二章『紅き探偵の洞察』-5

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二章『紅き探偵の洞察』-5

 昨夜は殆ど眠れなかった。昨日だけで三人もの人間を手にかけたのだから、当然と言えば当然か。重い身体をなんとか動かして着替えを済ませ、冷たい水を一杯飲んでから、センバは店に出てきた。  おそらく、今日もあの女……禊屋は来るはずだ。警察よりはマシだなどと思っていたが、認識を改めなければならない。あどけない見た目をしていながら、あれは相当な強敵だ。しかも、昨日のやり取りでこちらを強く疑っていたと見える。正直に言って、旗色は悪い。アユミをスケープゴートに立てはしたが、察しの良い禊屋はあれをそのまま信じようとはしないだろう。  ただ、勝機がないわけでもない。ナイツは極道とは違ってメンツよりも利益を重視する組織のはず。最も重要であろうダイヤを取り戻したからには、これ以上は調査を長引かせない方針になる可能性は高い。そうなれば禊屋が限られた期間内に俺の犯行を立証出来なければ、アユミが犯人だったということで片がつくだろう。希望的観測ではあるが、それに賭けるしかない。  ……とりあえず、朝の掃除から始めよう。そう思ってセンバが店のカーテンを開けると、窓越しに嫌なものが見えた。  禊屋だ。店の外でこちらに背を向けて、手や足を動かしている。なんだ、あれは? 動きからして、ラジオ体操に似ている気がする。しかし……あんなへろへろしたラジオ体操があるか? 何かしらの呪術の類だとしてもおかしくはない。  センバは入り口の鍵を開け、ドアを開いた。 「禊屋さん。何してるんですか?」  声をかけると、禊屋はこちらに気づいて頭を下げた。 「あっ、おはようございます。センバさんにご報告したいことがあって来ました」 「……まぁ、中にどうぞ。店の前で奇妙な踊りをする女性がいるなどと噂を立てられては困るので」 「えっ……ラジオ体操なんですけど」  禊屋を店に入れてから、センバはホコリ払い用のハタキを取り出した。 「掃除がまだなので、やりながらでも構いませんか?」 「もちろんです」  センバはいつもどおり、コレクションにハタキを優しく当ててホコリを払っていく。 「今朝早く、アユミさんの家に行ってきました」 「そうですか。どうでした? 彼女は何か知っていましたか?」 「死んでいました。トイレのドアノブで首を吊って」  手を止めて、禊屋の方を向く。 「首を吊ったって……自殺していたんですか? どうしてそんな……」 「彼女の部屋で、血塗れの折り畳み式ナイフを見つけました。それで、ついさっきうちの鑑識班から連絡があったんですけど、付着している血液はソノダさんのもので間違いないそうです。彼女の指紋も付いていました」 「昨夜おっしゃっていた、カワラのダガーナイフとは別の凶器が本当にあったんですね。それがアユミの部屋にあって、彼女の指紋も付いていたということは……」 「ええ。他にも、現場から盗まれたとされていたソノダさんとカワラさんの財布、それに、ダイヤと鑑定保証書も……彼女の部屋から見つかりました」  センバは大きくため息をつくと、片手で頭を抱えた。 「なんてことだ……それじゃあ、彼女が犯人だったんですね」  禊屋はこちらをじっと見つめていた。……少しわざとらしかったか? だがおかしな反応は見せていないはずだ。 「やっぱり、そう思いますよね。現場から失くなったいろいろなものが彼女の部屋で見つかった。でも、そこまでやっておいてどうして彼女は自殺してしまったんだと思いますか? それに二人を殺すことになった経緯もよく分からない。アユミさんはいつダイヤの持ち主であるソノダさんについて知ったんでしょう。カワラさんと付き合っていたのに殺したのはどうして?」 「……残念ながら、禊屋さんの疑問はどれもそれらしい答えが既にあるように思います」 「答え? ……聞かせてもらえますか?」  ホコリ払いの作業を再開させつつ、話を続ける。 「まず、カワラとアユミとの関係ですが、あの二人はしょっちゅう喧嘩していたんですよ。大抵はカワラの我が強いせいだったようですが。切れないのが不思議なくらいで。