二章『紅き探偵の洞察』-2

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二章『紅き探偵の洞察』-2

 質屋『千羽堂』の店内。店主以外には誰もいない、静かな空間に、壁掛け時計の秒針の音が響いていた。  店主のセンバは応接用のテーブルに座って、スマホを見ている。空いた手では落ち着かないようにカーディガンのボタンを弄っていた。今の時刻は21時40分。ニュースサイトを幾つも巡回してみたが、未だに『江ノ神レジデンス跡』の殺人については報道がない。まだ見つかっていないのか、それとも、既にナイツが関与し始めているのか……。  ……どちらにせよ、今は相手の動きを待つ時だ。打てるだけの手はもう打ってある。焦っても仕方がない。その時が来たら、落ち着いて対処するだけ。簡単なことだ。  ドアベルが鳴った。――客? もうじき閉店という、こんな時間に?  入り口のドアがゆっくりと開いて、少女が店に入ってきた。珍しいほど綺麗な赤髪が目を引くが、その容貌は一線級のモデルや女優と比較してもそのトップ層に入り込めるであろう美少女だった。歳の頃は二十歳に満たないくらいか。こんな場末の店には不似合いだった。 「あっ、どうもこんばんは」  こちらに気づいて、少女が軽く頭を下げた。それだけで好感が湧くような、素直な所作だった。 「いらっしゃいませ。何かお求めで? それとも、査定のご依頼でしょうか」  センバはスマホを仕舞って少女の前に出ていき、いつもどおりの応対をする。 「ああすみません。あたしは客じゃないんですけど……というか、ご迷惑でしたよね。こんな時間に」 「いえそんなことは。夜10時までは営業しているんですよ」 「10時まで。ええっと今は――」  時計を確認しようとしたのだろう、少女がスマホを取り出したところでセンバは、入り口ドアの真上に掛けてある壁掛け時計を指して言う。 「今は9時40分です。ギリギリセーフですね」  収まりがよくてそこに掛けてあるのだが、客にとっては気づきづらい位置らしい。場所を変えたほうが良いだろうか。 「あっ、ほんとだ。よかった!」  少女はスマホの時計と壁掛けの時計のどちらも見て、安心したように言う。電波で調整される仕組みなのでズレもないはずだ。 「それで、お客様ではないとおっしゃっていましたが……すると私に何かご用でしょうか?」 「そうそう……お話を聞かせてもらいたいんですよ」  少女は目にかかった前髪を手で払うと、こちらを真っ直ぐ見て言った。 「あたしは禊屋。ナイツの探偵です」 「ナイツの……探偵?」  センバは思わず目を見開いた。そろそろ来る頃ではないかとは思っていた。ナイツが事件に気づき、調査を始め……ここにも調査員を派遣してくることまでは予想がついた。しかしこんな、年端もいかぬ少女が探偵だと?  禊屋と名乗った少女が話を続ける。 「ナイツのことは知っていますよね。5年ほど前から、うちの鑑定依頼を引き受けてくださっていると聞いています」 「ええ、まぁ、そうですが。探偵、というのは……?」 「あたしはある事件の調査をしています。実は、こちらに鑑定依頼を出していたソノダという担当者なんですが、彼が死体で見つかりました」 「えっ……ソノダさんが?」  驚いたような顔をしてみせる。あまりオーバーに反応する必要もないだろう、却って怪しまれる。こちらにとってはただの顧客で、とくに思い入れもない相手だ。 「どうして亡くなったか、お訊きしても?」 「殺されていました。首にナイフを一突きです」 「それは……恐ろしいことですね。それで、あなたが調査をしていると?」 「そうなんです。どうやらソノダさんはこのお店に立ち寄った後、すぐに死体発見現場に向かっているらしいんです。それで、あなた――ええと」 「店主のセンバです」 「センバさん。あなたが何かご存知じゃないかと思ったんですよ」 「そう言われても……」  ……ここに立ち寄った後、すぐに現場に向かった? なぜそんなことがわかる? ソノダの足取りを把握しているかのような言い方だ。……いや待て、そうか。おそらくスマホか何かのGPSを辿ったのだ。ナイツなら構成員の動きを監視しておくくらいのことをしていてもおかしくはない。