ペソギソ

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    *  スギウラさんたちが働く水族館が最後の最後、ほんとうのギリギリまで残っていたのには理由があった。  ペソギソがいたからだ。  ペソギソはある日突然、水族館の中に現れた大きな卵だった。  水族館のペンギンたちの暮らす場所に、突如として現れた存在だった。  ペソギソになる前の卵は言った。世界は終わるのだと。この星はもう駄目なのだと。自分はそれを知っているものであると。  滅亡は地球に住む誰もが実感し始めていたことだったから、人類はああやっぱりなと絶望し、同時に終末が間近に迫っていることを知った。  自分たちは命のあふれる星を壊したのだという罪を負った。  その罪を知らしめた卵が何であるのかは、とうとう知れなかった。  明らかに得体の知れない存在だったそれは「あなたは何者であるか」という問いに「ここを見届ける者だ」と答えた。  やがて殻を破り生まれ出でたそれは、水族館にいたペンギンの姿を模して形を成した。  明らかに体の構造や備わった力などが異なっていたが、卵が現れた場所である水族館のみんなは「これはペンギンである」と言い張った。世界は世界で、もう「外」に逃げることに躍起になっていたから、いち水族館に生まれた「ただのペンギン」にかまけている暇はなかった。  ペソギソがほんとうは何であれ、この星に置いていくものだ。人間たちに、持っていくことの出来ないものに興味を残しておく余裕はない。  ひとびとからの無関心を得たこの水族館は、感謝した。ペソギソには卵だった頃とは別の自我が芽生え始めていたからだ。  何も知らないただの生きものとして、この星を見届ける――その役割を持った卵は、まっさらな魂のペソギソになって水族館の仲間になった。  はじめのうち、館長さんも他のスタッフも、ペソギソを良く思ってはいなかった。他の水槽の動物たちも本能でなにかを察知するのか、常におびえた様子を見せた。  最後の審判を下す存在が来たのだと考える人もいたし、人間の浅ましさをはかり、地獄の門を開くのではないかと思う人もいた。地球外からこの生命体はやって来ていて、愚かな地球人を全滅させにきたのかもしれない、とも言う人がいた。 『ペソギソはただのペソギソだ』とただひとり言った人もいた。スギウラさんだ。指を食いちぎられたくせにペソギソを疎ましがる様子もない。 『君は、怖くないのか。これが善なのか悪なのかすらわからないのに』 『ただの生き物になると言っていたんでしょう? じっさい、ペソギソはただの赤ん坊や雛と何も変わらないように見える』  嘴をぱくぱくと開くペソギソを抱き上げて、スギウラさんは言った。他の生き物たちに遠巻きにされていたペソギソは寂しがりやで、スギウラさんが抱き上げると喜んでその体をぴったりと寄せるのだった。 『ただの赤子だっていずれ悪人に育ったりするだろう。こいつだって悪の芽を開かせるかもしれないじゃないか』  そうして人類に審判を下し、罰を与えるのかもしれない。 『悪だの善だので赤ん坊を見たことがないのでわかりませんが、罰が下るのならそれは人間が悪いのでは。僕はこの子はただのペソギソだなぁと思うだけです。可愛いので仲良くなりたい。それだけです。あ、でもちょっと不細工』  見た目の造作がほんのちょっと違うペソギソの顔を覗き込む。ぐずり出した雛のペソギソが繰り出したキックがスギウラさんのおなかに命中した。 『ぐっふぅ……』 『あぁ言わんこっちゃない。こいつの力はとんでもないんだぞ。指も食いちぎられたじゃないか』 『た、たのもしいじゃないですか。それにきっと、力加減がわからないだけですよ。こんな雛が、悪意を持って誰かを害するとは思えない』 『スギウラくん、君は能天気なばか者だな』  館長さんは呆れかえる。滅亡を前にした陰鬱な世の中にあって、彼のような人間は館長さんにとっても他の人にとっても救いだった。  スギウラさんは心臓を病んでいた。地球が滅びるのが先か自分が死ぬのが先かというくらいには、命の期限は短かった。  スギウラさんが水族館の他のどんな生き物たちとも分け隔てなくペソギソと接し続けたことによって、みんなもペソギソを受け入れ始めていた。  ペソギソとスギウラさんが通路を一緒に歩いていた時のこと、突然スギウラさんが倒れた。  まだ小さいペソギソはきゅぅっと瞳を細めた。耳を寄せてみると鼓動がしない。生き物は心臓が動くことによって生きているとペソギソは知っていた。  翼の先っぽ――手を自分の体に突き入れると、そのまま裂いてペソギソは自分の心臓を取り出した。次に同じようにスギウラさんの体を裂き、心臓を取り出す。  すっかり止まりきってしまった心臓の代わりに、うんと強い自分の心臓をスギウラさんの中に入れて閉じた。  とくん、とくん、と音が再び鳴り始めたのを確認すると、幼いペソギソはにこっとスギウラさんに笑いかけた。  目を覚ましたスギウラさんはペソギソが何をしてくれたのかを理解し、ペソギソの頭を撫でた。善も悪もないただの生き物のペソギソが、ひとりの友達として救ってくれた。スギウラさんはペソギソに深く感謝した。  以来、ペソギソの心臓はスギウラさんの体の中で音を刻んでいる。
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