こわいもの

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こわいもの

 私はそれがこわくてこわくて堪りませんでした。  台所の包丁。  それはきらりと妖しい光を放ち、静かに殺意を放っています。  むかしお母さんが包丁を持って料理していました。  お母さんは器用に肉を切り、野菜の皮を剥いでおいしい料理を私に作ってくれました。  料理は私に命をくれる物。包丁はそのための道具だったのです。  でもお母さんはその包丁で弟を殺しました。  私の目の前で殺しました。  それから包丁がこわくなりました。  包丁は命を奪う道具だったのです。  私に命をくれた道具が、命を奪ったのですから怖くもなります。  お母さんとはそれきり会っていません。  どうしてお母さんが弟を殺したのか未だに分りません。  もしかしたら包丁がお母さんを操ったのかもしれないなどと云う妄想を抱く事もありました。  でも包丁は道具ですから。幾ら鋭く研がれていようとも所詮は道具ですので、その様な機能はついてはおりません。  だというのに、どうして私は包丁がこわいのでしょう。  今日も包丁はキラリと光っています。ひとり寂しく光っています。  お母さん、お母さん。  どうか私をお救い下さい。あの妖しい光に吸い寄せられたら私はどうなってしまうのか分りません。  あの鋭い切っ先で、肉を突くとどうなるのか。あの研がれた刃で肌を切り裂くとどうなるのか。 想像するだけでゾッとするのです。  あのあのしたたりおちる血の滴と開かれた肉の断面を思い出すと、お腹が空いてしまうのです。  ああ、お母さんお助け下さい。  そうでないと私はきっと、命を頂いてしまいます。
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