……危なかった。あの場でスマホを燃やしたのは正解だ。一度持ち去って別の場所に捨てようなどとしていたら、すぐに足がついていた可能性がある。 「どうかしましたか?」  考え込んでいると、禊屋が様子を伺うようにそう言った。表情は穏やかだが、こちらを観察するような隙のない目つき。そしてこの話しぶり……思ったより油断できない相手かもしれない。 「その、死体を見つけた現場というのはどこのことでしょうか?」 「あれ? 言わなかったですっけ」 「聞いてませんね」 「それは失礼しました。ソノダさんの死体はここから東に2キロほど離れた場所、『江ノ神レジデンス』というアパートがあったのを覚えていますか? 今は更地になっているあそこです」 「ああ……あそこですか。大きなアパートだったので覚えていますよ。たしかに、ひっそりとしていて犯罪にはうってつけの場所かもしれませんね」  この女……引っ掛けにきている。あえて現場についての情報を伏せ、こちらがボロを出さないか見ていたのだ。同時に発見されているはずのカワラの死体についてまだ一言も触れていないのも同じ理由だろう。なるほど、既にこちらに容疑はかかっているわけだ。だが、その程度の罠に引っかかるはずもない。  禊屋が確認するように尋ねる。 「ソノダさんは今日の昼過ぎ、昨日鑑定を依頼したダイヤモンドを取りに来たんですよね?」 「ええ、いらっしゃいましたよ。約束通り午後1時に来店されたので、ダイヤモンドをお渡ししました」 「そのダイヤ、いくらくらいの値打ちがつく代物だったんですか?」 「国内での相場で言うと、およそ500万というところですね。その旨を記述した鑑定保証書をお渡ししたはずですが」 「あっ、すいません。まだ見てないんですよ。というのも、ダイヤと一緒に盗まれてしまったみたいで」  禊屋はお手上げというようにわざとらしく両手を上げる。 「では強盗殺人ということですか?」 「可能性はありますね。――ソノダさんが店を出たのは何時頃でした?」 「ええと……2時前でしたかね」 「結構長くいましたね」 「ダイヤモンドの引き渡しが終わってから話が弾んだんですよ、それで長居させてしまった。監視カメラの映像でもあれば証明が出来たんですけどね。うちでは使っていないので」 「ああ、見かけないと思ったけど、やっぱり監視カメラはないんですね。でも、質屋さんって結構高価なものを扱いますよね。不安じゃありませんか?」 「もちろん、防犯装置は入れていますよ。鍵のかかったドアをこじ開けたり、ショーケースを割ったりしたら警報が鳴って通報されるようになっています。あとショーケース自体が防犯仕様なので、鍵がなければ簡単には開けられないようになっています。質入れされたものや、鑑定を依頼された物品を日を跨いでお預かりする時には、奥の部屋の金庫に入れていますし」 「なるほど、それなら安心ですね」  監視カメラを導入していなかったのは幸いだった。もし殺害の瞬間の映像が残っていたら、消去するための言い訳を考えなければならないところだ。 「ソノダさんと話が弾んだとのことですけど、どんな話をしていたんですか?」 「大したことじゃありませんよ。最近の宝石市場の傾向についてとか、そういった雑談です」 「ふぅ~ん……なるほど、ありがとうございます」  禊屋は納得したのかしていないのか、よくわからない反応を返す。 「ソノダさんは、店を出たらその後どこに行くつもりか、何をするつもりか、なんていう話はしていませんでしたか?」 「あーどうだったかな……。多分、していなかったと思いますけどね」 「そうですか……ちなみに、センバさんはその後どうされましたか?」 「私ですか? 店にいましたよ。ただ、昨夜遅くまで鑑定保証書作成の作業をしていたので、とても眠くなってしまって。仮眠をとる少しの間、店を閉めていました」  あまり客は来ない店ではあるが、もしも不在中――犯行の最中――に誰かが来ていたとしたら、ここで『普段どおり店を営業していた』と嘘をつくことはリスキーすぎる。この答えが一番無難だろう。  禊屋は「そうでしたか」と頷くと、何かを思い出したように、 「あっ、じゃあ……これを見てもらえますか?」  スマホを取り出し、少し操作してから画面をこちらに向けた。 