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斉森先生
病院の食堂で、遅い昼食を食べている時だった。
今日の日替わりランチはカキフライ、ご飯は自分で盛れるので少なめに。
野菜サラダは多めに、赤だしのお味噌汁と。
50席くらいある広い食堂はパラパラと人が座っていて、その間の通路を、お盆を持った男性が歩いてくる。
「斉森先生」
どこに座ろうかと辺りを見渡していたその人に声を掛けると、私に気づいて近寄ってきた。
「良かったらどうぞ」
斜め向かいの空の椅子に手を伸ばして言うと、彼は頷き、お盆をテーブルの上に置いた。
「こんな時間に珍しい。何かトラブルでも?」
「いえ、先生が一人、急にお休みになったんで、いつもの時間に診察が終わらなくてね」
「そうだったんですか」
彼はカツカレーを選んでいた。湯気と供にカレーの匂いが漂ってくる。
「患者さんが向かいに座っているとき、腹の虫が泣かないか密かに心配でした」
そんな風に笑いながら、椅子を引いて座ると、コップの水を口にする。
天然だろうか、緩く巻いた髪が額に掛からないよう適当に流し、すっきりと耳を出したヘアスタイルは、彼の清潔感を演出するのに役立っている。
「秦野師長は、いつもこんな時間に昼なんですか?」
太くまっすぐの眉の下にある、少し目尻の下がった優しそうな目が聞いてくる。
「ええ。病棟のスタッフが交代で昼を取るので、念のため、その時間は待機してるつもりなんです。
うちのスタッフは優秀なので、別に私がいなくても大丈夫なんですけど」
揚げたてのカキフライは、衣がパリッとしていて美味しい。
食堂のご飯は、全てが手作りという訳ではないし、薄味だし、メニューの数も限界はあるけど、一人暮らしの今日子にはありがたい場所だ。
開店時間が長いので、一日2食お世話になることもある。
斉森先生は白衣の袖を少しまくり上げ、下に着ていたネイビーのシャツのボタンを二つ外して襟元をくつろげると、スプーンを手にした。
スプーンの端を器用に使ってカツを切り、カレーとご飯を絡ませる。
「そう言えば、病院報で見ましたけど、退職されるんですか?」
気になっていたことを聞いてみる。
実は、先生を呼び止めた理由もそこにあった。
毎月、院内外の関係者に配布される病院の情報誌の、退職者の欄に先生の名前があったのだ。今月末までと記載されていた。
50代後半ではあるけど、まだ数年は充分働けるはず、何でだろう、と思っていたのだ。
「ははは、あれに載っちゃったから、もう辞めるしかないですね」
「…まだ定年には間がありますよね」
「まあ。ちょっと行きたいところがありまして」
そんな風に言いながら、カレーを口に運ぶ。
「そうなんですか」
手を止めて彼を見ている私に気づいたのか、「別に隠す必要もないんですけどね」と、少し照れくさそうに言った。
「隣の県の、山奥の僻地診療所に赴任するんです」
えっ、と声を上げた私に
「前から来てくれないかって呼ばれてて。やっとその気になったんで」
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