一章『昏き鑑定士の殺人』-1

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一章『昏き鑑定士の殺人』-1

 センバは、鑑定士の肩書きを持つ男だ。夕桜(ゆざくら)市の繁華街――朱ヶ崎(あけがさき)の外れにひっそりと構えた質屋『千羽堂』が、彼の居城だった。  立地は良いとは言えず、日陰がちで、広さもコンビニの半分ほどしかない小さな城だったが、センバにとってはそれらも含めて居心地の良い場所だった。  幼い頃から古物や美術品の類が好きで、暇さえあればその手の店を見て回っていた。もっとも、そういった店に子供の小遣いで手を出せるような代物は殆ど置いてなかったから、本当に見るだけだったが。鬱陶しがられて追い出されることもあったが、中には気の良い店主もいて、客を待つ暇潰しのついでに美術品に関する知識を教えてくれることもあった。スポーツよりもテレビゲームよりも、そういう時間が一番楽しかった。  変わり者であるという自覚はある。趣味に没頭するあまり周囲の人間と打ち解けようとすらしなかったことから、学生の時分にはよく孤立したし、奇異の目に晒されることもあった。苦い思い出のほうが多い。まあ、協調性の欠片もなかった当時の自分を思えばそれも仕方がないだろう。その趣味が高じて今、こうして鑑定士としてやっていけているだけ良しとするべきだ。  開店時間の前になると、センバは店内の掃除をするために店の奥にある私室から出る。住居用のスペースと店内は扉一枚で繋がっており、ベッドから起きて30秒で店に出てくることも出来るから便利だ。これに関しては仕事とプライベートの境界が曖昧になるというデメリットもあるが。  店側に出るとまず掃除用具入れからハタキとクロスを取り出して、『コレクション』のホコリを払うのがいつものパターン。コレクションというのはセンバが個人的な趣味でリサイクルショップやフリーマーケットなど方々を巡りながら見つけた、美しい、あるいは面白いと感じた品々のことだ。それらの大半は、古くはあるものの、骨董や美術品として大した価値のあるものではない。一部が欠けていたり、壊れているものもある。鑑定士としての目線を除して言うなら、実際に値打ちがあるかどうかは関係がない。自らの心に響くものがあるかどうかが大事なのだ。そういったコレクションは大小合わせて二十を越えており、狭い私室だけではとても置ききれないので、こうして店側の空いたスペースにも飾っている。  コレクションを置いた区画は店の正面入り口から見て真向かい、壁沿いのキャビネットの上だ。キャビネットは腰ほどの高さで、横幅が2メートルほどのものを3つ連結し、敷き布を被せた上にモノを置いている。当然、地震対策にキャビネットの足元には耐震材も設置済みだ。棚の部分と引き出しの中には手入れ用の道具や業務上の書類などを入れているが、とりあえずで仕舞い込むことも多いので、どこに何を入れていたかはあまり定かでない。  コレクションのホコリを払い終えると、次は質流れになったか買い取った商品を陳列したショーケースをクロスで磨いていく。こちらは入り口から見て左側手前の壁際から左奥の壁際までL字状に設置されている。ショーケースは防犯ガラス仕様で、鍵も強固。ショーケース内の掃除もしているが、そちらは二週間に一度くらいだ。  入り口から右側には客と向かい合って話せるようにしてあるテーブルセット、その奥には鑑定用の作業台一式が置いてある。こちらも簡単に拭き上げる。続けて、暗いブラウンのフローリングを箒で掃き、モップがけも行う。  いつも通り、ここまでを20分ほどで終わらせたセンバは入り口の鍵を開け、箒を持って店の外に出た。外のそよ風が思ったより冷たかったので、一度戻ってカーディガンを羽織り、前のボタンもしっかりと止めた。