「これは……」  画面に映し出されていたのは、カワラの顔だった。正確には、カワラの免許証を撮影した写真だ。 「この人物について、ご存知ですか?」 「……そりゃ、知っていますよ。このカワラという男は友人です。高校の同級生でした」 「ああ……そうだったんですね。カワラさんと、ソノダさん……面識はあったと思いますか?」 「二人が、ですか? 面識がある……と言えるほどかはわかりませんが、何度か顔を合わせたことはありますよ」  嘘だ。だがそれを確認する術はないはず。 「カワラはよくこの店に来るんです。何も買うわけでもない、査定を頼むわけでもないのに、ただの暇潰しで。それでソノダさんと偶然鉢合わせになることはありました。カワラはなんというか……その、簡潔に言うとガラの悪い男ですから、ソノダさんにいきなり因縁をつけて喧嘩寸前になったこともありましたよ」 「なるほど……そんなことがあったんですね」  禊屋は眉間を指でなぞりながら、何か考え込んでいる。 「カワラさんは、今日ソノダさんがこの店に来ることを知っていましたか?」 「……知っていました。今朝も――あれは毎朝の掃除が終わった後でした。いつもみたいにうちに来たんですよ。嫌味なことに彼女連れでね。その時に話したような覚えがあります。今日は例のお得意様が物品を受け取りに来るから早く帰れ、と」  それを聞いて、禊屋は神妙な顔つきになる。 「……じゃあ、カワラさんはソノダさんが店に来ることを知っていた。それも、何か高価なものを受け取りに来るということも把握していたんですね?」 「そうなりますね……待ってください、さっきから何なんです? どうしてカワラのことばかり……」  自然な問いかけだ。怪しまれる要素はない。禊屋は観念したように言う。 「……すみません。言っていなかったんですが、実はソノダさんの近くで、もう一人死んでいるのが見つかったんです。それがカワラさんで……」 「…………」 「……あまり、驚かないんですね」 「ああ……いえ、驚いてはいるんですよ。どちらかというと、困惑しているというほうが正しいですが。ただ、なんというか……私とカワラは友人ではありましたが、私は正直に言って、何もかも自分本位で物事を進めようとする彼のことは好きじゃなかった。だからでしょうか、自分でも意外なほど動じていません」 「……なるほど、そういうこともありますよね」  仲良しなフリをしたところで、調べられればすぐにバレるだろう。ここはこれくらいの態度でいるのが正解だ。 「カワラは、なぜ死んだのですか?」 「銃で二発、胸を撃たれていたんです。殺害に使われたと思しき銃は、ソノダさんの手に握られていました。彼が普段から持ち歩いていた銃であることもわかっています」 「えっ……? じゃあ、ソノダさんがカワラを殺したということですか?」 「そう思いますよね。それで、ある写真を見てほしいんですけど……ソノダさんの殺害に使われたナイフを写したもので、傷口に刺さったままなので……」 「大丈夫です。見せてください」  禊屋がスマホに写真を出し、こちらに見せる。深刻そうな表情を浮かべて、センバは答えた。 「ああ、これは……カワラのダガーナイフですね。彼、よく見せびらかしていたんですよ」 「やっぱりそうでしたか。鑑識班からの報告で、彼の指紋が付いていたそうなのでそうだろうとは思っていましたけど」 「どういうことなんです? 二人が、お互いの武器で殺されているなんて……まさか、相討ちになったということですか?」 「センバさんのお話から組み立てると、カワラさんはソノダさん相手に強盗を企てた可能性があります。帰ったふりをして、ソノダさんがこの店に来るのを待った、そして出ていくのを尾行した。ソノダさんがなぜ『江ノ神レジデンス跡』にいたのかは判然としませんが、敷地入り口近くには自動販売機がありました。どこかへ向かう途中で立ち寄って休憩していただけなのかもしれません。カワラさんはそのタイミングで、ソノダさんに暴力をちらつかせ金品を脅し取ろうとした。しかし、思わぬ抵抗に遭って、その結果が相討ち殺人」 「なるほど……」 「――と、考えられそうなんですが、それは間違っていると思います」 「えっ?」  禊屋は更に続ける。 