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君を泳ぐ 1-3
それから電車を降りるまで、尊は夢うつつをさまようみたいにぼんやりとしていた。ここしばらく悩んでいたことが杞憂に終わって安堵したと同時に、分かっているつもりだった犀のことを何も理解出来ていなかったことがショックだったのだ。
「……尊、大丈夫?」
駅から出た瞬間、隣を歩く犀が不安げに尊の顔を覗き込んだ。それほど酷い顔をしているのかと、尊は苦笑した。
「あぁ、大丈夫……」
「ホントに?……でもさぁ、なんで僕が真野君のこと好きだなんて思ったの?」
「真野君って言うのか、アイツ」
「うん。……で?なんで?」
眉間に皺を寄せて、話すまで許さないという顔で犀が身を寄せてきた。
「犀が……あんな風に、俺以外に笑ってるの……初めて見たから」
苦々しい顔で尊がボソボソと吐き出すと、犀は目を丸くした。
「えっ?!それだけで???」
「それだけって……!お前今まで自分がどれだけ周りに塩対応か分かってんのか?!それが、あんな……毎日毎日アイツとあんな笑顔で話しててさ、しかも今まで部活の時間に何も描かないなんてなかったのに、絵を放ってプールの方見てるなんてさ、アイツは犀にとって特別なんだと思っちゃうじゃん!って……お前、笑うな!」
尊が恥を捨ててまくし立てると、犀は途中からケラケラと声を上げて笑い出した。
「だって~。アハハハ。尊がそんなに僕のこと見てくれてたのかと思ったら嬉しくなっちゃって」
「そ、れは!その……!」
思わぬ指摘を受けて尊はたじろいだ。確かに、クラスも違えば普段話しもしない犀のことをこれだけ知っているのは、尊がそれだけ犀を見ているということの裏返しだ。
「ねぇ、尊は僕が誰かを好きだったら嫌なの?」
少しからかうような口調で犀が訊ねた。
「嫌、っていうか……」
頭の中では「嫌だ」と即答していたが、素直にそう言えない尊は口ごもった。犀が自分以外の誰かを好きかもしれないと考えただけで胸がズキズキと痛む。そんな尊を見て犀はクスッと笑った。
「じゃあ、もし僕に好きな人がいるって言ったら応援してくれる?」
「えっ?!いるのか?!誰だ?どこのどいつ??俺も知ってる奴か?!」
尊は思わず犀の両肩を掴んで食い気味に詰問してしまった。犀はガクガクと肩を揺さぶられながら、顔を真っ赤にして笑った。
「ちょ、尊……待って……あは、あはは……」
「笑うとこじゃないだろ!なぁ?いるのか?誰か好きな奴」
「ふふっ。ふふふっ……」
「笑うなって!」
「ずっと表現してたつもりなんだけどなぁ。伝わってなかったか。表現の仕方をもっと磨かないとなぁ」
「はぁ?!何の話だ?」
「絵だよ、絵」
「……絵?何でそんな話に……」
尊は急に話が切り替わってしまったことで少し冷静さを取り戻し、首を傾げた。
犀は口元に手を当ててクスクスと嬉しそうに笑った。
「だって尊が言ったんだよ、犀は言葉にするのが下手だから、絵に描いて伝えればいいって」
そう言われて尊は遠い記憶を思い起こした。
「……言った、かも。うん。たぶん言ったな、小さい時に。……で?」
それが好きな人の話とどう繋がるのか、尊には理解出来なかった。
「あのさ、尊が最初に僕に渡してくれた絵本、覚えてる?」
「いや……。何だったっけ?」
尊は正直あの日のことは絵本ではなく犀のことしか覚えていない。尊の返答に、犀は人差し指を口に当ててフム、としばらく考え込んだ。
「僕はね」
「……うん」
今日は犀から予想外な話ばかり聞かされている気がする。尊は犀が次にどんな話をし出すのか、ドキドキしながら待った。
「僕がいつも描くあの小さな魚はね、僕であり、尊なんだよ」
「へっ?!」
「尊が初めて出会った時に僕にくれたのは、ああいう、黒い小さな魚が、一人ぼっちで海を冒険して、自分を知っていく物語だったんだ」
「……あぁ、『スイミー』か」
「そう!」
『スイミー』は犀が小さい頃から今でもずっと大事にしている絵本の一つだ。尊も何度も一緒に読んだし、あの魚がそれのオマージュであることは何となく気付いていた。でも……
(それが犀であり、俺だって?!)
