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来たときと違い、帰りは誰も声をかけてこなかった。晴翔がそれを不思議に思っていると、男が律に声をかけてきた。
「なんだ?律、お前軍人さんのところに嫁にいくのか?」
「そうだよ、俺は買われたんだ」あちこちから『俺の律が人様のものになってしまった』などといった嘆く声が聞こえてきた。
「律、ここを出ていくのかい?寂しくなるね。言ってくれれば盛大に送り出してやったのに」煙管をふかしながら2階の窓から、美しい遊女が声をかけてきた。
「ありがとう桜子、俺幸せになるよ」
「一歩遅かったか、今度水揚げする予定の遊女に、指南して欲しかったんだけどな、とにかく幸せになれよ」
「ありがとう啓介、俺はお前に抱かれてみたかったよ」
祝福の声が上がると、律は手を振って答えた。
焦った晴翔は律に小声で言った。「私は律殿を買ったわけではありません」
「ちゃんと分かってるよ。みんなも冗談を言ってるだけ、嫌がる大佐をとって食べたりしないから、そんな思いつめた顔しないでよ」
律がいつまでもクスクス笑っているので、晴翔は顔を赤くした。
そこでふと思った。そういえば、以前遊女の身請けについて聞いたことがあった。
最低でも500銀貨が必要だと言ってなかったか?律ほどの容姿なら、もっと必要なのではないだろうか、もし黙って逃亡したと思われて、彼に迷惑がかかっては申し訳ない。
「もしかして、律殿は『買われた』と知られたら、困ったことになりますか?身請け金が必要ですか?」
これには参ったと言わんばかりに、律は笑い転げた。「俺は年季がとっくにあけて、もう男娼じゃないから気にしなくていいよ。だいたい、29にもなる俺を雇ってくれる娼館なんてないよ。花街にいるのは、居心地がいいからで、客をとってるわけじゃない。好きでここにいるんだ。たまに、大佐みたいに、美味しそうな男に出会えるからね」
律にいたずらっぽい目を向けられ、晴翔の心臓は、なぜか激しく波打った。
港に停泊している船に乗り込むと、晴翔は〈白木綿〉の街を見下ろした。
これも颯真のためだ。先ほど大勢の知らない人からベタベタと、あらゆるところを触られたことは、忘れることにしよう。
晴翔は顔を手で覆った――あそこをつかまれたときは、本当に魂が抜け出てしまいそうだった。
「大佐?大丈夫?」
「はい、大丈夫です、ちょっと部下のことが心配で」
「大佐は部下思いなんだね」
「家族ですから——あの子は私の甥っ子です。赤ん坊のころから知っているので、つい過保護になってしまうんです」
「ふーん、じゃあ大佐の大事な家族を、俺が全力で守ってあげるよ。俺こう見えて、妖術の力は強いから、大船に乗った気でいていいよ」
「すみません。あなたを恋人から4日間も奪ってしまって、彼は怒っていませんでしたか」
「恋人?ああ総司のことか、あいつは別に恋人じゃないよ、時々遊んでいるだけだから気を使わないで、もう1発やりたかったみたいで、ちょっと拗ねてたけど問題ない」
晴翔は赤面した。「なるほど、ならば安心しました」
バツが悪そうにしている晴翔を、律が笑った。
「大佐って本当面白い、俺気に入っちゃったよ」
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