「カワラさんの方からソノダさんに接触しようとした、この部分についてはあるかもしれません。でも、お互いが殺し合ったというのは犯人がそう見せかけただけ、というのがあたしの見方です」 「……そう思うだけの根拠があるんですか?」 「実は、沢山あるんです」  禊屋はそう考える根拠を次々と並べ立ててみせた。ダイヤや財布が盗まれていたこと。ソノダは右手に何かを握っていたために、犯人はそれを回収し、銃も左手に握らせる必要があったこと。ソノダの首筋の傷は抉られるように広がっており、ダガーナイフはソノダの死後しばらくしてから刺し直したもので真の凶器はおそらく別にあるということ。いずれも、二人が死んだ後、現場に悪意ある何者かがいたことを示している。 「……すごいな。今日死体が見つかったばかりなのに、そこまでわかるものなんですか」  感心したようにセンバが言う。いや、実際、これほどの速さでそこに辿り着くのは見事だ。――もっとも、それもまだ計画の内ではあるが。 「そういえば……今日の午後、カワラに電話したんですよ」 「えっ? そうなんですか?」 「はい。まぁ、大した要件じゃなかったんですが」  まだカワラのスマホは調べられていないようだが、カワラを現場に呼び出すために電話をした以上、通話履歴に残ってしまうのは避けられない。表示上の履歴だけ消しても却って怪しい。後になって話すより、先んじて報告したほうが疑われずに済む。もちろん、真実を話すわけではない。  センバはテーブルの引き出しに入れておいた、ニット帽を取り出した。 「今朝、カワラが店に忘れていったものなんです。このテーブルの下に落ちていて、私も彼が帰った後になって気づきました。まあいいかとその時は放っておいたんですが、ソノダさんが帰ってから一息ついたので、私から連絡したんです」 「その時、カワラさんはなんて言ってました?」 「帽子は今度取りに行くと。後は……他愛もない雑談を少しだけ。今朝連れていた彼女のこととか。でも、妙に落ち着きがなかったような気がします。電話も打ち切られるように向こうから切られてしまって」 「……なるほど。覚えておきます」  そう、このもっともらしい嘘をつくために、わざわざカワラの車のダッシュボードに入っていた帽子を見つけて、持ってきたのだ。カワラの持ち物ならなんでもよかったのだが、この帽子は何度か着けているのを見たことがあるし、今朝も着けて店に来ていたからうってつけだった。 「ちなみに、二人が殺されたおおよその時間というのはわかっているんですか?」  引き出せる情報は引き出しておくべきだ。相手がどこまで把握しているのか、知っておく必要がある。 「遺体の状態だけ見た場合の死亡推定時刻は二人とも、午後1時から3時の間だそうです」 「私が電話したのは、たしか2時頃でした。私が電話したすぐ後にカワラは殺されたということですか……」 「そうかもしれませんね……」  禊屋は少しの間考え込んでいたようだが、やがてセンバに向かって言った。 「さて……とりあえず訊きたいことはこれで終わりです。ご協力ありがとうございました」 「ええ。その調子で、犯人を捕まえられることを祈っていますよ。禊屋さん。いや、別に捕まえるわけではないんですかね?」 「さぁ……あたしはただ、犯人を見つけるのが仕事なんで。そこから先のことは」  両手をひらひらと振って「知りません」とジェスチャーする。そうは言っても、予想される犯人の末路はそれほど多くはない。処刑されて終わりならまだマシというところだろう。 「――ああ、それにしてもセンバさん。あなた、ちょっと変わってますね」 「はい?」  不意の話題転換に、センバは戸惑う。禊屋は愛嬌たっぷりの、しかしひとすじの冷気を含む笑顔をセンバに寄せて言った。 「あたしが探偵だって名乗ったとこからそうですけど……ナイツが警察の真似みたいなことしてるのに全然疑問を挟まなかった。普通の人はそう簡単に受け入れないと思います。あたしみたいな怪しい人の言うことを信じて、ぺらぺらと情報を提供してくれるセンバさんみたいな人は珍しいですよ。受け答えの手際もいいし、こちらの欲しい解答がぽんと飛んでくる。センバさんてすごく頭が良くて、柔軟な人なんですね。