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 川向うに煉瓦造りの建物が並ぶ道で、喜平はふと丘の方を仰ぎ見た。丘の上は山手といい、本村の質素な家々とは大きさも装飾も比較にならない豪奢な邸宅が立ち並ぶ。独りの身の上で巨大な住まいを欲しいとは思わないが、彼らの近くに大きな桜が咲き乱れるのは羨ましかった。  安政五年(一八五八)に成立した安政五ヵ国条約により、それまで長崎でのみ許されていた貿易が他の港でも行われるようになった。横浜はその一つとなり、外国人の居住と営業、借地が認められる区域である居留地が設けられた。当初は極めて小規模だった居留地も、今では商館や店、会社が集まる山下町と、外国人が住まう山手に分かれるほど広がった。居留地内では、現在アメリカをはじめ、条約を結んだ五ヵ国の国民が住まい、働いている。  居留地と本村を隔てる川は堀川といい、かつては板塀によって境としていた場所を掘削し、水を引いた人工の川である。その川には等間隔に橋が架けられ、喜平の住まいに最も近い車橋を渡ると、その風景は大きく変わる。酒を飲ませる店は暖簾の代わりに扉を備え、信心を満たす場所はお堂ではなく十字架を建てた教会がその役目を追う。堀川沿いの風景が見えなくなると、振り仰いでも桜は煉瓦の壁に遮られるが、どこか湿りを帯びた本村よりも乾いた風が心地よかった。
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