はじまりの音  理想的な家族6ーこころ

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「懐かれたねぇ」  化粧室で同期の由紀子が面白そうに言った。こころは手を洗いながら、「やめてよ」と文句を言った。 「いいじゃん。一緒にご飯を食べに行った仲でしょ。グッと親密度が上がっても不思議はない」 「……その時、由紀子も一緒にいたでしょうが」  以前、月山さんに無茶振りされ、由紀子に助けてもらって、夜遅くまで残業して資料を仕上げたことがある。そのお礼に、月山さんにご飯に連れて行ってもらったのだ。その時、由紀子が手伝ってくれたことも伝えて、三人で中華を食べに行った。  その時だって、ほとんど由紀子がしゃべっていた気がする。由紀子が月山さんに質問をして、彼が答え、こころが「そうなんですね」と相槌を打つ。ほとんどこのパターンだった気がする。  しかし、確かにそれを境に、月山さんはこころを呼ぶのではなく、こころの席まで来るようになった。  なんだかなぁ。  その事実だけ言えば、月山さんがこころを気に入って、アプローチしているように思える。  だが、彼の仕事への打ち込みようと、あっさり切り上げる様子は、単純に仕事の効率を上げる為と言いそうな気がする。  月山さんだしなぁ。  こころ自身の気持ちも分からない。  以前よりは親しみを感じているが、それも、苦手がマシになっただけかもしれない。 「由紀子」  こころが呼びかけると、由紀子は楽しそうに眉を上げた。 「なぁに?」 「好きになったって、どうしたら分かる?」  由紀子は目を見開いて、嬉しそうに「わお」と言った。 「そんな中学生みたいな質問、二十代も半ばでされると思わなかったわ。こころ、あんた、もしかして……」  由紀子が言わんとしてることを察して、こころは慌てて、顔の前で手を横に振った。 「わたしだって、男と付き合ったことくらいある。ただ、なんとなく、改めて思っちゃったの。この人を異性として好きって、どうやって認識してたっけって」  由紀子は今度こそ、腹を抱えて笑った。 「そんなの、ドキドキするかどうかじゃない?」  笑いすぎて出た涙を拭きながら、由紀子はそう答えた。 「ドキドキか……」  呟いて考え込むこころに、由紀子は「彼にしたことある?」と尋ねた。 「ううん、ない」  そう答えたこころに、由紀子は「ふーん」とニヤニヤしながら言った。  その「ふーん」が癪に触って、こころが「なによ」とつっかかると、「だってさ」と由紀子は口紅を塗りながら言った。  昼休みもあと少しで終わってしまう。 「わたし、『彼』としか言ってないのに、誰のこと考えたのかな、と思ってね」 「だって、それは……」  あの流れでは、「月山さん」だと思うだろう。  こころがそう反論しようとした時、由紀子はわざとらしくスマホを出した。 「あら、もう時間よ」  結局、言いかけた言葉は引っ込められ、こころは代わりにため息をついた。
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