「それってつまり、犀が絵に描いてたのは俺への想い……ってこと?」
恐る恐るそう訊ねると、犀は目を煌めかせて頷いた。
「うんっ!」
やっと通じてよほど嬉しかったのだろう。犀はそのまま鼻歌を歌いながら歩き出した。一方の尊は、全身の力が抜けてヘナヘナとその場にしゃがみ込んだ。
「……なんだそれ。俺のこと大好きじゃん」
顔が焼けるように熱い。今まで悩んできたことが全て恥ずかしくなって、尊は頭を抱えた。
「尊っ?!どうしたのっ?」
いつの間にか駐輪場から自転車を取ってきた犀が慌ててこちらに駆け寄ってきた。
「何でもない……」
のそりと立ち上がって尊はそう答えたものの、まともに顔を見ることが出来なかった。
「尊?何か怒ってる?」
「……怒ってないよ」
無言で歩き出した尊の横を心配そうな顔をして犀が自転車を引きながらついてくる。駅から別れ道までのこの約10分間は本来は尊にとって犀と話す貴重な時間だった。でも今日は何からどう話せばいいのか分からない。
いよいよ犀と別れるという場所に差し掛かって、ようやく尊は口を開いた。
「あのさ……」
「うん」
尊が立ち止まったのに合わせて犀も立ち止まる。犀が自転車のスタンドを立てる音を聞きながら、尊は自分の足元に視線を落とした。
「絵の中に俺への気持ちを込めてた、って言ってたけどさ……」
「うん」
「それって、いつから?」
「高校に入ってからだよ。あのコを描き始めてから」
「ま、じか……」
尊は額に手を当てて天を仰いだ。確かに犀が抽象的な絵を描き始めたのは高校に入ってからだ。かれこれ一年半もそんなことをしていたことになる。
「あのさ、犀。いつも絵に対する俺の感想聞いてて、伝わってない可能性は考えなかったの?」
犀の方へ顔を向けて訊ねると、犀は顎に手を当てて小首を傾げた。
「ん~。まぁ伝わってないのかなぁ、みたいな気はしてたけど。でも尊は気付いてても言わなそうだし、気付いてなくても僕が伝えたいだけだからいいやぁって」
あっけらかんとそう答える想い人を前に、尊は深い溜め息を吐いた。それからようやく顔を上げて、隣の曇りなき眼をジッと見据えた。
「犀、確かに俺はお前に『感情を絵にしろ』って言ったよ?けどな、あの頃はお互いまだ幼くて言葉を持って無かっただろう。だからああ言った。だけど、今はもう少し言葉を持ってるだろ?」
尊の言葉に犀はただ不思議そうに首を傾げた。
「要するに!下手でもいいから出来るだけ言葉で気持ちを教えてくれってこと!流石の俺でもお前の気持ち全部は分からないよ……」
自分で言いながら、尊はちょっと泣きたい気持ちになった。一方、それを聞いた犀はナルホド!と大きく頷いて嬉しそうに笑った。
「分かった!頑張ってみる。んー……えーっとね、好き。僕は尊が好きです!尊は?尊は僕のこと好き?」
「は?!不意打ちヤメロ!!」
先ほどの話の流れで分かってはいても、実際言葉にされると嬉しさと恥ずかしさで爆発しそうだった。尊は慌てて熱くなった顔を腕で隠したが、犀はその腕を掴んで顔を覗き込もうとしてきた。
「口で言えって言ったの尊じゃん!尊も教えてよ!」
尊より10センチ程背が低い犀は、尊の腕を掴んだまま視線を合わせようとしてピョンピョンと飛び跳ねた。
「あ~もう!好きだよ!好きに決まってんだろ!」
尊は出来るだけ小さな声で、けれどはっきりとそう叫んだ。
「ふふふっ。首まで真っ赤!尊カワイー。今までずっと格好いいと思ってたけど、こんなに可愛かったんだね!」
「ヤメロ!」
“可愛い”などと言われてますます顔が熱くなる。犀にそんな自分を見られたくなくて、慌てて犀の目を隠そうと両手を差し出したが、その手は犀の柔らかな手に絡め取られた。
「尊、僕ね、今なんだか凄く絵が描きたい気分になってきた!」
指を絡めた手を上下にブンブンと振って、犀が無邪気に笑った。尊はなすがままにされながら、どう足掻いても適わないなとうなだれた。
「はぁ。良かったな。俺はもう帰って寝る……」
「うん、描いたらまた見て感想聞かせてね~!」
そう言って犀は嬉しそうに手を振って、勢いよく自転車を漕いでいった。尊は完成したその絵をまともに見ることは出来ないだろうという予感を抱えて帰路についた。
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