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12時を少し過ぎる頃には、翔はペダルのない自転車を乗りこなせるようになっていた。対する私はまだよろよろと進むことしかできない。元々の運動神経も良くないし、やる気があるわけでもない。当たり前といえば当たり前だ。
「ご飯食べたら、翔はペダルつけてみようか。ママはもう少しそのままで」
おにぎりを頬張りながら、茂雄が笑う。彼の額に滲んだ汗が、『自転車を息子に教える良き父親』の象徴のようにきらりと光った。私は思わず目を逸らす。
本来ならば、母親も子供に自転車の乗り方を教えるべきなのに。不甲斐なさに涙が滲み、慌てて汗を拭うふりをして目を擦った。
太陽が傾き始めた頃。
「ママ、見てえ!」
翔の声にはっと顔を上げた。見ると、彼はすいすいと自転車に乗っている。驚いた、1日で乗れるようになるものなのか。茂雄はまるで自分のことのように得意げに、彼を見つめて立っている。
「翔、すごーい!」
跨っていたペダルのない自転車を降りて、私は翔の方へ駆け寄った。
きっちりとブレーキをかけて私の前に止まり、翔は私に抱きつく。
「ぼく、のれたよ! みた!?」
「うんうん、見たよ。頑張ったねえ」
ぎゅっと彼を抱きしめつつ、内心ではひどく焦っていた。心臓がドキドキして痛い。どす黒い、惨めな気持ちが言葉になって口からこぼれ落ちそうになり、慌てて唇を噛む。代わりに涙が1粒、こぼれ落ちた。
もういい大人なのに、どうして私は乗れないんだろう。
体を離した翔が、私の顔を見てほんの一瞬ハッとした顔になる。しかしすぐに笑顔を作り、私に背を向けてまた自転車に跨った。
涙を拭って、私も自転車に跨る。いつまで経ってもよろよろとしか進まない。地面を蹴る足がどんどんと重くなり、顔を上げることもできなかった。
自転車を押して帰る道すがら、私はずっと俯いていた。翔と茂雄は楽しげに、私の前を歩いている。たまに茂雄がこちらを気遣うように振り向くのも、気づかないふりで目を逸らした。
お気に入りの白いスニーカーは、土で汚れてしまっている。私の心みたい、と自嘲気味に小さく笑った。
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