入り口前をさっと掃いたら、掃除は終わりだ。  千羽堂の隣は消費者金融業者の事務所と、小さな祠があるだけの寂れた神社だ。前には道路が横切っている。道路挟んで向かい側にはカラオケ屋があったが、数ヶ月前に潰れて以来、空いた建物に代わりの店が入る気配はない。朝のうちは、この辺りは本当に静かなものだ。もっとも、昼や夜になったら騒がしくなるわけでもないが。  箒掃きを初めてから少しして、道路を走っていたブルーのセダンが店の前で停車した。運転席からは金髪の上にニット帽を被りパーカーを着た男、助手席からは化粧の派手めなコートの女が降りてくる。 「よう、センバ。元気してたかよ」  まず男のほうが声をかけてきて、続けて女のほうが「どーもー」と手を振った。男は体格が良くワイルドな風貌で、顎髭を生やしている。女は小柄で鼻筋が通っておりそこそこ整った顔立ちだが、目の下のクマが不健康そうな印象を与えた。見てすぐに誰かはわかった。 「カワラ……」  センバはうんざりした心持ちで男の名を呟いた。いつだってそうだ、こいつが現れるとろくなことにならない。 「そんな嫌そうな顔すんなよ。俺とお前の仲だろ?」  カワラは言って、馴れ馴れしくセンバの肩に腕を回す。カワラは筋肉質でガタイもいい、同い年ではあるが体力には歴然の差がある。取っ組み合いの喧嘩になったらとても敵わないだろう。 「……何か用なのか」 「ちょっと頼みがあんだ。ま、中で話そうぜ」 「待て。あっちは?」  後ろについてくる女の方を見やってセンバが言う。 「アユミか? ああ、あいつは別に関係ねぇ。いい感じの時計があったら欲しいとかで、店を覗きたいんだと。いいだろ?」 「腕時計、今置いてないよ。ちょうど品切れ中だ」 「あっそう、腕時計置いてないってよ!」  カワラがアユミに向かって言う。アユミは軽く手を振って、 「いいの、財布も見たいから」 「――だそうだ。財布はあるよな?」  センバは面倒くさそうに頷いた。  相変わらず、厚顔無恥な女というかなんというか。……よくもまぁ、おめおめと俺の前に出てこられるものだ。  ――もういい。『そのこと』は、気にするだけ損だ。店の入り口のドアを開け、二人を招き入れる。  センバとカワラはテーブルに向かい合って座ると、アユミはカワラの後ろのほうでショーケースの中身を眺め始めた。 「それで、話っていうのは?」  切り出すと、カワラはニヤリと笑みを浮かべる。 「ぶっちゃけ、いつもと同じだ。金貸してくれや」 「……いくら必要なんだ」 「おっ、話が早いねぇ。さすがセンバくん」 「どうせ、俺に断る余地はないんだろ」 「ハ、やめてくれよ。それじゃ俺が脅してるみたいだろ」  カワラは肩を揺らして笑いながら、懐から取り出したものを手元で弄っている。鞘から抜いた、両刃の短剣……いわゆるダガーナイフというやつだ。刃から発せられる光の反射を楽しむように角度を変えながら眺めている。この男の癖なのだ、いつもご自慢のナイフを持ち歩いて、会話中の手遊びにそれを見せびらかすのが。相手への威圧のつもりなのだろうか? 根っからのチンピラだ、発想が中学生から成長していない。 「なぁ、センバよ」  こちらの考えが伝わったのかと錯覚するようなタイミングで、カワラがこちらを見る。 「もう13年前になるか。高校の頃、あの時。一緒にヤベぇ状況を乗り越えたじゃねぇか。覚えてんだろ? 忘れるわけねぇよな? 俺らはお互い助け合わないと、だろ?」 「…………ああ」  まっすぐ睨みつけるかのように言うカワラから、視線を外しながら答える。ふとカワラの後ろを見ると、アユミがスマートフォンで電話しているのが見えた。もうショーケースの中身には興味を失ったようだった。アユミは電話しながら、なんとなく、といった様子でセンバのコレクションの一つである花瓶――正確にはそこに挿してある造花――に触れようとする。 