二人の他の知人にも話を聞いてもらえばわかると思います」 「だから、アユミさんがカワラさんに対して殺意を持ってもおかしくはないと」 「はい。あと、アユミがソノダさんについて知っていた理由なら簡単です。カワラから聞いたんでしょう。昨日の午後からダイヤを取りに店に来るのも知っていたから、後をつけて……いやもしかしたら、最初アユミとカワラの二人はダイヤを目当てに共謀していたのかもしれない。それならカワラの車でソノダさんの後をつけるのも簡単だったろうし」 「じゃあ、ソノダさんは二人によって殺された?」 「その可能性もあるという話です。アユミはその最中、カワラも殺してしまおうと思い立った。その結果があの見せかけの相討ち殺人です」 「……となると、まずアユミさんかカワラさんのどちらかが折り畳み式ナイフで殺害、その後、アユミさんがソノダさんの銃を使ってカワラさんを殺害した。それから、ソノダさんを殺したのはカワラさんだと印象付けるために、カワラさんのダガーナイフを刺し直した……ということですね?」 「一応の筋は通りますよね、それで」 「……たしかに」  よし、未だ半信半疑という様子だが、このまま押し切ってしまえ。 「相討ち殺人に見せかけるために、彼女なりに頑張って幾つかの偽装工作を施したようですが、禊屋さん相手にはあまり意味がなかったようですね」 「では、アユミさんがその後で自殺した理由については?」 「彼女は、精神的に不安定なところがありました。たしか、うつ病の薬も飲んでいたはずです」 「はい。それも部屋で見つけました」 「ですから、勢いで二人を殺してしまったものの、家に帰ってからその重大さに耐えられなくなってしまったんじゃないですか。逃避するように自殺を選んだというのは、理解出来ない話ではありません」 「うぅん……まぁ、あり得ますね」  禊屋は少し考えるような素振りを見せてから、言った。 「センバさん。カワラさんのスマホを調べてみたんですが、カワラさんは昨日の午後2時14分、アユミさんに電話しているみたいなんです。死亡推定時刻が午後1時から3時の間なので、死亡する少し前のことだと考えられます。彼は何の要件で彼女に電話をかけたと思いますか? ソノダさんを殺害するために一緒にいたのなら、電話をする必要はありませんよね。あっ……すみません、情報が後出しになっちゃって」 「カワラが、電話を……?」  俺がカワラのスマホを使って、アユミが家にいることを確認したときの電話だ。もちろんそう来ることも予想済み。なにがすみませんだ。わざとに決まっている。 「ああ、そういうことか。考えを修正させてください。やはりソノダさんを殺したのはカワラなんですよ。殺した後、証拠隠滅を手伝わせようとアユミを呼びつけた。しかし、それに乗じてアユミはカワラを殺してしまった」 「そういうことですか……。そっか、それなら、昨日おっしゃっていたことにも繋がりますね。センバさんが2時頃カワラさんに電話した時、カワラさんは落ち着かない様子だったという話でした。ソノダさんを殺害する直前、もしくは直後で様子がおかしかったのかも」 「なるほど……そうだったのかもしれませんね」  正にこちらの想定したとおりに話を繋げてくれたが、果たして本心から言っているかは怪しい。こちらの思い通りになっていると油断させて、ボロを出させようとしているのかもしれない。  禊屋は「うんうん」と感心したように頷いて、 「それにしても流石だなぁ、センバさんと話しているとどんどん推理がまとまっていきます」 「お役に立てたのなら、何よりです」 「それじゃ、このことについてもご意見を聞かせてくれませんか?」  禊屋はスマホを取り出し、何か操作してからこちらに画面を見せた。掃除の手を止めて、覗き込む。 「ん……これは?」  レシートを撮影した写真のようだった。なんだこれは? 見覚えがない。 「アユミさんの家で発見した、レシートです。彼女は家のすぐ近くにあるコンビニで買い物をしていました。昨日の、午後2時36分に」 「2時……36分?」 「そうです。彼女はその時間、このコンビニでペットボトル入りの微糖コーヒーと、缶入りのブラックコーヒーを買った」  ……あの時の『アレ』か。アユミのやつ、余計なことを……。 「さて、気になるのは時間です。カワラさんは2時14分にアユミさんに電話している。