まるで最初から、事件を調査するあたしのような人が現れることを予想していたみたい。――あたしからすれば、話がスムーズに進んでとってもありがたいです」 「っ……!」  こいつ……! 「ははっ……やめてくださいよ。そんな言い方、私がすごく怪しいやつみたいじゃないですか」  センバはなんでもないように笑ってみせる。 「鑑定の依頼を受けるようになってから、私もナイツという組織について調べてみたことがあるんですよ。それで、どれほど大きな力を持った組織なのかということを知った。ですから、身内の殺人なんてことがあったら警察に関与させずに独自に事件を調査する……それくらいのことはあるのかなと思ったわけです。確かに私の認識が常識離れしているのは認めますがね。禊屋さんの言う通り、あなたの言うことをすぐ信じたのも無警戒すぎたかもしれない。まぁなんにせよ、お役に立てたのなら良かったですよ」 「なるほど、そうでしたか。失礼しました」  禊屋は一応は納得したような反応を見せる。実際はどうだか知らないが。  そこでセンバは、急に思いついたような素振りで言った。 「ああ、そうだ……私の他にも、話を聞いておいたほうがいい人がいますよ」 「誰ですか?」 「カワラの彼女です。アユミという女性なんですが。もしかしたら事件のあった頃まで一緒にいたかもしれない」 「今朝、カワラさんと一緒に店に来ていたという人ですね? 連絡先はご存知ですか?」 「以前は番号を登録していたんですがね。今は消してしまっているのでわかりません。ああ、でも住所はわかりますよ。昔のまま変わってなかったはずだ。今メモを書きましょう」  センバはテーブルの引き出しからメモ用紙とボールペンを出して、アユミの家の住所を書こうとする。しかし、インクがかすれているようで上手く書けない。試しに空いている左手の平の上にペンを走らせてみたが、こそばゆいだけでインクは乗らない。これをやると手の油分がボールの滑りを良くするのか、たまに復活するのだが。 「どうぞ」  禊屋がコートのポケットからボールペンを取り出し、渡してくる。 「ああ、これはどうも」  受け取ったボールペンでメモを書いて、一緒に渡す。 「ありがとうございます。――ところで、そのアユミさんという方とは元々お知り合いだったりします?」 「ええ、まぁ……私が大学生だった頃、バイト先の後輩でした。交際していた時期もあります。私が卒業をきっかけにバイトを辞め、しばらくしてから急に向こうと連絡がつかなくなってそれ以来切れていましたが。最近になって再会したんです」 「カワラさんをきっかけに?」  センバは頷く。 「気味の悪いことですが、まったくの偶然ですよ。向こうもカワラと付き合い出したのは数ヶ月前で、私のことを知ったときは驚いた様子でした。私もアユミも、カワラには黙っていましたけどね。知らせる必要もないだろうと」 「そうでしたか」 「つまらない話ですみません」 「いえ、そんなことは……」  これもどうせ、調べたらすぐにわかることだ。今のうちに自分から明かしておいたほうが怪しまれることはないだろう。 「じゃあ、あたしはそろそろ――っと」  そろそろ帰るのかと思いきや、禊屋は足を止めた。それからこちらを振り返り、人差し指を立てる。 「最後にもう一つだけ、いいですか?」 「何でしょう?」 「それって……何なんです?」  禊屋が指した先にあるのは、キャビネットの上に並んだ、センバのコレクション群だった。 「ショーケースの中にあるのは、質流れになったりした商品ですよね。でもこっちは違うみたいだったから」 「ああ、これですか。こっちは売り物じゃなくて、私の個人的な収集品ですよ。奥のほうは置く場所が足りないもので、こうしてお客さんに見せびらかしています」 「へぇ~、いいですねそういうの。あたしは好きだなぁ。あっ、本当だ書いてある」  注意書きの三角カードに気づいたようだった。禊屋は先ほどセンバに貸したボールペンを仕舞わず、そのまま右手の手先でくるくると回しながらコレクションを眺める。 「さっきからちらちら見えて気になってたんですけど……これって、止まってますよね?」  キャビネットの手前側の端に置いてある振り子式の置き時計を指して、禊屋が言う。高さは45センチ、置き時計にしては立派だがかなり古い時計だ。