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露天風呂の日
六(ろ)・(てん)二(ふ)六(ろ)で「ろてんぶろ」の語呂合せ。
**********
僕は足音を立てず、こっそりと彼女に近づく。そして突然、姿を現し大声を出す。
「わっ」
「きゃゃあぁぁぁ」
彼女は驚き、裏声になって悲鳴を上げた。そしてヘナヘナと腰を抜かした。
思惑通り、ドッキリ大成功。と僕が喜んだのも束の間、彼女は烈火のごとくキレだした。
「だから、いきなり姿を現して脅かすなよ」とドスの効いた声で言うそして僕を睨んだ。。
「ごめん、ごめん。驚いた?」と僕は謝る。
「驚くに決まってるだろ」。彼女は立ち上がり、「あんた、今度やったら地獄行きだからね」と僕に忠告する。
彼女は、僕が生まれて初めて付き合っている女性。彼女は、僕のこと彼氏だと思ってるのかは不明だけど。
彼女のことを紹介しよう。
彼女はYouTuber。体を張る体験を配信している女性YouTuber。先ほどのドッキリでも分かるように、彼女は普段、ドスの効いた声で喋るが、悲鳴のときは可愛らしい声を出す。そのギャップが視聴者にもウケている。
僕が彼女と会ったのも、彼女がYouTubeの撮影をしているときだった。場所はゴーストタウンとして有名な所だった。その一角にある廃墟の建物で彼女は撮影していた。
その日は曇っていて寒く、日中でも薄暗かった。ゴーストタウンの地面には、土が透ける程度だが雪も積もっていた。夏にここに来る人は多いが、冬にここに来る人は珍しかった。でも僕は冬のほうが好きだ。
僕は当時孤独だった。いつも一人でいた。騒がしい日は苦手だった。騒がしい日があると、静かな日により孤独を感じたから。でも冬のゴーストタウンは僕の孤独を包み込むほどの、寂しい雰囲気を醸し出していた。でもその寂しい雰囲気が、僕の心を常に安定させてくれた。
そんなゴーストタウンで、僕は彼女を目撃した。完全な僕の一目惚れ。僕は彼女の目の前に立ち声を掛けた。突然のことで彼女はすごく驚いていた。そのときも可愛らしい悲鳴を上げた。今、思い出してもニヤけれくる。僕は、そのまま彼女の部屋に転がり込んだ。そして同棲が始まった。
僕は彼氏として同棲していると思っているが、彼女は僕のことをただのアシスタントだと思っているのかもしれない。僕との同棲生活も、彼女はビジネスパートナーと同居しているだけと捉えているのかもしれない。
彼女の性格は、ツンデレ系と言えばいいのか、どうなのか分からないが二面性がある。
口が悪く荒っぽい。でも、そうかと思えば、僕に「何かしてみたいことないの?」と優しく訊いてくれる。まあ、YouTubeの企画会議をしているときだけなんだけど……。
でも彼女は、僕を頼ってくれる。僕の存在をありのまま認めくれる。僕のことを無視しない。僕にとって、彼女の接し方は、とてもありがたく嬉しいことなのだ。
先ほどの言ったように、彼女が、僕にとって初めての彼女(僕だけが付き合っていると思っているだけかもしれないが)。僕は彼女と会う前に、他の誰かと付き合ったことがない。女性の扱い方というものが、まったく分からない。彼女に嫌われたくない、そう思うあまり、僕は彼女に指一本触れることができずにいる。同棲して一年が経とうというのに。
僕は彼氏?それとも、ただのビジネスパートナー?