電話するということは距離が離れていたということで、アユミさんがカワラさんを殺害したのなら、この後で二人は合流したということになりますよね。仮に、アユミさんが家にいたとしましょう。アユミさんの家から現場の『江ノ神レジデンス跡』までは、歩きで10分くらいの距離です。調べてみたんですが、アユミさんは車の免許も自転車も持っていなかったので、電話を受けてすぐに家を出たとしても、現場につく頃には2時24分。それからカワラさんを殺害し、幾つかの偽装工作を施す時間が必要だったことを考えると、手早くやっても20分は必要だったでしょう。そう、この時点でもう2時36分にコンビニにいられるはずがない。しかもこのコンビニ、『江ノ神レジデンス跡』とはアユミさんの家を挟んで反対側にあるので、現場からコンビニに行くには15分はかかるんです」 「……ッ!」  センバは内心、激しく舌打ちをする。やはり罠を仕込んでいたか。ここまでやらせおきながら、今までの推理をひっくり返しにきた。悪辣な真似をしてくれる……!  どうすればいい……ここでアユミ犯人説を覆されるわけにはいかない。多少無理があっても、反論しておかなければマズい。だが、これは……。  落ち着いて考えろ。アユミがカワラを殺害した後、偽装工作を施すのを後回しにしていたとしたらどうだ? 後になって良い方法を思いついたというのはそれなりに説得力が……いや、無理だ。現場に着いた時点で2時24分、コンビニに向かっても間に合わない。  カワラが電話した時、もうアユミの家に迎えに来ていたとしたら? 車があれば現場までは3分もあれば着く。いや、これもダメだ。現場に着いたのが2時17分、カワラをすぐに殺し、偽装工作を後回しにしたとして、真っ直ぐにコンビニに向かえばプラス15分で2時32分……一応ギリギリ間に合う計算にはなるが、あまりにもギリギリすぎる。アユミがそこまで急いで動く理由もないわけで、不自然すぎる。  まだ可能性があるとすれば……これか。 「……アユミが電話を受けて、すぐに現場に向かったとは限りませんよね。ゆっくり準備をして、コンビニに寄ってから向かったのかもしれない」 「反対側のコンビニに寄り道をしたんですか?」 「来るついでに飲み物でも買ってくるように頼まれたんじゃないですか?」 「でも、現場の入り口近くには自動販売機がありましたよ?」 「そうなんですか? まあでも、カワラが気づかなかっただけかもしれませんよ?」 「……ふむ、その可能性もありますね」 「2時36分にコンビニを出て、それから15分……2時51分には現場に着きます。いやもしかしたら、コンビニまでカワラが車で迎えにきたかもしれませんね。それならもっと時間には余裕がある。死亡推定時刻の限度は午後3時でしたよね。それまでにカワラを射殺すればいいのだから、不可能じゃない。偽装工作はその後からでもいいんですから」 「……なるほど!」  禊屋は「納得しました!」と言うように大きく手を打つ。 「確かにそれならいけますね! すごいなぁ、そんなの全然思いつきませんでしたよ」 「納得していただけましたか?」 「ええ、大体は。――でも、まだちょっと引っかかることがあるんですよね……」 「……なんでしょう?」  ……やはり、まだあるか。 「引っかかるのは、買い物の内容です。アユミさんはペットボトル入り微糖コーヒーを買っています。これはアユミさんの家の冷蔵庫にあったものと同じ品種のものでした。家のゴミ箱に捨ててあったラベルも同じものばかりだったので、これはアユミさん用で彼女は微糖派だったんでしょう。問題はこれが1.5リットルだということです。家で飲むつもりならともかく、これからカワラさんと合流しようという時に、このサイズのコーヒーを買うでしょうか?」 「後で家で飲むつもりで買ったんじゃないですか? ブラックの缶コーヒーはカワラに渡すためだとして、自分の分は、すぐに飲むつもりじゃなければ大きいサイズでも構わないでしょう」 「……うぅん、そう言われると、そんな気がしてきました」  禊屋は照れ臭そうに頭を掻いた。 「でもね、センバさん」 「えっ?」  禊屋は画面をスライドさせて次の画像を出す。 「――カワラさんも、コーヒーは微糖派だったようですよ?」 