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死ぬのは今日じゃなくてもいいか。
疲労が積み重なるとまともな思考ができなくなる。
労働基準法に中指立てるような無茶振り連勤は幻の休日を本当に幻にしてくれた。
まだ生きてるから大丈夫。
もう生きていなくてもいいかもしれない。
積極的な自殺願望はない。
けれどもふとした瞬間に終わってしまっても惜しむようなこともない。
いつからだろう。人生に目標がなくなった。所謂死ぬまでにやりたいことなんて思い浮かばないし、たとえ思い浮かんだとしたってそれが達成出来ずに悔やむようなこともないだろう。
努力が報われるなんて幻想で、努力しても妨害を受けることの方が多い。
やる気を出せば横槍が入り、結果を出しても妬まれる。目立たず静かに平穏な生活が一番だと思うようになっても結局足を引っ張られる。
やる気はない。
がんばる理由もなくなった。
つまり生きていく理由がない。けれども死ぬ理由もそんなには思い浮かばない。
ただ終わってくれればいいのに。
そんな願いを抱えながら過ごしていた。
踏切で立ち止まっていると、ふらりと体を倒したい衝動に駆られる。
線路に倒れ込めば解放されるだろうかと、考えてしまう瞬間がある。
勿論、その後のことを考えれば愚かだとは理解はしている。
電車が止まればどれだけの人間に影響が出るかだとか、その損害を家族が賠償できるかだとかそう言ったことはもちろん、負傷して万が一生き延びてしまい、意識ありだった場合。
最悪だ。
溜息が出る。
目の前を通り抜ける電車の風を感じながら、先延ばしになった休暇を思う。
あと何日出勤すればよかっただろう。
何度も転職を考えている。けれども仕事が休めなさすぎて面接に行くことすら困難だ。
休暇があったってどうせ寝て終わってしまう。
踏切を渡る。
あと何日こんな生活を続けなくてはいけないのだろう。
あと何ヶ月。いや、何年?
こんな生活を何年も続けられるとは思えない。
夜は眠れないし、朝だって目覚まし時計よりも早く目が覚める。
食事をしても、それが大好物だったはずのものだとしてもおいしく感じられなくなってきたし、胃が痛む回数が増えている気がする。
原因は疲労だとわかっている。
わかってはいるけれど、断れない性格が災いし、更に連勤が続いていく。
シフト担当者はこれを見ておかしいとは思わないのだろうか。
管理職はヘイトを受けることも仕事の一部だと思うが、意図的なのだろうかと感じてしまう程度にはまともな思考が出来ない。
繁忙期だから。今だけ忙しい。
そう言って早数ヶ月。
商売が繁盛しているのなら会社的には嬉しいだろう。
しかし自分の賃金を見るとその実感が湧かない。
刑務所の方がマシな生活ができる。そんなレベルだ。
時給より高い食事を平気で注文する同僚を横目で見ながら持ち込んだパンをかじる生活にも慣れた。
大富豪になりたいなんてことは願わない。贅沢な生活もなくたっていい。
ただ、もう少し人道的な労働環境になってくれれば。
週に一日程度の休暇と、肉料理を食べられる程度の収入。
それは高望みなのだろうか。
頑張る理由が思い浮かばない。
趣味らしい趣味もなくなってしまったし、頑張って働いても報われない。
昇給も待遇改善もないし、恋人や養わなくてはいけない家族がいるわけでもない。
田中さんはトリプルワークで無休で働いていますよなんて言われたって、大学生の息子二人を抱えた母親と独身子なしをひとくくりにされても困る。
子供でも居ればもう少し頑張れるのだろうかと考えたこともあるが、自分にはそれすら困難だろう。
養子をとるにしたって安定した収入が必要だ。
今みたいに最低賃金に毛が生えた程度の賃金で、過酷な連勤をしたって平均に届かないような収入では到底子供を養えると思えない。
むしろ、こんなに働かなくてはいけないのであれば育児に割ける時間がないだろう。
空腹を感じなくなった。
食事が億劫で、食べる気力も無い。
既に生物として終わっているな。
自嘲しつつ、玄関の鍵を開ける。
今日のベルトは首を吊るのに丁度よさそうだななどと考えながら扉を開けば、小さな影が勢いよく向かってきた。
「おかえり!」
サイズの割に強烈な体当たり。
「ただいま……来てたんだ」
姪の千尋だ。いくつだっただろう。
ついこないだまでぴったりテーブルに頭をぶつける大きさだった気がするが、今はテーブルよりも背が高くなっている。
千尋が来るならそう連絡をくれればいいのに、いつだって不意打ちで連れてきて、それから数日から数週間、時にはひと月以上置いて行く。
千尋は悪くない。問題は母親の方だ。
少し前から千尋を養子に貰って欲しいと言われているが、収入を理由に断っている。
産んだのだから自分で最後まで面倒を見るべきだと思う。けれども、そう言うと、もっと収入のいい仕事に就けと言われてしまうのだ。
うんざりする。
それでも千尋に手を引かれ、隣に座れとソファーをぽんぽんされると素直に従ってしまう。
「ちーちゃんね、きょうはこれ! あそぶよ!」
子供向けのジグソーパズルがテーブルの上に広げられる。
同じ絵柄を何度も組み立ててはばらし、組み立ててはばらす。
この作業が飽きないのかと不思議に思うが、自分自身幼い頃は同じようなことをしていた気もする。
特になにをするわけでもない。
ただ、隣に座って見ていろと、千尋はいつも隣に呼ぶ。
「ちーちゃんね、あしたもあそぶ! そのつぎとそのつぎも!」
元気な声は喧しい。
頭痛に響くから腹が立つはずなのに、それでも「はいはい」と答えてしまう。
別に急ぐ必要はない。
今日、今すぐでなくてもいい。
数日千尋が満足するまで付き合っても問題はない。
だから。
死ぬのは今日じゃなくてもいいか。
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