僕は不安のあまり、以前からある作戦を実行している。彼女に好意を持ってもらうため作戦。
それは名付けて、吊り橋大作戦。
心理学には吊り橋効果と呼ばれるものがある。
不安や恐怖のドキドキは、ときとして恋愛のドキドキと錯覚してしまうことがあるというものだ。
実験では、揺れる吊り橋と揺れない吊り橋でナンパした場合、揺れる吊り橋のほうが、あとから連絡が返ってくる率が高かった、というものだ。実験で吊り橋が使われたので、吊り橋効果と言われている。
僕はそれを彼女に対して行っている。
先ほど、わっ、と彼女を驚かせたのも、その一環だ。彼女にドキドキしてもらうため、僕はいろんな策を講じている。
これは彼女がYouTuberというのも都合が良かった。元々、彼女は体を張ることをしていたので、僕もYouTubeの企画と称し、彼女にドキドキさせる提案がしやすかった。
彼女が僕に、「何かしてみたいことないの?」と訊いたとき、僕はいろんなものを答えた。
春には、バンジージャンプ、スカイダイビングをした。
夏は、ジョットコースターにお化け屋敷に行ったし、それから急流下りもした。
秋は、脱出ゲームやサバゲーにも挑戦した。
どれも僕にとってはいい思い出だ。彼女の悲鳴は可愛かったし、いい映像も撮れたと思う。でも、お化け屋敷は、彼女には不評だった。そんなに驚きも怖がりもしなかったし、悲鳴も聞けなかった。彼女曰く、「本物じゃないと分かっているから」という理由だった。
冬になり、僕は次はどこに行こうかな?何をしたら彼女はドキドキするかな?っと考えているとき、珍しいことに彼女のほうから提案があった。彼女は、「温泉宿に行かないか?」と言ってきた。
まあ、温泉では彼女を驚かすことは出来ないが仕方ない。
数日後、彼女に連れられて温泉宿にやってきた。その温泉宿は古くて、本当に営業しているのか疑わしいくらいだった。
「言っていた温泉宿って、ここ?」と僕は訊いた。
「うん、ここ」と彼女は答えた。
こんなボロ宿に来たのに、彼女は心なしか誇らしげな表情をしていた。
そして彼女は僕に言う。「あんたと会ったときのことを思い出すよ。この宿は、あのときの廃墟の建物とよく似てるね」と。
僕は驚いた。彼女が僕と会ったときのことを思い出すなんて。ひょっとして、僕に気があるのでは?今までやってきた吊り橋大作戦は無駄ではなかった。
「あれから一年か。あの日の映像、かなりバズったんだよな」
彼女は懐かしむような瞳で、温泉宿を眺めている。
彼女は、僕と会った日のことを懐かしんでるぞ。その理由は、僕が大切な存在になった証拠?
これはイケる?今日、告るべきか?でも、こんなロマンチックでも、オシャレでもない宿で?
「早く入ろう」と彼女は言った。「ここは廃墟風の宿だから安心しな。わざと古びたように見せてるだけで、汚くはないから」
彼女はそう言うと、スタスタと宿に入って行った。僕も彼女のあとをついて行った。
宿に入ると、彼女は受付にいた女将さんらしき人と会話を交わしていた。
「じゃあ、お願いしますね」と女将さんが彼女に言った。
「分かりました」と彼女は笑顔で答えた。
女将さんは部屋に案内してくれた。
部屋に行く途中、確かに汚れているわけではなかった。だが壁や床が所々ボロボロになっていて継ぎ接ぎだらけだった。わざと壊れてるようにしなくても、と私は思った。
女将さんは彼女に「こちらの部屋です」と言って、扉を開けた。そして「では、ゆっくりお過ごしください」と言って、女将さんは去って行った。
部屋は和室だった。部屋は小さく6畳ほどで、奥には板間の縁側らしきスペースも少しあった。でも、やはり襖や障子はビリビリに破れていた。
部屋に入ると、彼女は持っていた荷物を部屋の隅に置いた。
「ここの風呂、露天風呂だぞ」と彼女は言った。
「へー、そうなんだ。それは、いいね」と僕は答えた。
「すぐに入る?」
「そうだな、ボロボロの部屋にいるより、露天風呂にでも入ろうかな」
「ここの露天風呂、個別の貸し切りだよ」
「へー、のんびりできるね」
僕は、何気ない会話だったので、そのままスルーしてしまいそうになった。「えっ、個別の貸し切り?」と僕は訊き返した。
「急に大きな声出すなよ」と彼女は言った。
どうやら僕は驚きすぎて、声が大きくなったみたいだ。
「ご、ごめん」と僕は声をボリュームを落とし謝った。「まさか、個別の貸し切りってことは……?ひょっとして混浴?」
「混浴もなにも、客室のお風呂が露天風呂なの」と彼女は答えた。
「もしかして、一緒に入ったりするの?」
「そのつもりだけど」
「ほら、混浴じゃん」
「だから声がデカいって」
僕は、「ごめん」と再び謝った。
「先に入っててよ。私、ちょっと準備するから」。彼女はそう言うと、持ってきた荷物をゴソゴソ探りだした。
僕は彼女の言われた通り、まるで操られるように露天風呂に向かった。
露天風呂は部屋と隣接されていて、縁側の奥にある扉を出るとベランダあった。そのベランダに露天風呂が設置されていた。露天風呂はひと家族が一緒に入れるくらいの広さがあった。屋根はあるが、目の前には林が広がり、手前には石の灯篭が立っていた。
この日は雪が降ってはいなかったが、木や灯篭や地面には薄っすらと雪が積もっていた。
僕は露天風呂に入りながら、彼女のことを考える。
今日の彼女は何かおかしい。いきなり混浴?積極的過ぎないか?吊り橋大作戦、効きすぎた?
