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君を泳ぐ 3-2
時間は遡って、尊から犀にメールが届く少し前……。
「真山君、今日はこのまま帰るの?」
犀は教室で真野にそう話し掛けられた。
真野と話すようになったきっかけは“真野”と“真山”で名前順が前後だったという単純な理由だ。あまり会話が得意でない犀にも真野は他の人に接するのと変わらず話し掛けてくれるので、次第に犀からも彼に話し掛けるようになった。
そして犀があの黒い魚を描く為に、水の中や泳ぎのことなどを彼から聞くようになってからは、より気安く話す仲になっていた。
「うん、帰るよ。真野君も今日は部活無いの?」
「うん、試験休み。……でさ、駅まで一緒に帰らない?」
「駅まで?いいよ!」
尊以外の誰かと一緒に帰るなんて初めての経験だったから、一つ返事で犀は喜んで頷いた。真野はそれを見て少し頬を赤らめると、ホッとしたように笑った。
「あの……さ。ちょっと聞いて欲しいことがあるんだけど」
ジュースを1本おごるから飲み終わるまで話に付き合って欲しい、と真野に言われて犀は駅近くの公園のベンチに腰掛けた。
流石にこの暑さで、日差しを遮るもののない公園には人っ子一人いない。
「何?話って」
お互いにジュースを一口飲んだタイミングで、犀は横を向いて訊ねた。真野は俯きがちに座ったまま、こちらを見ようとはしなかった。
「っ、あの、迷惑……だとは思うんだけど、どうしても、伝えたくて……」
少し上擦った声で、真野がそう切り出した。
「迷惑……??」
思い当たる節が全く無い犀は、眉間に皺を寄せて耳が肩に付きそうな程首を傾げた。一方の真野は手に持ったペットボトルを一瞬強く握った後、一気にそれを煽った。そして空になったボトルをコンと甲高い音をさせながらベンチに置いて立ち上がった。
「真野……くん?」
一連の行動を犀はただ呆気に取られて見ていた。真野は両の拳を強く握りしめると、「ッシ!」と気合いを入れてから犀の方へクルリと向きを変えた。
「……俺……真山君が好きなんだ!」
「…………へっ?!え?!ぅええぇぇ?!」
脳の処理が追いつかず、犀は素っ頓狂な声を上げてうろたえた。その拍子に手に持ったペットボトルが滑り落ち、けたたましい音を上げて中身がこぼれ落ちた。
「ごごごこめん!!制服とか靴とか大丈夫?!これ!これで拭いて!」
「えっあっだ、大丈夫、大丈夫!」
真野は慌てて自身のポケットからタオルハンカチを取り出すと、犀の足元にしゃがんで汚れをサッと拭き取ってくれた。
「あ、ああありがと……」
犀がしどろもどろに礼を言うと、真野は深い溜め息を吐いて両手で頭を覆った。水泳で鍛えた大きな肩幅が、今は一回り小さく見えた。
「やっぱマジで迷惑だよな、こんな……ゴツくてムサい男から告白されたって」
ははは、と渇いた笑いが真野の口からこぼれた。
「気持ち悪かったら今後は俺のこと無視してくれていいから……でも、勝手だけどとにかく気持ちだけ伝えたくて……ごめん」
そう呟く声は、最後は消え入りそうな程小さく震えていた。
「ええと、その……」
ようやく頭で理解が追い付いて、犀は目の前にしゃがみこんでいる真野に声を掛けた。
「真野君は、僕が好き……なの?恋愛的?な、意味で?」
「うん……ホント、ごめん」
真野は一層俯いて、低く小さな声で答えた。
「え?何で?何で謝るの?」
「え、だって……」
真野は怯えたような表情でおずおずと顔を上げた。犀は彼と視線が合うと切なく笑った。
「謝らないで。僕は誰かに気持ちを伝えるって、本当に凄いことだと思うから。僕は言葉にするのが下手くそだし、いつも色んな人から『ちゃんと言え』って怒られる。……だから、言葉にして伝えてくれて、嬉しいよ。ありがとう」
その言葉を聞いた真野は安心したように短く息を吐いた。そしてゆっくり立ち上がると、犀の隣に座り直した。
「でも、どうして僕なんか……?」
真野が自分を好いてくれる理由が分からない、と犀は訊ねた。
「“なんか”って……」
真野が困ったように笑った。
