「なるほど、ではどういうことになる?」
「このダガーナイフは一度つけられた傷に刺し直されているということ。ソノダさんの命を奪った本当の凶器は、別にある。同一のナイフを同じ場所に刺し直す合理的な理由は思いつかないから、まずそれだと思う」
そこまで説明すると美夜子は立ち上がって、「いかがなもんです、先生?」と軽く頭を傾けた。ドクトルは笑って、お手上げのポーズを取る。
「うぅむ。流石だな、禊屋。いっそ探偵をやめて法医学者を目指したらどうだ」
「やめとく。仕事で死体ばっかり見てると気が滅入りそう」
「探偵も似たようなもんだろ。まぁいい、冗談は置いといて話を戻そう」
ドクトルはご自慢らしい髭を撫でつつ言う。
「お前さんの言ったように、ガイシャの首の刺創には不審な点がある。他にそれらしい傷は見当たらないから、それが致命傷なのはほぼ間違いないがな。この後、ナイフを抜いて詳しく調べてみるつもりだが……ざっと見た感じ、その傷口は内部を抉ったように広げられとるようだ。ナイフを刺した状態で、こう……刃をぐりっと捻ったような感じだ。犯人はどうしてこんなことをしたと思う?」
「うーん……多分、こういうことじゃないかな。ソノダさんは最初は別の凶器で刺し殺されて、その凶器が蓋となって出血は殆どなかった。犯人はその後、今刺さっているこのダガーナイフを真の凶器だと思わせようとした。ただし、一度刺した傷口へ同じようにナイフを刺し直すことはかなり難しい。刃先の角度なんかが少しズレただけで、刺し直した傷だということは調べればすぐにわかる。単純に刺し直しただけでは、傷を調べられたらバレると犯人は考えた。そこで、傷を抉って広げてから、ダガーナイフを刺し直すことにした。そうすれば、あたしがさっき言ったみたいに殺害時に暴れたせいで傷が広がったのだと思わせ、凶器のすり替えを誤魔化せると踏んだから。でもそのせいで不自然な出血が起こり、証拠を残してしまった……」
ドクトルは両腕を組んで頷いた。
「そんなところだろうな。実際のところそうされちゃあ、傷口とその内部は荒れちまって凶器の形状をはっきりと割り出すのはかなり困難だ」
「でも、犯人の意図は推測できる。左手に握らされた銃、それに刺し直されたナイフ……犯人はおそらく、この二件の殺人を相討ちだと思わせたかった」
「金髪がソノダをナイフで刺し、ソノダが金髪を銃で撃った……ってことか。ふん、それならこのナイフは元々金髪の持ち物だと考えるのが妥当だな。指紋もついてるだろう。じゃなきゃ、わざわざ凶器をすり替える意味がない」
「あたしも同意見。ちなみにこのナイフ、入れ物っていうか、ケースは付いてたのかな?」
「シミズ君が回収しとる。後で写真を見せてもらうといい。まあ俺も見たが、普通のケースだ。ここ……二人の死体の間あたりに落ちとった」
ドクトルが砂利の上を指して言う。
「ナイフを抜いたら俺から鑑識班に回しておこう。わかりきったことでも、裏付けは必要だろ」
「助かるよ。ちなみに、ソノダさんの死亡推定時刻はわかる?」
「金髪と殆ど同じってところだ。ただし、こちらのほうが少し早くに死んでいた可能性は認める。ほぼ同時というところから、長くて1時間ほどの差があると思ってくれ」
「先に殺されていたとすれば、それはソノダさんのほうってことだね。……死体が移動された可能性ってどうかな?」
「金髪のほうは動かされた形跡はほぼない。ソノダは少し微妙だな。犯人が気をつけて運んでいれば可能性としてはあり得る」
ソノダは別の場所で殺されたかもしれないということか。
美夜子は金髪パーカーの死体を見て言う。
「ところで今更だけど、この金髪の男の人は誰なんだろう? 身元がわかるものとか持ってなかったのかな?」
「それなら、シミズ君がもう調べてあるそうだぞ」
ドクトルが言うと、先程から近くにいた七三分けの男が一歩前に出た。彼がシミズだ。
「どうやら、私の出番のようですね」
「お疲れ様、シミズさん」