いや、今の僕のほうがヤバい。彼女が好きでドキドキ。混浴でドキドキ。
すると彼女が入ってきた。彼女はバスタオルを巻いていた。
さらに彼女は、僕の期待を裏切る行為をし出した。彼女は露天風呂に入っている僕に向けてカメラをセットしだした。
「えっ、何でカメラ?」と僕は言う。
「YouTubeにあげるから」と彼女は平然と言う。
「なんだ」と僕は独り言のように呟く。彼女はカメラをセットするのに集中していて、僕の独り言は聞こえなかったようだ。彼女は何も反応しなかった。
僕はがっくりした。彼女が僕を純粋に誘ってくれたのかと思ったけど違っていた。どうやらYouTubeの企画らしい。
僕は不貞腐れた。
「寒い、寒い。早く風呂に入らなきゃ」とカメラをセットし終わった彼女は言った。僕は彼女の言葉を聞き流した。
「どうしたの?怒ってるの?」
僕の表情を読み取った彼女は言った。そしてバスタオルのまま彼女は露天風呂に浸かった。
「今、撮影してるの?」と僕は訊く。
「うん、そうだけど」と彼女は答えた。「何?ひょっとして裸だと恥ずかしいの?ナイーブなのね」と彼女は笑った。
「そんなんじゃないよ」
「だったら何で怒ってるのよ」
「だって、プライベートで来たのかと思ったら、結局YouTubeなんだもん。喜んだのに損した」
「あれ?言わなかったっけ?これ案件なんだ。この宿から、紹介動画の依頼されたの」
やっぱり納得できない。悲しい。彼女は結局、僕のことなんてビジネスパートナーぐらいにしか思ってないのだから。
僕は彼女と反対側に顔を背けた。
「怒んないでよ。ちゃんと伝えてなかった私が悪かった」
彼女はそう言うと僕のほうに近づいてきた。それはほとんど体が密着しそうなくらいの距離だ。顔を背けている僕でも気配で感じ取れた。
僕は急に緊張した。またもやドキドキが強くなる。
「ねぇ、初めて会ったときのこと憶えている?今日みたいに薄っすら雪の積もった日だったよね」。僕のそばで彼女が話し始めた。「あの日の配信がすごくバズって、私もYouTuberとして人気者になれたんだよね。あれから、もう一年だもんね。こうやって初めて案件が貰えたのも、全部あんたのおかげだよ。あんたがYouTubeを手伝ってくれるようになって登録者数もかなり伸びてるし。本当に感謝してるよ」
いくら感謝されようが、僕は満足できない。彼女との関係性を発展させたい。ビジネスパートナーのような関係から恋人同士に。すぐそばにいる彼女、バスタオル一枚だけの彼女、意識するだけでドキドキする。触れたい。抱きしめたい。
僕は一大決心をし、告白する。僕は彼女のほうを向き、彼女の目を見つめた。
「僕は今、すごくドキドキしている。僕は君と付き合いたい。今すぐにでも君を抱きしめたい」
僕の突然の告白に、彼女は目を見開いて驚きの表情を見せた。
束の間、静寂に包まれた。
「ちょっと待って」と彼女は声を上げた。「付き合いたいって、告白なの?」
「そうだよ。僕は君が隣にいるとドキドキする。君はそうじゃないの?」
彼女はしばらく考えて、そして答えた。
「私もあんたのこと気に入ってるよ。でも付き合うとか、そういうのと違うのよ」
「やっぱり僕のことビジネスパートナーとしてしか見てないんだ」
「いやいや、そういう意味ではなくて……。私だって、あんたと付き合いたいさ」
「それは、どういう意味?」
僕は強い口調で問い詰める。彼女は神妙な表情になる。
「あんた、私を抱きしめたい、って言ったけど、私に触れることもできないでしょ?」
「それは、今まで勇気が無かったから」
僕は今までのことを詫びた。吊り橋大作戦をしていたことを。
僕は彼女に吊り橋大作戦のことを説明した。ドキドキさせて、それが僕への感情だと勘違いさせる企みだったことを。
彼女は僕の説明を聞いて、呆れた表情をした。
「そんな回りくどいことしなくても」と彼女はため息を吐く。
「だって、会ってしばらくの間、君は僕のことを警戒していただろ?早く僕に好意を持って欲しかったんだよ」
