虚弱少女の生きる意味

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2  ……こんな生活はうんざりだ。  そう思った私は溜息を吐いた。気分は立ち込める暗雲の様だった。今までの人生の中で最悪の気分だ。  私は幼少期、物心が付いた時から病院に居た。一人ぼっちの寂しい個室に閉じ込められているという表現の方がより正確かもしれない。  そして、これからもこの状況は続くだろう。どの医療機関も匙を投げるレベルの原因不明の病気らしいから完治はおろか寛解の見込みすら無いようだった。症状は主に二つ。一つは両手両足が全く動かない。本来、自由自在に動かせて何かを掴んだり移動したりする為の器官が機能停止しているので、何の感覚も無くただ重いだけの無用の長物が四本、体にくっ付いている状態で気持ち悪い。二つ目の症状は変な不整脈が頻繁に起き、ちょっとした事ですぐに心臓が締め付けられるように苦しくなる事。何回かはそのまま倒れて、一週間後に目覚めたなんて事も三回くらい経験した。紛れもなく欠陥品の肉体だった。  当然の話だが学校なんて通える訳が無いので、いつも通信授業を受けていた。映像の中で先生が喋っているだけの無味乾燥とした授業。授業自体の面白さも無く、生徒が居眠りしていて先生が丸めた教科書で頭を叩いて起こすといったようなハプニングも起こらない。知識だけを延々と詰め込む単純労働のような時間。私にとっては拷問だった。  拷問は勉強の時間だけではない。風呂もトイレも一人で出来ないので看護師さんの補助が必要だった。16歳の高校一年生の女子がまるで要介護者の高齢者みたいに服を脱がされてお世話をされる。恥ずかしさや情けなさといった感情が湧き起こらないと言えば、それは嘘になる。手足型のマニピュレーターのお陰で食事はかろうじて一人で出来たが、それでも毎日食べる病院食は本当に味気なく、孤独という状況が病院食の不味さに拍車を掛ける。こんな生活に対する不満や怒りをぶつける相手、愚痴を聞いてくれる友人は誰一人として居ない。私にとって毎日生きることは地獄に等しかった。  だが、そんな私にも唯一の娯楽はあった。それは写真だった。写真と言っても私が何かを撮影したり投稿する事はない。他の人がSNSに投稿している写真をただ眺めている。それだけが私の楽しみだった。特にお祭りや何処かのイルミネーションの写真が大好きだった。 (こんな写真、私も撮りたいな……)  写真を眺める度に私はそう思った。でも、それは叶わない望みだった。私は両手両足が動かない上に、いつ倒れるかも分からない病。外出の許可が降りることは無いだろう。そして、この灰色の病室の中では撮影できる物など何も無い。灰色の壁に灰色の天井、どの病院にもあるようなベッド。お洒落な小物の一つも無い。病院食だって彩りが無いから、SNSに載せてもつまらないだろう。  私の周りには何も無かった。SNSに投稿できそうな友達、食べ物、美しい景色、綺麗な小物……。キラキラしたものは何一つとして存在しない。無色透明、無味乾燥な日常がエンドレスで続いていく。  だが、ある日。そんなつまらない日常にちょっとした変化が訪れた。
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