「こちらこそ、ご足労いただきありがとうございます。禊屋さん」
シミズは30代半ばほどに見えるが、この業界に入って今年で15年目のベテランだ。東支部時代から夕桜支社を支える古参メンバーの一人である。たれ目で優しげな雰囲気であるのと、実際に物腰も柔らかいため意外に感じるが、彼は所属ヒットマンを除く夕桜支社の構成員の中では最も優れた射撃の腕を持っている。去年にあった夕桜支社内の射撃大会では優勝していたし、過去には東支部の前支部長を単独で護衛し、Bランクのヒットマンの襲撃から守り抜いたこともあるとか。
「最初に二人の死体を見つけたのはシミズさんなんだよね?」
美夜子の問いにシミズは頷く。
「はい。今から2時間ほど前……6時頃ですか。乃神さんから頼まれ、ソノダを探しにきました。GPSの発信記録の、最後の地点がここだったんです」
「それなんだけど、ソノダさんの支給スマホって……」
「遺体の所持品、敷地入り口側にあった車の中も探してみましたがありませんでした。連絡しても電源が入っていない扱いであることからして、ソノダのスマホは処分されてしまった可能性が高いですね。ただ、その処分の痕跡は見つけました。あっちです」
シミズに促され、敷地の隅の方に移動する。そこには大人二人くらいは入れそうなドラム缶が置いてあった。
「敷地内の鉄骨やパイプなどの資材類はアパートの解体作業が終わった数ヶ月前から放置されているようです。このドラム缶もそうでしょう、他に同じようなものが沢山ある。この中でスマホらしきものが燃やされていました。よく見ると、それらしき痕跡がわかるかと思います。ソノダのスマホかは見ただけではわかりませんが、燃え尽きてからまだそんなに時間は経っていないようですし、ここで燃やされたものと見るべきかと」
中を覗き込みマグライトで照らすと、なるほど、底の方に燃え残ったスマホのフレームパーツのようなものが見える。
「スマホって燃やせるもんなんだ」
「一般的な処分方法とは言い難いですが、灯油や着火剤を使えば出来なくはないでしょう。辺りの枯れ草を集めれば火の勢いを強める焚き付けにも使えます。電池が破裂する恐れもありますが、頑丈なドラム缶の中なら問題ない」
「燃やされていたのは、ソノダさんのスマホだけ?」
「ええ、もう一人の金髪――カワラという男なんですが、そっちのスマホは無事でした。スマホケースに免許証と保険証も入っていたので、名前と住所はわかっています」
シミズがカワラの情報を伝えてくれる。本名は川良研太(かわらけんた)、30歳。自動車工場で勤務しており、この現場からほど近いアパートに住んでいるらしい。
「ソノダさんとの繋がりがあった人?」
「少なくともうちの仕事で関わることはなかったと思いますが……」
個人的な付き合いだったとすればわからない、か。
シミズは更に話を続ける。
「それと……これはソノダとカワラの二人ともなんですが、財布を盗られたようで見当たりません」
「財布も失くなってるんだ」
「ええ。それにあと一つ、ソノダの持ち物から失くなっていると考えられるものがあるんです」
「それは?」
「ダイヤモンドです。先日うちが壊滅させた強盗グループが所持していた品で、昨日から鑑定に出していました。ソノダは今日、それを受け取りに行くはずだったんです。GPSの発信記録を辿ってみると、彼はたしかにこの現場に来る直前、鑑定を依頼した店に立ち寄っています。しかし、持ち物の中にダイヤモンドが見当たりません」
「誰かに持ち去られた可能性が高いってことか……」
そうなると少し厄介かもしれない。犯人だけでなく、ダイヤも見つけなければならなくなるかも。
「……ソノダさんはここに来る前に、その鑑定を依頼した店に行った。その店からここに来るまで、どこかに立ち寄った形跡はある?」
「いえ、ありませんでした。ルート的に彼は真っ直ぐにここまで来ています。こんな場所に用があったとは思えないんですが……支社のビルとも離れているし」
