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「そ、空知です」
「そう、そらちさん」
五十嵐先輩は門を開けて、私を中に入れた。お風呂上がりなのか、先輩の髪からは洗剤のいい匂いがした。男の子なのに、長めの前髪から覗く横顔は私より色気がある。綺麗な人。
でも、こわい。どんなに綺麗でも、男の人は私にとっては違う生き物だ。
寮の中に入った私は、プリンが入ったコンビニ袋を五十嵐先輩に差し出した。目は合わせられないし、手が震えている。
「あの、これ」
「ん、ありがと」
先輩がコンビニ袋を受け取る。よかった、無事渡せた。
「あ、おつり」
私は五十嵐先輩におつりを渡そうとした。パクったっていちゃもんをつけられたら嫌だからだ。ふっと目の前が暗くなったと思ったら、ちゅっと音が響いた。頰に唇が触れた感触がする。
あれ……。
いまキス、された?
「お釣りはあげる」
五十嵐先輩はそう言って微笑んだ。
呆然とする私を置いて、五十嵐先輩は階段を上がっていく。唇が触れた部分に触れたら、ひどく熱かった。いつのまにか、雨が降り出していた。
「お姉ちゃん、私家に帰っていい?」
「駄目」
LINEを送ったら、すぐに返事がかえってきた。大学生のお姉ちゃんは、私のことが嫌いだ。きのこみたいにジメジメしててうっとおしいんだって。私が寮に入るって知って、一番喜んでいたのはお姉ちゃんだった。
家に帰っても、そんなにいいことはない。だけど、ここよりはマシなはず。
さっきのことを思い出したら、涙が滲んできた。ファーストキス、だったのに。私、好きな人いるのに。名前も顔も知らない人だけど。痴漢から助けてくれた男の子。
同じ学校ってことは間違いない。バス通学してるってことも。だけどあれ以来、お父さんに車で送り迎えしてもらっていたから彼とは遭遇していないのだ。
こういうの、恋とは言わないのかな。
でも、会いたい。
あのひとにまた会えたら、ちょっとは男の人が平気になるかもしれない。
でも、痴漢にあうかもしれないのに、バスに乗ってあの人を探す勇気はない。私は臆病でいくじなしだ。
お姉ちゃんにも、五十嵐先輩にも自分の意思を通せない。
嫌なことは寝て忘れるだけ。
私はベッドに横になって、目を閉じた。
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