「確かに私はあなたのことを怖がっていた。でも、それは仕方のないことだろ?だって、あんたのこと何も知らなかったんだから。でも、あんたのことをある程度分かれば、いい奴だって分かったよ。一年前のドキドキは怖くてだったけど、今の私のドキドキはあんたが好きだからだよ」
「じゃあ、付き合っても……」
「だから、それは無理なんだ」
「だから、なんで?」
「あんたは私と違ってドキドキなんてしてないだろ?」
「ドキドキしてるさ」
「じゃあ、自分で確かめてみな」
僕は自分の胸に手を当てた。「ほら、ドキドキ……」。あら?自分の手に何も伝わってこない。「ドキドキしてない」
彼女は言った。
「私がドキドキしているのは心臓が動いているから、生きてるからだよ。あんたがドキドキしてないのは心臓が動いてないから、死んでいるから。あんた幽霊なんだよ。だからあんたは私を触れることもできないし、私たちは付き合うこともできないの」
そうだった、僕は思い出した。僕はとっくの昔に死んでいたんだった。
彼女は僕と出会ったからのことを思い浮かべながら、じっくりと喋り出した。
「あんたと会ったのは、心霊スポットで有名なゴーストタウン。心霊現象が映ったりしないかな?と軽い気持ちで私は撮影していた。するとあんたが現れ、私のカメラに心霊映像が映し出されたの。それがYouTubeに流れると、再生回数が増え、私はYouTuberとして人気者になった。私のYouTubeには心霊現象が映るって話題になったわ」
そうだ、僕はあの廃墟にずっといた。話し掛けても誰も反応してくれなかった。僕はいつも孤独だった。そんなとき彼女に出会った。彼女だけが僕の存在を見つけてくれた。
「あんたは私の家に転がり込んだ。私は幽霊に憑かれたっと思った。初めは怖かった。何か呪われるんじゃないかと思って、毎日ドキドキしていた。だから私はあんたに成仏してもらうために、やりたいことを訊いていた。この世に未練があるから成仏できないっと思っていたから」
彼女が僕に、何かしたいことない?って、よく訊いていたのは、YouTubeの企画ではなかったのか。僕は何も知らずに、吊り橋大作戦なんてことをやっていた。
「でも、あんたと生活してて、段々あんたのことが好きになったよ。あんたのことを知っていくうちに、いい奴だと分かったから。いや、もしかしたら、あんたの策略通りに吊り橋効果が効いたのかもな」と言い、彼女はクスリと笑った。
彼女の笑顔を見て、僕も自然と笑顔になった。
「この宿の案件も心霊現象を狙って依頼されたの。古い宿だから、敢えてボロくして、心霊スポットにするほうが集客になるっていう理由から。でも聞いて。私、仕事だから、あんたと一緒にいるんじゃないから。私は、あんたと一緒にいて楽しいから一緒にいるんだよ。今回の混浴も、結構楽しみにしてたの。本当だから」
彼女は真剣な表情に変わっていた。彼女の気持ちが伝わり、僕は彼女を抱きしめようと手を伸ばした。しかし僕の手は、彼女の体をすり抜けた。
「あんたと付き合うことはできないけど、でも私は今のままの関係、結構好きだよ。たとえ触れ合えなくても、想い合える関係が」
僕も思った。たとえ触れることができなくても、彼女のそばにいるだけで僕は嬉しいっと。
「あー、マジな話をしてたらノボせてきた。あんたはもう少し湯に浸かってなさい。私はその間に、風呂から出て浴衣着ておくから」
彼女はそう言うと露天風呂から出た。
彼女はセットしたカメラの撮影を止めた。そしてカメラや三脚を片付けた。
カメラと三脚を抱え、彼女は部屋に戻ろうとした瞬間、彼女は濡れている地面で足を滑らせた。彼女は大きく体勢を崩した。しかし抱えていたカメラを落とさないようにしていたため、両手がふさがっていた。なんと体勢を崩したせいで、体に巻いていたバスタオルがヒラリと落ちた。両手を使えない彼女はバスタオルを押さえることもできなかった。
「きゃゃあぁぁぁ」
彼女の可愛らしい悲鳴が響いた。
僕は彼女の裸を見てしまった。僕はこの瞬間、昇天(成仏)した。
僕の、この世の未練はこれだったのか。
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