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 材木屋の車力として大八車を牽き続けた父親のもとに生まれて、絵筆より重いものを持たずに生きていけるようになったことは僥倖だったと思っている。両肩が逞しく盛り上がった父を頼もしく思う一方、同じ生き方はとてもできないと、子供の時分は怖がっていたものだ。  それでも歳を取ることは止められず、少しずつ今後の生き方について諦めをつけていった。画塾を営む原木という男に画才を見出されたのは十二歳の頃で、試しに筆で線を引くと紙の上に朧な幻が見えたことを五十に手が届く今でも覚えている。それが消えないうちに線をなぞった喜平を、原木は驚きを以て見つめていた。  画塾へ誘った原木は、寺子屋の子供と同程度の教養しかなかった父に頭を下げた。画才がどのように活かされるのか全く理解していなかった父は拒んだが、最終的には画塾へ通うことを許した。後から思うと、金を生むかもしれないという言葉が効いたのかもしれないと思った。余裕のない暮らしなのは子供心に感じるところであった。
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