「ふぅん……シミズさん、その店の場所、後でメッセに送ってくれる? 調べに行くから」
「わかりました」
そこで、シミズのスマホが鳴り出す。電話のようだ。
「すみません。少し失礼します」
「うん。後で必要になったらまた訊くよ」
シミズと入れ替わるように、今までドクトルと話していたらしい乃神が近寄ってくる。
「どうだ禊屋。目星くらいは付きそうか?」
「うーん……その前に少し整理しておきたいかな。乃神さん、付き合ってくれる?」
「ああ、いいぞ」
美夜子は乃神と一度、被害者たちの死体の側まで戻ると、向かい合い、事件のポイントを辿り始めた。
「殺されたのはうちの構成員であるソノダさんと、近くに住んでいるカワラさんという人。この二人の関係性はまだわかっていない。ソノダさんはナイフで首を刺され、カワラさんは銃で胸を撃たれていた」
「ドクトルから聞いたが、お前の見込みでは、二人は相討ち殺人に見せかける形で殺されたということだったな?」
「うん。ソノダさんの死体の状態からしてそうだと考えられるけど……まだ幾つか問題もあるんだよね」
「ああ。その説だとすると、犯人の行動には矛盾が生じる」
乃神はこちらの言わんとするところを上手く汲み取ってくれる。
「矛盾の一つは財布やダイヤが盗まれていた件についてだ。犯人が相討ち殺人に見せかけようとしたのなら、二人の被害者の所持品はそのままであるべきだ。現場から失くなったものがある、それはすなわち死んだ二人以外の誰かがそこにいたという証拠になってしまうのだからな」
「うん、あたしもそう思う。でも考え方によってはあるかもしれない」
「考え方とは?」
「例えば、二人が相討ちで死んだ後、誰かがここに入って死体を見つけたとする。その人が悪知恵を働かせて、財布とダイヤを盗んだとしたら、一応は筋が通るよね?」
「……まぁ、あり得ないとまでは言えないな。犯人は我々がそう都合よく推理してくれるのを期待して、いただくものはいただいたというわけか? だとしたら、なかなか図太いな」
乃神は半ば呆れたように肩をすくめた。
「ではもう一つの矛盾についてはどう解釈する? ソノダのスマホはドラム缶の中で焼かれていた。これは中の基盤を完全に破壊し、データ復旧もさせないための手段だと考えられる。火事場泥棒にそこまでする理由はないだろう」
「その通り。第三者の泥棒のせいにするのは無理がある。でも、カワラさんが処分した可能性はあると思う」
「もう一人の被害者が?」
「そもそも、犯人はこの相討ち殺人のきっかけについて、どういう経緯を想定していたんだろう? それが強盗だったとすればどう? カワラさんがダイヤについて知っていたかはともかく、目をつけたソノダさんに暴力をつきつけて金品を奪おうとした。そして思わぬ抵抗に遭い殺害を試みるも、結果は相討ち」
「ふむ……。犯人の想定したストーリーとしては、あるかもしれないな」
「もっとディテールを詰めてみよう。ソノダさんはたまたまこの敷地の入り口あたりに車を停めて休憩していた。たしか、すぐそこに自動販売機があったよね。飲み物でも買っていたのかも」
自動販売機は来るときに見たから覚えている。その近くに支社管理の車――ナンバーを覚えている――と見知らぬ青い車が並んでいた。おそらくあれらがソノダの使用していた車とカワラの車だろう。
「カワラさんは車の中からソノダさんに目をつけた。彼は近くに住んでいて、この辺りは人気がないことを知っていた。そこで、強盗というかカツアゲというか、とにかく脅して金品を奪うことを考えた。近くに車を停めて近寄ると、ソノダさんの背後からナイフを突きつけて、この敷地の中に入るように強制した。なぜなら敷地内は工事用フェンスで区切られていて、なおのこと人目につきにくいから。敷地内に入ると、まずカワラさんはソノダさんのスマホを奪い、焼却処分した。これはソノダさんを解放した後、すぐに警察を呼ばれないようにするため」