「おいっ! それに触るな!」  センバは思わず大きな声を出す。アユミは「わっ」と声を上げ、たいそう驚いた様子でこちらを振り向いた。 「書いてあるだろ、触るなって……」  キャビネット上、陳列されたコレクションの物品らの手前側に、注意書きのカードを入れた三角のカード立てを置いてある。そこには『こちらは店主の個人的なコレクションです。売り物ではございません。手を触れないようお願いいたします』と書いてあるのだ。 「ご、ごめん」  アユミはスマホのマイク部分を手で覆うようにしながら慌てて謝ると、センバから離れるように店の奥に移動した。 「おー、怖いねぇ。へっへ……相変わらずだなー、お前も」  カワラが粘着質な笑みを浮かべる。 「ま、許してやってくれや。バカだからさ、あいつ」  ……別に、普通の客なら軽く注意するだけで終わりだ。怒鳴ってしまったのは彼女の無神経さをよく知っていたからだ。 「どうでもいい。それで……いくら必要なんだ」 「ん、おお。そうだな。今回は50万で頼むわ」 「……高いな」 「ずっと乗ってたバイクがそろそろ限界でさ。買い替えようかと思うんだよ。まぁ、お前なら無理な金額じゃないよな? 『例のお得意さん』がいるんだしよ」  馬鹿を言うな。こっちだってさほど余裕があるわけじゃない。『あれ』はたしかに金払いは良いが……。  センバは大きくため息をついた。 「……いつもの口座に、一週間以内に送っておく。それでいいな?」 「素晴らしい!」  カワラは指を鳴らし、握手を求めてくる。 「最高だよセンバくん! やっぱり持つべきは君のような友人だなぁ!」 「ああ……」  芝居がかった大げさな口ぶりで言うカワラの握手にゆっくりと応じながら、センバは自分の胸中をあるものが満たしていくのを感じた。それは炎のように熱く、地獄のように昏い感情だった。  カワラはたいそう上機嫌な様子で立ち上がった。 「よっしゃ、じゃあー帰るわ。おうアユミ! 帰んぞ」 「あ、はーい」  声をかけられ、アユミが寄ってくる。電話はもう終わっていたらしい。 「で、何か欲しいもんあったんか?」 「いや、なかったよ。やっぱもっとお洒落な……ああいや、なんでもない」  アユミがこちらの視線に気づいて言い淀む。 「いいさ」  センバは椅子から立ち上がって、優しげに微笑んでみせた。努めて穏やかな口調を装う。 「ここにはあまり君の好むようなものは置いてないだろうからね。次はもっとお洒落な店に連れて行ってもらうといい。それと……さっきは悪かった。つい怒鳴ってしまって」 「あっ……うん。こっちこそ、ごめんね。もっと気をつけるべきだった」  アユミは幾分しおらしい態度になったように見える。相手と、自分の振る舞いにも怖気が走るような不快感を覚えた。くだらない茶番だ。  ドアを開けてやって二人を見送った後、センバは再び椅子に座った。片手で頭を抱え、ため息をつく。  ――こんなことが、もう何年続いているだろう。いつまで続く? いつまでこんなことが。これから先もずっとあいつに、カワラに搾取され続けるのか。許してくれと懇願したところで、あいつが諦めるとは思えない。むしろより状況を悪くすると、容易に想像がつく。だったら、どうする。だったら――どうする。だったら―― 「…………それは、マズいだろ」  脳裏に浮かんだ考えに苦笑する。そんなことしたって、上手くいくはずがない。結局それは、今まで築いてきた何もかもを投げ捨てるような愚かな行為でしかないのだ。  何か……そう、もっと別の良い方法があるはずだ。今はまだ、思いつかないが。  ふと壁掛けの時計を見ると、10時20分だった。今日は昼から特別な客が来る予定だ。まだ時間にはだいぶ余裕があるが、準備はしておかなければ。客……そう。カワラが言うところの、『例のお得意さん』だった。  ――そして、午後。 「昨日お渡ししたものの鑑定は、もう?」  テーブルを挟んで座る、黒スーツ姿の男が尋ねた。男はセンバより少し年上、30代半ばほどに見える。対応そのものは丁寧だが、ジトっとした暗い目つきが少し不気味だ。この客が来るときは、店は一時的に貸し切り状態となる。入り口ドアの鍵をかけ、カーテンも閉めるのが通例となっていた。 「はい、終わっております。こちらが鑑定品と、その鑑定保証書になります」  センバは拳ほどのサイズのジュエルケースと、書類一式を収めたクリアファイルをテーブルに置いた。男はファイルから鑑定保証書を取り出して一読する。 「なるほど。これを売りに出したとしたら、500万前後と……」 「他の条件にもよりますが、ダイヤモンドの国内での相場で言えば概ねその辺りになろうかと思います」  ダイヤモンドのグレーディング(格付け)を記した『鑑定書』、または、石の種類やその真贋などを記した『鑑別書』とは違い、センバが渡した『鑑定保証書』というものは宝石鑑定士の間で一般的に使われているような書類ではない。質屋や貴金属買取店では普通、持ち込まれた物品をその場で鑑定して査定を出し、客がその査定に納得し了承すれば買い取るという形になる。しかし、客がこの場で物品を売るつもりはないが査定の結果だけを知りたいという場合、センバは独自にこの鑑定保証書を発行している。大まかな内容としては宝石の種類、真贋、品質、そして国内相場での査定金額を記載した上で、資格を有する鑑定士であるセンバの署名を入れたものである。 「では、お預かり書を元に確認をさせていただきます」  鑑定保証書を発行する場合、鑑定と書類の作成とで時間を取るため、基本的には依頼を受けた翌日以降に物品の引き渡しとなる。そうなると、トラブル防止のため預かった物品と返す物品がたしかに同一のものであると証明する必要が出てくるのだが、そこで、預かりの際に物品の細かなサイズ、外見的特徴などを記録しておき、写真に残し、それを依頼者にも確認してもらう。それを記録したものが『お預かり書』。当然こちらでもコピーを取るので、万が一、鑑定後に依頼者が物品をすり替えたという時の対策にもなる。引き渡しの際には、依頼者に渡してあるお預かり書を元に物品が同一であることを一緒に確認してもらってからということになる。 「――お間違いありませんでしょうか?」 「ええ、たしかに」  確認作業を終え、依頼者――ソノダと名乗る男は、ダイヤの入ったジュエルケースと書類入りのクリアファイルを鞄に仕舞った。センバは一礼する。 「ありがとうございました。…………あの、まだ何か?」  椅子から立ち上がろうとしないソノダを見て、センバが尋ねる。必要なものは渡した、こちらで何か忘れているわけではないはずだ。鑑定料は事前に支払ってもらっているから、そのことでもないだろう。 「実は、センバさんにお話が」  ソノダが神妙な面持ちで言う。 「話? ……なんでしょう?」 「センバさんがうちの……ナイツの依頼で鑑定の仕事を引き受け始めたのは、今から5年ほど前でしたね?」 「そうですが……」  ナイツという組織には謎が多い。秘密主義で、極道や半グレ組織のようにメディアに取り上げられることもない。裏社会において非常に強大な力を持つ犯罪組織、とだけ伝わっていることは多いが、そちら側の世界に関わりのない一般人が知っていることはまずないだろう。仕事で関わるセンバとて、特別に詳しいわけではない。しかし、ソノダのような組織の担当者から――無論、制限された情報ではあるものの――聞かされたり、自分で調べたりしたことはあるため、それなりに知識はあるほうだ。  ナイツがセンバのところにわざわざ鑑定を頼むのは、それが入手経路を明かせない物品であることが大半だからだ。金払いがやたら良いのも、外部への口止めを含む意図があると考えられる。