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「だ、大丈夫だから、帰ろう」
僕はそう言って、まだ少し痛い鼻の先を人差し指でさすって颯祐に微笑んだ。
「さっきの奴と、同じ高校受験するのか?」
「う、うん。加藤君も同じ高校を受験するって、だから色々と話すんだ」
颯祐が優しく訊くから、そう答えた。
「加藤?」
そう言って、颯祐は酷く眉を顰めた。え?何で?加藤君は加藤君だよ、何でそんな風に訊くんだろうと、ちょっと怖かった。
「うん、加藤君、電車で塾に通ってるんだって。あの塾、結構有名だったんだね」
普通に歩いて通える自分は恵まれていると思って、微笑みながら言った。
「漣は、どうしたいの?」
「え?」
「高校に行って、何がしたいんだよ」
颯祐の質問が分からなかった。何がしたいって?特にない、颯祐はあったのかな?
「別に無いけど、颯祐は何がしたくて『天海』に行ったの?」
疑問に思ったから普通に訊いてしまったけど、そうだ颯祐は学費がタダになるからだったと、思い出して、しまったと思う。
やはり睨まれて、自分の配慮の無さを悔やんだ。
「ごめんね、なんか僕、颯祐を怒らせてばかりだ」
しょんぼりしてそう言うと、颯祐は頭を撫でて
「怒ってなんかないぞ、俺」
にっこりと笑った颯祐が分からなくなったし、何だか悲しくなって、僕の眉が下がった。
「漣は、ただ俺の傍にいればいいんだよ」
そう言って笑ったけど、九州の大学に行くじゃないか。傍に、いたくてもいれないじゃないか、僕は少し目を潤ませて颯祐を見た。
「な、帰ろう!」
颯祐は、僕の肩に手を回して並んで歩いた。
塾は毎日ある。颯祐のバイトは週三日で、土曜日もバイトだから平日は二日だけなのに、あれから毎日、颯祐は僕の帰りを塾の前で待っている。
「じゃあね、加藤君」
加藤君に手を振って別れようとした時、颯祐が近寄って来た。
「加藤君?」
「は、はい…」
加藤君が戸惑って僕を見る。僕も目が泳ぐ。
「天海君、お兄さん、いたっけ?」
小声で加藤君が僕の耳元で訊いてきた。
「お兄さんじゃないよ、みたいなもんだけどね。漣と同じ高校受験するんだって?頑張ってね。漣は俺の大事な弟みたいなモンだから、よろしくね」
加藤君の訊ねた声が聞こえたらしく、颯祐が一気に捲し立てて、微笑んで言った。
「あ、はい…。よろしくお願いします」
加藤君が颯祐に頭を下げた。何だか違う気がしたけど、颯祐がまた機嫌を悪くするかと思ってそのままその場を流した。
「じゃあ、またね」
加藤君に手を振って別れると、颯祐の顔が変わった。
「漣、アイツと笑顔で話しをするな」
何で?そう思ったけど、僕は颯祐の機嫌を損ねたくて、うん、と返事をしようとしたけれど、でも…。
「どうして?加藤君はいい人だよ」
言ってしまった。
「あ?」
僕が言った言葉に、真顔で振り向いた颯祐の顔が怖い。
「漣は、俺にだけ笑ってればいいんだよ」
そう言って、僕の左の頬を軽く摘んで揺らした。摘んだ指を離すと、ぽんぽんと頬を撫でて、にっこりと笑った颯祐。
どうしたの?颯祐。
颯祐が、颯祐じゃないみたいで怖かったけど…でも、そんな颯祐に僕の心は、全部持って行かれた。
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