アナログの文字盤は秒針はなく長針と短針のみで、10時10分を指したまま停止していた。実際の時間はちょうど夜10時になったばかり。 「中のゼンマイが切れているんです。それを入れ替えない限り、動くことはありません」 「直さないんですか?」 「古道具屋の隅に置いてあったものなんですが、買ったときから壊れてるんですよ、それ。止まったまま動くことはない、時計としての意味を成していない。でも、それはそれで美しいと私は感じた。だからそのままにしてある。その良さを言葉で説明するのは難しいですがね。他のも似たようなものです。美術品としてちゃんとした価値のあるものは殆どなくて、古いだけだったりどこかしら壊れていたり……」  センバはコレクションを一つ一つ指して説明する。 「これはまだまともな価値があるほうですね。1920年代に生産されたレミントン社のタイプライター。ただし、KとWとVのキーが抜けている」 「なるほど?」  その隣を指して、 「これは3年前、フリーマーケットで外国人から買った、人の頭を象った鈍色のオブジェ。目のところなんかなかなかリアルな造形でしょう」 「すごい」  更にその隣を指して、 「こっちは6年前だったかな。長野県にある田舎の個人商店で買った太刀の模造刀。模造刀なんで刃はついてないんですが、前の持ち主が妻に撲殺された際の凶器だったとか」 「えぇ……」  また隣を指して、 「ああこれは最近、半年前だ。遺品整理で色々と買い取ったことがありまして、これは売り物にはならないが私が気に入ったので置いています。大麻の刺繍が入ったタペストリー」 「…………」  禊屋は咳払いをして、大きく頷いた。 「大変、素晴らしいコレクションだと思います」  他にもまだあったのだが、ここらへんにしておこう。センバは笑って、 「無理して褒めることはありません。説明中キョトンとされていましたよ」 「い、いや、そんなことは……」 「共感してくれるに越したことはありませんが、別に人に理解してもらえなくてもいいんです。私の心に響く何かがあった、それが重要なことで。私の場合は極端な例かもしれませんが、誰にだってそういうものはあるんじゃないですか? 他人から見たらなんでもないようなものだけど、本人にとっては大事なもの、とか」  センバは禊屋を指して言う。 「あなたのそのコートも、そうなのでは?」 「えっ?」 「その……モッズコートとか言うんですか? あなたの他の服装と比べて随分と野暮ったいし、ひどく色あせている。体格にも合っていない。自分に似合っていないことをあなたが理解していないとも思えない。察するに、あなたがとても大事に思う人から貰ったもの……というより、形見のようなものなんでしょう。あなたはその方の遺志を継ぐためとか、思い出を身近に感じていたいとか、そんな辺りの理由でそのコートをずっと着ている。違いますか?」 「…………」  禊屋は一瞬呆けたように動きを止めたが、やがて少しうつむき加減で笑った。 「…………あはっ、すごい。まるで探偵だ」 「……?」  何か、彼女の纏う空気が変わった気がする。何か気に障るようなことでも言っただろうか? 「センバさん、ついでにもう一つだけ」 「はい?」 「ここに、少し前まで花瓶が置いてありましたよね?」  禊屋は冷たい、射抜くような視線をこちらに投げかけて言った。急に背後から刺されたような衝撃が身体を貫く。 「……………………なぜ、そう思われたんです?」 「どうなんですか? 置いてあったんですか?」  まるで詰問されているかのようだ。心臓が早鐘を打つ。どこだ、どこまで掴んでいる? いや……いや、大丈夫……確かにあの破片は全て回収したはずだ。そして集めた破片は袋に入れて、今は念のために金庫に保管している。  禊屋は一片の隙もなくこちらを見据えている。落ち着かなければならない。瞬きが増え、動揺しているのを悟られてはならない……。 「……置いてありましたよ。でも昨日の朝、掃除中にうっかり割ってしまいまして。可愛そうなことをしました」 「昨日の朝、割ったんですね?」 「それが何だって言うんです?」 「いや……ただ気になっただけなんです。敷き布のここのところ……跡がついてますよね。