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 画塾では創作を志す者が多く、彼らはやがて大名や商人の依頼を受けて一点物を手掛ける職人になっていったが、主張が苦手な喜平は彼らと同じにはなれないと感じていた。代わりに他人の意見を素直に聞く質でもあった喜平は、多くの人々が使う数物の制作に自らの画才を投じるようになった。依頼主に渡す下絵は、喜平という絵師の手による作品には違いないが、そこに落款したことはない。雅号も持たない喜平は、絵師としての顔を限りなくぼやかして紙の裏にいるつもりであった。  歴史の中では絵師としての名は残らず、市井の人として一人で終わるだろう。両親は既に亡く、所帯を持ったこともないから、いつか没した時に語り継ぐのは住まいの近くに暮らす人やひいきにしてくれた依頼主だろう。彼らの間で語り継がれる間が、人にとっての本当の寿命なのだ。  満開の桜に始まり、八分咲き、五分咲きと、絵の中で少しずつ季節を逆行させていく。 最後に蕾を描くと、一つの春に桜が見せる変化が並ぶ。一番人気は満開の桜に違いないが、春爛漫の期待を想起させる蕾や八分咲きの姿を求める人もいるらしい。  下絵はやがて色をつけ、櫛や印籠などを彩るだろう。それを手に取る人の姿を思い浮かべた喜平だったが、やはり顔の造作まで想像は及ばなかった。
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