鑑定された物品のその後はそれぞれだが、例えば宝石類なら、国内より高価で取引される中国のブローカーに渡ることが多いらしい。 「昨日、データ整理を兼ねて過去の取引記録を調べていたのですが……ちょっと問題がありまして」 「問題というと?」  ソノダはスマートフォンを取り出した。メモか何か確認しているようだ。 「5年前の7月22日。ダイヤモンドの鑑定を依頼していますね。こちらに仕事を頼むようになってから間もない頃です。前の担当者の頃なので、私は記録でしか存じませんが。センバさんは覚えていらっしゃいますか?」 「ええ……まぁ」  5年の間に幾つもの仕事を受けてきた。もちろんその全てを記憶しているかと言われたら怪しいが、それに関しては、すぐにどの時の仕事だったか思い当たった。 「今回と同じように、ダイヤモンドの鑑定保証書を出していただきました。査定額は800万。かなりの代物だ」 「……それが今更、どうしたと?」 「率直に言いますが、あなたはこの時、鑑定結果を偽装しましたね?」 「…………」  センバは返答に窮する。今更そんなことを言い出して、どういうつもりなのだ? わからない。何か不穏なものを察知して、脈拍が早くなるのを感じる。頭が熱を帯びる。  たしかに、偽装した。あの時持ち込まれたダイヤは、品質的にはせいぜい200万というのが相場だった。それを、鑑定保証書の査定額には800万と虚偽の情報を記載した。しかし……。 「しかしそれは……! あなた達の側から頼まれてやったことで……!」  センバはつい声を荒げる。 「いや、頼むなんて優しいものじゃなかった! 私に断る術はなかった……! 断ったら何が起こるかわからないと、遠回しに脅迫されていたんですよ? あなた達のような人からそんなことを言われて……店を立ち上げたばかりだったのに、拒否するなんて出来るはずがない!」 「しかし、それに対する代価は受け取ったでしょう?」 「それは……そうだが……」 「…………ふむ」  ソノダは数秒センバを観察するように見ていたが、やがて咳払いをして、椅子から立ち上がった。 「あなたのおっしゃることはよくわかります」  ソノダは話しながら手を後ろに組み、ゆっくりと店内を闊歩する。 「私も、あなたが本意で偽装をしたとは思っていません。脅迫され、仕方なしに協力した。それが真実なのだと思います。――あなたには以前にお話したと思いますが……私が所属するナイツ夕桜支社は、今から3年ほど前、夕桜東支部と夕桜西支部が統合されて出来た組織です」  担当者がソノダに変わったのもその頃だった。 「私は元々、東支部の所属でしたが……私の前の担当者は、西支部の所属でした。こんなことを部外者のあなたに話すのもどうかとは思うのですが……正直に言って、西支部のやり方はナイツの中でも褒められたものではありませんでした。我々は犯罪組織とはいえ、守るべきラインというものはある。むしろ、より敏感であるべきだ。それを見定められない者は、破滅するしかないのですから。西支部は度々問題を起こしていたので、東支部に吸収される形で統合されるに至った経緯も、さもありなんというところです。あなたに対する脅迫も、西支部のそういったタチの悪い行いの一つなのでしょう」  ソノダは店内を歩きながら、ショーケースの中身やセンバのコレクションを眺めている。 「それだけで済んでいたのなら問題はなかったのですが……実は、その鑑定偽装から約一年後、ちょっとした事件がありました。ナイツはとある密輸グループと抗争状態になったのです。結果として、大した戦力を持たなかった密輸グループは数日のうちに壊滅しましたが、こちら側にも数人の犠牲者が出た。その犠牲者の中には、ナイツのさる大幹部の血縁……甥が含まれていました」 「ま、待ってくれ。まさか……」  なぜそんな話をする? 嫌な予感がする。