二章『紅き探偵の洞察』-4

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二章『紅き探偵の洞察』-4

 朝の7時。美夜子とシミズは、センバから渡されたメモに従って、アユミという女性が住むアパートを訪ねた。『江ノ神レジデンス跡』からは案外近く、徒歩で10分くらいの距離だろうか。彼女が住んでいるのは二階の一番奥の部屋だった。どうやって事件について話を訊き出そうか、美夜子は昨晩のうちに幾つかの作戦を立てていたのだが――結局は、無駄になった。  アユミは、部屋の中で死んでいた。 「――どうですか、禊屋さん」  シミズに問われ、簡単な検分を終えた美夜子が言う。 「タオルで首吊って窒息死……それ自体は間違いなさそうだけどね」 「自殺……でしょうか」 「見たままを捉えるなら、そうなるかも」  アユミは玄関を開けて狭い廊下を左に曲がったところ、トイレのドアのノブにタオルを引っ掛け、首を吊っていた。アユミは小柄な女性で、死体の状態からして、死後半日は経っている。昨日の二人が死んでから数時間後にはアユミも死んでいたということだ。 「ただ、背中と首の付け根あたりに内出血の痕があった。それと顎のところに新しくて小さい擦り傷」 「それには、何か意味が?」 「う~ん、あるかもしれないし、ないかもしれない。シミズさんのほうは?」 「ざっと部屋の様子を見てみたんですが、とくに荒らされた形跡はありませんね。リビングに財布も置いてありました。中の身分証明書からして、彼女がアユミという女性で間違いなさそうです。それと、こちらを見てほしいんですが」  シミズが台所のほうへ移動するので、美夜子もついていく。 「これは……」  台所のシンクに、刀身が血塗れになったナイフが置かれていた。折り畳み式のナイフで、刃渡りは10センチほどだ。 「禊屋さん。もしかしたらこのナイフ、昨日の殺しに使われたものなのでは?」 「……可能性はあるね。ソノダさんの殺害に使われた真の凶器かもしれない」 「付着している血液がソノダのものと一致すれば間違いありませんね。鑑識班に連絡しておきます」  美夜子はリビングに入って周囲を見渡す。少し散らかり気味ではあるが、普通の女性の部屋だ。  背の低いテーブルの上に、薬品の袋が置いてあるのを見つけた。医療機関で処方された薬らしい。薬の名前は『テトラミド』とある。ミアンセリン系の抗うつ剤だ。アユミはうつ病を患っていたのだろうか。睡眠導入剤としても使われる薬だから、不眠症だったのかもしれない。  テーブルの傍らに、ピンク色のポシェットが置いてあった。アユミのものだろうが、妙に気になって美夜子はポシェットの中身を覗いてみた。 「あっ」  思わず声を上げる。中には男性ものの財布が二つ、それにジュエリーボックスと、丸められたクリアファイルが入っていた。財布はそれぞれカードの名義などからソノダとカワラのものだとわかった。ジュエリーボックスの中身はダイヤモンドで、クリアファイルの中にはセンバが発行した鑑定保証書が入っている。つまり、昨日のソノダ、カワラ殺しの現場から失くなったとされるものがここに集まっている。 「禊屋さん。ここまで証拠が揃っているとなると、やはり彼女が二人を殺した犯人だったのでしょうか?」  シミズの疑問はもっともだ。美夜子は眉間に人差し指を当てて考え込む。 「凶器、それに盗まれた金品……たしかにアユミさんが犯人だったことを示しているように見える。自殺したのは、帰宅して冷静になってみて、良心の呵責に耐えられなくなってしまったから――なのかもしれないけど……」 「納得がいきませんか?」 「うん。なんというか、わざとらしすぎるね。この部屋に踏み込むときも、玄関に鍵がかかってなかったでしょ? 『ほら犯人はここで死んでますよ、早く見つけてください』って誰かに言われてるみたいな感じ」 「なるほど、たしかに……。では、アユミさんは真犯人のスケープゴートとして、自殺に見せかけて殺されたということですか?」 「確信があるわけじゃないけど、あたしはその線が濃いと思う」 「すると、怪しいのは例の質屋の店主ですね。彼の助言とメモによって、我々はここに来たわけですから。誘導されていたんでしょう」 「センバさんね。昨日の夜話したあたしの感触でも、彼が犯人だと思うけど……まだ決定的なものが見つからないんだよね」  センバが疑わしいことは確かだ。だが、殺しの犯人と彼をイコールで結び付けられるほどのものはまだない。 「それほど疑わしいのであれば、捕らえて拷問にかけるという手もあると思いますが?」  シミズの提案に美夜子はかぶりを振る。 「いや、それは避けたい。取るとしても本当に最後の手段かな」 「それは、何か理由が?」 「……う~ん、探偵としての矜持ってやつ?」 「なるほど……」 「まぁ、カッコつけずに言うなら……あたしは弱い人間だからさ。あたしの判断で人が死ぬかもしれない。それならせめて、間違いないという確信を持ってからそのボタンを押したいってだけなんだ。ごめんね、本当はシミズさんの提案通りにしたほうが色々と手っ取り早いのかもしれないけど」 「いえ、ご立派な考え方だと思います」  シミズは少し表情を崩して言う。 「こういう業界に長く身を置いていると、そういう健常な感覚を見失いがちです。見失ってしまったほうが楽だからです。禊屋さんはそれをご自分の弱さだと思われているかもしれませんが、私は逆だと思いますよ」 「そうかな……そうだといいんだけどね」  なんだか照れ臭くなって、美夜子は調査を再開した。  リビングのくずかごを覗いてみると、コンビニのマークが入ったレジ袋が突っ込んであった。袋を取り出してみると、中にそのコンビニのレシートが入っている。  レシートの日付は昨日、時刻は午後2時36分だった。1.5リットルのペットボトル入りの微糖コーヒーと、缶のブラックコーヒーを買っている。 「シミズさん。ここのコンビニって、すぐ近くだったよね?」 「そうですね。歩いて5分くらいかと」 「…………」  美夜子はリビングを出て台所に戻ると、冷蔵庫を開けてみた。少量の肉と野菜、チーズ、美容ドリンクが3本、ペットボトル入りのコーヒーが2本入っていた。コーヒーはコンビニのレシートに書かれていた微糖コーヒーと同じ品種で、1本は既に開封済みだった。 「こっちは?」  今度は台所のゴミ箱を引っ張り出してきて、漁る。手が汚れるのも気にせず中身を確認していく。 「……やっぱりない」 「禊屋さん? 何がないんですか?」  不安そうに見ていたシミズが質問する。美夜子はゴミ箱を元の場所に仕舞ってから、答えた。 「缶コーヒーがない」
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