「あっ……」  画像は、カワラの車内を撮影したものだった。しかも、運転席側のドリンクホルダーをアップに撮影されている。ドリンクホルダーには『微糖』と書かれているのが読める缶コーヒーが映っている。 「ちなみに、中身は空だったのでカワラさんが飲み物を買ってくるよう頼んだという部分と矛盾はしません。ただし、交際していたんですから、アユミさんはカワラさんのコーヒーの好みを知っていた可能性が高い。もし知らなかったとしても、無難さから微糖に揃えるか、微糖とブラックを一本ずつ買うとかそういう買い方になるでしょう。わざわざブラックだけを選んだということは、その人がブラック派であることを知っていたからです。缶コーヒーは、カワラさんのために用意したものじゃない」 「……いや、そうとは限らない」 「なぜです?」 「決まった味のコーヒーだけを好む人もいますが、もちろんそうじゃない人だっているという話です。アユミは確かに根っからの微糖派だったのかもしれませんが、カワラはたまたま微糖の缶コーヒーを飲んだだけかもしれないし、あるいは、たまたまブラックの缶コーヒーが飲みたくなって頼んだだけかもしれない」 「…………ふふっ……あっはっは! 一本取られました。おっしゃるとおりですね」  禊屋はぺちりと自分の額を叩く。……そして、その手をセンバへ向けた。 「――ところで、センバさんはコーヒーは何派ですか?」  センバは一瞬面食らったが、すぐに、肩をすくめて笑った。 「…………私はブラック派ですよ。なんなら冷蔵庫の中身も見ていきますか? 見事にブラックしか入っていない」 「いいえ……結構です」  馬鹿にしやがって。無駄なんだよ。そんな小技をいくら積み重ねたところで、俺の殺しを立証できはしない。  苛立ちからか、言動が大胆になりつつあるのを自覚する。良くない。これではこの女の思う壺だ。とにかく、状況を変えなければならない。センバはこちらから仕掛けることにした。 「はぁ……うんざりだ。禊屋さん。もうそろそろ、茶番はやめにしませんか」 「茶番?」  禊屋は少しだけ意外そうな顔をする。 「まったくもって茶番でしょう。はっきり言ってください。あなたは私のことを犯人だと疑っている、そうですね?」 「ええ……? そんな、まさか。とんでもないです――……って、言うべきところなんですが」  言いながらわざとらしい笑みを引っ込める。それから咳払いを一つすると、挑戦的な目つきになってセンバを見据えた。 「正直、あたしも回りくどいのはあまり好きじゃないんですよね。だからはっきり言いましょう。はい、疑っているどころか……ほぼ間違いなくクロだと思っています」 「…………」  面と向かって言われてみて、初めて味わう不思議な感覚だった。俺は今、確実に追い詰められている。その恐怖は確かにある。でもそれだけじゃない。もう後がない状況のはずなのに、妙な高揚感がある。おかしなことだ。負けたら破滅だというのに。こんなにも憎たらしい相手だというのに。この強敵との対決に、心を踊らせている自分がどこかにいる。 「……それなら私を無理やり捕まえて、拷問なり何なりさせて吐かせますか? それでも構いませんが、あなたは私という無実の人間に罪を押し付け、真犯人に敗北したという無様な経歴を残すことになりますよ」 「そんな挑発をする必要はありません。心配せずとも、あたしはそんな手段は取らない」 「そうですか? ではどうやって?」 「……あなたは思った以上に手強い人です。いくら揺さぶってみても致命的なミスだけは犯さなかった。確かに、今はまだ足りません。あなたを追い詰めるための最後の一手が、あたしにはまだない。でも必ず見つけます。あなたが犯人だという確たる証拠をつきつけて、あなたに負けを認めさせます」  禊屋と視線がぶつかり合う。少女の瞳は未だあどけなさを残しながらも、既に強い意志を宿しているのがわかる。いったい何が、若い彼女をそこまでさせるのだろう。  ……宣戦布告か。上等だ。崩せるものなら、崩してみろ。 「――そうですか。まぁ、頑張って」 「はい。……では、また来ますね」  禊屋はそう言い残すと、店を出ていった。
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