気味の悪い緊張感を紛らわせようとして、センバは着ているカーディガンのボタンを手で弄っていた。 「抗争のきっかけは、その密輸グループとの取引の際に起こった口論でした。『過去の取引で購入したダイヤが偽物だった』とクレームをつけられたそうです。口論がヒートアップした末に、向こうが先に銃の引き金を引きました。それより先は……想像がつくかと思いますが」  血の気がさっと引いた。 「そのダイヤは、私が鑑定した……?」 「取引記録からして、間違いないでしょう。もっとも、ダイヤの件に関しては『密輸グループ側からの一方的な言いがかり』として処理されたので、発端がナイツ側の手落ちだということは発覚しなかったようですが。しかし、抗争で甥を亡くしたその大幹部は激怒したそうです。直々に命令を出し、密輸グループを皆殺しにさせた後……その抗争のきっかけである取引を担当したナイツのチームも全員処刑されました」  ソノダは「さて」と言ってセンバの方へ向き直る。 「過去の不備に気づいてしまった以上、私は上司に報告する義務があります。仮にこの話がその大幹部に伝わったら、おそらくあなたも責任を取らされるでしょう。偽装を依頼した、今は別の支部に移籍している当時の担当者も」 「り……理不尽だ。私はそんなことになるだなんて……」 「あなたが予想出来たかどうかは関係ないんですよ。結果として死んだらマズい人間が死んだ。そして、そのきっかけの一つはあなただ」 「…………」 「まぁ、どうなるかは私にもわかりません。伝えたところで、私の上司がそれを揉み消す可能性もないとは言えない。逆に、あなたに責任を取らせようと率先して動き出す可能性もあります。もっとも、上司は当時の西支部の失態を清算することには前向きなので、後者の割合が高いように思われますが」  センバは緊張から唾をごくりと飲み込んでから、尋ねる。 「……責任を取らされる、とは具体的にどうなるのですか?」 「さぁ……わかりませんが、運が良かったら賠償だけで済むでしょう。それでも数千万は覚悟しておいたほうが良いかと」 「……運が悪かったら、殺されることもある?」 「あるでしょうね。当時の苛烈な対応を考えれば」 「そんな……馬鹿な……」  センバは思わず頭を抱えた。  どうして俺がこんな目に遭う? 鑑定偽装を強要されて、こっちだって被害者のようなものだ。それなのに、責任を取らされて殺される? そんな馬鹿なことがあって良いのか。 「センバさん。あなたには選択肢があります」  ソノダは薄っすらと、不気味な笑みを浮かべていた。 「今のところ夕桜支社内で、あなたがそのダイヤの鑑定を偽装したという事実に気づいているのは、私だけです。取引記録にも一見しただけではわからないように書かれていたので、入念に調べられでもしない限り誰も気づかないでしょう。――つまり、私が黙っていれば何も問題はない」  ……ああ、そういうことか。そうか、この男も―― 「私が何を言いたいか、おわかりですか?」 「……私に……あなたを買収しろと?」  ソノダは満足そうに頷く。 「あなたはやはり賢い人だ。鑑定士など代わりはいくらでもいますが、あなたのような人を失うことは惜しいと思っています」  よく言う。こいつも、カワラと同種の人間だ。いや、人間などではない。人の弱みにつけこんで、その相手が破滅するまで搾取し続けようとする――悪魔。もう御免だ。こんな奴らにいつまでもいつまでも。 「一千万で手を打ちましょう。それで私は綺麗さっぱりこのことを忘れます。二度と同じ話はしません」 「……一つ、訊いてもいいですか」 「なんですか?」 「あなたの話が本当だという証拠はあるんですか? その、私の鑑定がきっかけで抗争が起こったという……」 「……なるほど。たしかに、疑って当然でしょうね。