「なるほど……通報を警戒して携帯電話を使えなくさせるのは実際の行きずり強盗でもある手口だな。大抵は一度回収して別の場所に捨てるか、その場で水に沈めるかのどちらかだが」
「うん、その場で燃やすという行為は少しやりすぎ感あるね。犯人はその不自然さも承知でやったのかもしれない。それだけ犯人にとって処分しておきたい何かがソノダさんのスマホの中にあった、とか」
「それがわかれば犯人に一気に近づけそうだな。だがどうする? 水濡れ程度ならともかく、基盤が完全に燃えてしまっていてはアリスでも復旧は不可能だぞ」
「まぁ、そこはなんとか他のとこから攻めるしかないかな。カワラさんのスマホは無事みたいだし、そっちはアリスに調べてもらうよ」
アリスはコンピューター関係のプロフェッショナルだ。スマホのロック解除くらいは片手間にやってのけてしまう。
「禊屋、もう一つ気になっていることがあるんだが……」
「何でしょ?」
「ソノダは死んだとき、右手に何かを握っていたらしいな。それについてはどう思う?」
「重要だと思うよ。犯人は硬直していた右手を無理に開いてまで、握っていた何かを回収した。つまりそれだけ犯人にとって大事、もしくは致命的な何か、ってことでしょ? 今のところは、それが何なのかは想像もつかないけど……」
「そうか。俺からはそれくらいだが……他に話しておきたいことはあるか?」
「うん、今はこれで充分かな。付き合ってくれてありがと、乃神さん」
乃神は「ああ」と素っ気なく返した。
「それで、これからどうするんだ?」
「とりあえず……まだ見てないところを調べたいな。被害者二人の車の中とか。それが終わったら、ダイヤの鑑定を依頼していたっていう店に行ってみようかな」
「俺も行こう。もしもそこの人間が犯人だったとしたら危険だ」
「いや、大丈夫だよ。話を聞くだけだし、下手に刺激するようなことはしないから。それより乃神さんはカワラさんのスマホをアリスに届けて、一緒に必要そうなデータを探しておいてくれる?」
「……わかった」
「あれ、何か一瞬躊躇があったような」
美夜子は乃神が眉根を寄せるのを見逃さなかった。
「あっ、わかった! またアリスにだる絡みされるから嫌なんだ。アリス、乃神さんに懐いてるもんなぁ~……まぁ、あたしの次にだけど?」
美夜子はくふふ、と笑う。特殊な立場であるアリスと自由に会うことが出来るのは夕桜支社の人間でもほんの一部である。美夜子や乃神はその数少ないうちの一人だ。まだ幼いアリスのことだ、彼女が心を開ける人間が一人でも多いに越したことはない。――と、美夜子は思う。
乃神はため息をついて、かぶりを振った。
「誤解しているようだが、俺は別にアリスのことが苦手なんじゃない。仕事で接しているだけなのだから、好きも嫌いもないだろう」
「そんなこと言って、いつもなんだかんだアリスには甘いじゃん。あっちも歳の離れたお兄ちゃんみたいに思ってんじゃないかな~」
「禊屋……」
「はいっ、すみません」
マジで鬱陶しそうなトーンだったので、敬礼ポーズで謝っておく。
「さてさて、じゃああたしは車を見に行ってこようかな……っと」
美夜子は敷地入り口側に向かって踵を返そうとする――そのとき、視界の端に妙なものを捉えた。
「んっ……? なんだこれ」
足を止め、屈み込む。視線の先は、倒れているソノダの革靴だった。
「どうした、禊屋?」
乃神が尋ねる。美夜子は右足の靴底を指した。
「これ見て乃神さん。何だと思う?」
靴底の踵側に、半径およそ1センチくらいの大きさで、白い粉のようなものが付着している。
「小石か何かを踏んで削った跡じゃないのか?」
「うぅん。石……とは少し違うような……」
美夜子は指先でその粉を少し削って、手の平に落とす。まだ少し固い塊のようなものが残っているようだ。マグライトの光を当て、近くで観察する。
「あっ……もしかしてこれって……」
「わかったのか?」
「…………陶器の欠片?」
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