楕円形みたいな……。大きさ的に、花瓶じゃないかなって思っただけで」  言われてみれば確かに、敷き布に跡がついている。長い間そこに置いていたからだろう。だが、そんな跡を見ただけで花瓶だと言い当てることが出来るものだろうか? やはり、花瓶の破片がどこかに残っていたのを見落としたのではないか? だとすれば禊屋は、既に真の殺害現場がここであるとアタリを付け始めていることになる。  それに万が一、この店内にまだ破片が残っていたとしたら? 禊屋がソノダの死体かその近くで発見した破片と、この店内で見つけた破片の成分を鑑定して、同一のものだと発覚すればどうなる? だが、いくらナイツといえどそんな高度な鑑定が可能だろうか? ……出来る可能性は充分にある。  などと、必死に思考を働かせていると―― 「あっ」  禊屋はさっきから手遊びに使っていたボールペンを床に落とした。それを拾おうとしたが足先で弾いてしまい、キャビネットの下の隙間に入り込んでしまう。 「あちゃー……ちょっと失礼します」  禊屋は床に這いつくばるように伏せ、キャビネット下の隙間を覗き込むようにしながら、右手をそこへ伸ばした。 「なっ……!?」  おい馬鹿……やめろっ! 床の掃除は一通りしたとはいえ、そんなところまでは見ていないんだぞ!  ……い、いや待て、もしここで花瓶の破片が見つかったとしてもまだ言い訳は可能だ。たまたま残っていた破片が、偶然からソノダの足元にくっついてそのまま移動しただけ。ここで殺害されたことを直接示す証拠にはならない。ならないはずだ。 「……ん? 何かある」  息が止まりそうになる。何だ、何を見つけた? 「う~ん。なんだろうなぁ、これ」  何を見つけたんだ、言え、さっさと! 「あっ、取れた」  禊屋はボールペンと一緒に『それ』を引きずり出した。先の丸まった小さな金属片のように見えたが、それが何かわかると、センバはほっと胸を撫で下ろす。 「ああ、それは……ゼンマイの巻き鍵ですね」 「マキカギ?」 「さっきお話した振り子の置き時計があったでしょう。そのゼンマイを巻くための鍵ですよ。若い人は馴染みがないかもしれませんが、ゼンマイ式の時計はこの鍵を文字盤上の差込口から差してカチカチと回すんです。まぁ、先ほど言ったとおりゼンマイが切れてしまっているので、当然巻き鍵を使うこともないわけですが」  センバは巻き鍵を受け取って、置き時計のケース前面を扉のように開く。そして、巻き鍵を振り子下のスペースに置いてからまたケースを閉めた。 「その巻き鍵、どうしてあんなところに落ちていたんでしょう?」 「さぁ……いつだったか、掃除中に落としてしまったのかもしれません」 「そんなに前じゃないはずですよ。だってホコリを被ってなかったから。多分、昨日今日の話です」  細かいことをチクチクと……。そうだよ、きっと今日、花瓶と一緒のタイミングで床に落ちた時、衝撃でケースからこぼれて、そのまま隙間に入り込んだんだろうよ。 「ああ~、そうだ。昨日の朝かもしれません。久々にケースを開いて掃除していたので、きっとその時に気づかず落としたんでしょう」 「そうですか……昨日の朝は花瓶も割ったんですよね。体調でも悪かったんですか?」 「前の日に飲みすぎて、二日酔いだったもので……」 「なるほど。――わかりました。じゃあ、そろそろ失礼しますね。ありがとうございました」  禊屋はぺこりと頭を下げる。早く帰れ。 「――あ、そうだ」  また何か思い出したように禊屋が言う。まだ何かあるのか。今度は何だ?  センバが警戒心を高めていると、禊屋はセンバの着ている上着を指して言った。 「そのカーディガン、とってもお似合いです」 「え? ……ああ、どうも」 「では、また。本当にありがとうございました!」  にこやかにそう言って、今度こそ禊屋は店を出ていった。  静かになってしばらく経つまで、センバはその場を動けなかった。またいきなり戻ってくるのではないかとも思ったが、どうやらその気配もない。やがて疲れ切ったように大きなため息をつくと、今度は苛立ったようにテーブルを手で強打した。 「……くそッ!」
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