証拠ならばあるところにはいくらでもありますが……しかし残念ながら、それを持ち出してきてあなたに見せるわけにもいきません。それはどうしようもないんです。構いませんよ、別に信じなくとも。取り返しがつかなくなって困るのは、あなただ」 そんなところだろうと思った。全てこいつがでっち上げた嘘とも、考えられないわけではない。しかしもし真実だった場合のことを考えると無視するには危険が大きすぎる。それをわかった上で脅迫しているのだ。 「よく考えてください。私は最も平和的な解決策を提案しているに過ぎない。たったの一千万でことが丸く収まるのであれば、それが良いと思いませんか?」  ソノダはくだらないことを宣いながら、また店を歩き回り始めて、背を見せた。  センバはソノダの視線を警戒しながら、テーブルの下で、ズボンのポケットに手を忍ばせる。いつも鑑定作業に使っている綿製手袋を取り出し、手に着けた。そしてテーブル横の引き出しから折り畳み式ナイフを取り出す。刃渡りは10センチほど。強盗対策には些か心もとないが、何もないよりはマシと思って用意していたものだ。まさかこんな風に使う日が来るとは思ってもみなかったが。  ――そう……このちんけなナイフが、今日、この悪魔を滅ぼす剣となるのだ。思い知らせてやる。奪い続けるその傲慢に屈してはならない。ここで変えなければ、ここで生きなければ、何もかも無意味になってしまう。  ――だから殺す。  折り畳み式ナイフの刃を立て、それを持った手をテーブルの下に隠しながら、タイミングを図る。  頭でイメージする。そうだな――シンプルだが、これがいいだろう。飛び出して、奴の背後からナイフを突き入れる。心臓や首筋を突き刺して一撃で仕留められたならそれに越したことはないだろうが、実際には難しいかもしれない。勢い任せに何度も刺す覚悟でいたほうがいいだろう。  ソノダはまだ何か喋り続けている、お膳立てでもされているかのように、不用心にこちらに背を向けながら。センバは極力気配を殺しながら椅子から立ち上がり、一歩、二歩と距離を詰める。  ――そして、一気に駆け出した。足音に気づいたソノダが振り返る。気づかれたが、もう止まらない。腰だめに構えたナイフをソノダの身体に突き入れようとする――しかし、届かない。ソノダは両手でセンバの手首を掴み、ナイフの動きを止めたのだった。息を止め渾身の力を込めるも、それ以上動かない。 「馬鹿な……ことを……っ!」  振り払うように突き飛ばされる。センバは体勢を崩しながらキャビネットに背中からぶつかって、更に倒れ際に、角の部分で右側頭部を強く打ちつけた。身体が触れてしまったらしく、コレクションの幾つかが床に落下した音が聞こえる。がちゃん、と陶器の割れる音も聞こえた。センバはそのままうずくまった。頭を打った衝撃で視界が明滅している。 「あっ……ぐ……」  激痛に悶えながら右手で頭を触る。出血はしていないようだった。失敗した、いやまだだ。立ち上がれ、立ち上がって殺せ、この悪魔を殺すんだ! 必死に手を動かす。  痛む頭を動かすと、ソノダがゆっくり近づいてくるのが見えた。 「まったく、こんな――っ!?」  何か言いかけたソノダは突然、右足を滑らせたように体勢を崩す。  今だ! センバは身体の力の全てを振り絞り、無我夢中でソノダに向かって飛びかかった。  それから3分後。自分の城たる『千羽堂』の店内で、センバは一人、異常な興奮状態にあった。 「――ハッ……ハッ……ハッ……」  呼吸が乱れている。『思い出した』。この感覚は、やはり良いものではない。吐き気がする。汗が止まらない。手が震える。  だが……成し遂げた。俺は、打ち勝ったのだ、悪魔に!  もう動かなくなった悪魔の首筋には、剣が深々と突き刺さっていた。
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