「前からちょっと思ってたけど、真山君って自己評価低いよね」
「えっ?!そう??」
「真山君はよっぽどのことを誰かに言われたのかな?って話す度に思ってた。いつもどこかで自分を低く見てる感じがして、何でだろう?って」
「……そう、だったんだ……」
尊はともかくとして、真野がそんな風に思ってくれているなんて犀には予想外だった。幼い頃から自分が何か言う度に同級生の多くが困惑した表情を浮かべるので、犀はその度に自分が何か失敗したのだと思う癖が付いていた。真野と会話が続くのも、ただただ真野が優しいからだと思っていた。
「真山君は皆より興味の幅が広くて深いから、俺は話してていつも感心するんだ。なんでそんな風に物事が見れるんだろう、って。真山君と話をしてると自分が今まで考えたこともなかった事を考えたり、気が付いたり出来るなぁ、スゴイなぁってさ。真山君と話したおかげで、水泳の魅力や素晴らしさ?みたいなものに改めて気が付けたんだよ。……だから」
真野はそこで一旦言葉を切って、犀の方へ顔を向けた。
「ありがとう」
「えっうぇ?!いやいや!そんな、とんでもない……」
犀は嬉しさ半分、驚き半分で首を横に振った。真野は犀のそんな姿を愛おしげに見つめた後、一度目を閉じてから正面に向き直った。
「本当はさ、真山君が質問に来てくれるようになった頃……俺、水泳辞めたくなってたんだ」
「えっ……」
「あの頃、色々努力しても記録が伸びなくなっててさ。毎日叱られてばっかりで、部の雰囲気も悪くなる一方でさぁ……。もう辞めちゃおうかなって。でも、真山君と話してるうちに小さい頃の純粋に泳ぐのが楽しかった気持ちとか思い出して、また頑張ってみようって思えるようになったんだ」
真野は再び犀を見つめてニコリと笑ったが、一方の犀は真野の言葉にシュンとうなだれた。
「そうだったんだ……。ごめんね。僕、全然知らなかった。……また、無神経なことしちゃってたんだなぁ」
犀の返答に、真野の眉根が一気に寄った。
「はっ?!今の話聞いてた?!感謝してる、って話だっただろ?真山君がニコニコ笑いながら話を聞いてくれるのが嬉しくて、俺はそれに毎日すっごい元気もらってたんだよ!真山君があの時話し掛けてくれて、俺は本当に感謝してる!」
「え、あ……えと、えへへ……ありがと?」
犀はそんな風に誉められたのは初めてで、照れくさくて鼻の頭を掻いた。真野はみるみる真っ赤になって、苦渋の表情を浮かべながら両腕をもどかしそうにバタバタと動かした。
「だからっ!真山君は、話してると楽しくて!一つ一つの仕草や笑顔が可愛くて!……そういうところが、俺は好き……です!」
グッと目に力を込めてそう言われて、犀は真っ赤になって俯いた。
「あの……ホント、ありがとね……」
「じゃあ……あ、あの、もし良かったら俺と……」
「僕ね、小学生の頃からずっと好きだった人がいて」
犀は俯いたままで気が付かなかったが、犀のその言葉に真野の顔から一瞬で赤みが引いた。
「…………しょう、がくせい……から」
「うん。その人も、男で、真野君みたいにモテる人で」
「……うん」
「ちゃんと気持ちを伝える勇気も無かったんだけど、この前、本当にまだ信じられないんだけど、奇跡的に付き合えることになってね」
「……へぇ」
「でも、どこかでずっと自分でいいのかなって思ってたんだけど」
「……うん」
「真野君にそんな風に誉めてもらえて、ちょっと自信が持てた」
「そ……そっか。うん。ヨ……ヨカッタネ……」
「うん!ありがとう!」
満面の笑みを浮かべる犀に対し、真野は引きつりつつも精一杯の笑顔で答えた。
それから犀は反対の路線に乗る彼と「またね」と言って改札前で別れた。
しかし、一人になって尊に連絡を取ろうとスマホを取り出した瞬間、“自分は告白されたのだ”という実感がブワッと犀の全身を駆け巡った。
(え?……真野君が僕を好き?……好き??!!)
犀にはその後の記憶がない。気が付いたらいつもの待ち合わせ場所に立っていたのだった。
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