ドキドキ・アイドル握手会

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 緊張するが、手汗は厳禁だ。  俺はリュックからハンドタオルを引っ張り出し、両手を丁寧に拭った。じんわりと湿度の高い会場で、顔もじっとりと湿っている。そのまま乱暴に顔周りも拭く。  ホールにできた行列を、やっと半分ほどの位置まで進んできている。  あと一時間も待てば。  俺はぐっと、はやる気持ちを抑えて、リュックにタオルをしまった。  今日俺が来ているのは、大人気アイドル、針漬ミカルコの握手会イベントだ。  ずっと応援していた彼女、ミカルコ――通称ミッ子の初めての握手会、行かないという選択肢はなかった。  抽選で手に入れられるチケットのため、彼女が出しているCDを何枚も買った。  食費を犠牲にした。他のグッズも我慢した。友人との飲み会も――それは元々なかったけど。  ただ、今日のために服はおろし立てだ。  初めてミッ子に会うのだから、変な服は着ていけない。  自分の新品の服が、行列に並んでいる間に汚れいないか確認する。汗がしみこみ始めていて、シワもすこし目立った。生地が薄過ぎるように感じていたが、案の定だった。  だがもうどうすることもできない。  俺はできるだけ心を静め、ミッ子のことを考えた。  彼女の笑顔、歌声、そして、今日触れることになる白く小さな手のことを思い浮かべる。  針漬ミカルコは、東北のとある場所で細々と歴史に名を残してきた伝説の祈祷師一族の末裔――という設定を持ったアイドルだった。  巫子服とも、ゴスロリとも言えないファッションに、目の下の涙袋を強調したメイクで、病み系と言われるジャンルの外見をしている。  肌も驚くほど白く、黒い髪とのコントラストがとても特徴的だ。  ただし、正確は真逆。まさに天真爛漫で、いつも笑っている。  自分でふざけたことを言って、自分で笑う。  ちょっと暴走君に見えない言動だけれど、一度はまるとやみつきになってしまう。彼女を観ているだけで、元気になれるのだ。  ――ああ、ダメだ。胸の高鳴りが押さえられない。  あと数人、俺はもうすぐ彼女と握手ができる。  もう一度念のため、タオルで手汗を綺麗に拭った。  ミッ子に良い印象をもってもらいたい。清潔感のある男が一番モテるんだ。俺は、彼女に――。  そして、やっと俺の番になった。 「さあ、個室に入ってください」  係員の言葉に、俺は神妙に肯き、ゆっくりと部屋へ入った。慌てる必要はない。時間は一分もある。
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