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「そ、颯祐…」
頑張って電話の向こうの颯祐に、普通の声を出したが、どう聞こえただろう。
「どうした?メールも何にもくれないじゃん」
え?それは僕のセリフだ。どうして何もくれなかったんだ、そう思いながら
「颯祐から来るのを待ってたんだよ」
言ってしまって顔が熱くなった。
「え?俺からの?ホントに?」
少し嬉しそうに聞こえたのは、自惚れだろうか。僕はちょっと嬉しくなった。
「忙しかったの?」
「バイトの面接に行ってた」
そうか、アルバイトを始めるって言っていた。そう思い出して、また寂しさが襲う。
「何のバイト?」
「駅前の本屋。バイト募集の貼り紙があった」
本屋さん!? だったら僕も毎日でも行ける!そう思って、途端に嬉しくなった。
「いつから!?」
元気になった僕は、弾んだ声で訊いた。
「まだ合否の返事は来ないよ」
笑いながら颯祐が言う。
「そうかっ!でも颯祐ならきっと大丈夫だよ、採用されるよ!」
「そうかな?」
「だって、カッコいいし、きっと女の人のお客さんが増えるよ!」
言ってしまった自分の言葉に、自分で落ち込んだ。そうだ、颯祐はカッコいい。中学の時だって沢山モテた。今だってきっと、颯祐に憧れている人はいるはずだった。
「颯祐…」
「ん?」
颯祐には、気になる人や好きな人はいないの?この前の、あのキスは何だったの?声に出さずに胸の中で颯祐に問い掛けた。
「何でもない。電話くれてありがとう」
「うん、漣、おやすみ」
「…おやすみ、颯祐」
その夜は眠れなかった。
いつまでも、颯祐は僕の颯祐では無いんだと、気持ちを整理しなければと思って、眠れなかった。
でも、颯祐の事は好きだ。颯祐に相応しい人間になりたいと思いながら、眠れぬ夜を過ごした。
『駅前の本屋、採用になった!』
メールでの、颯祐の嬉しい報告に僕は自分の事の様に喜んだ。
『おめでとう!』
僕はクス玉が割れるスタンプも添えて送って、ニコニコとしてスマホを両手で抱えていた。
僕も頑張らなくては、そう思って颯祐と今以上に会えなくなる寂しさを覚悟して、お祝いの言葉を送る。
『ありがとな』
颯祐の、そのひと言のメールでやり取りは終わり、それからもあのキスの事など、何も無かったかの様に日々は過ぎていった。
蒸し返して関係を悪くしたく無かったので、以前の、仲の良い幼馴染のまま僕はやり過ごしながら、高校進学の問題にぶつかる。
颯祐が通う、僕の祖父が経営する高校『天海学園』に行きたい。しかし祖父母も両親も、天海学園には通わせるつもりは毛頭無い。
今度ばかりは、中学受験を止めたい、という訳にはいきそうになかった。
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