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「世界中のどこも雨が降らない日、というのはあり得ないそうですよ」  赤信号の灯る横断歩道を見つめながら、彼は私に傘を差してくれる。理由は明快。今日も私が傘を差していなかったからだ。  彼も諦めたのか、それとも慣れたのか、今日は私の右手の畳まれたビニール傘について言及しなかった。 「地球から雲が無くなることがないからだそうです。雲が少なくなれば太陽の当たる面が増えて、温められた海面からまた雲ができるらしくて。地球のどこかでは、必ず雨が降る」 「みんな晴れが好きなのに、うまくいかないね」 「この世はうまくいかないことばかりですよね」  本当にそうなのだろう。私が今日も赤信号に捕まってしまったように、自分が思っているよりもうまくいかないことは多い。 「だから僕は雨の日が好きなんですよ」  そんなことを言うので、私は彼の横顔をまじまじと見てしまう。 「え、晴れが嫌いなの?」 「いやそうじゃないんです。僕だって人並みに晴れてるほうが気持ちいいとは思いますよ」  気分も晴れ晴れしますし、と彼は文字通りのことを言った。風が吹いて、雨粒がいくつか傘の下に侵入する。 「僕の上に雨が降れば、誰かの上は晴れてるかもしれないから」  風が強く吹く。ぱたぱた、と傘を叩く音がした。 「自己犠牲が過ぎない?」 「そんなことないですよ。これでも結構気楽に生きてます」 「でも私は」  喉の奥に少しだけひっかかっていた言葉を私はなんとか押し出す。 「君の空も晴れてほしいよ」  彼は驚いたように目を開けてこちらを見た。  はじめて、目が合う。  信号機の光とか、街灯とか、車のライトとか、月明かりとか、薄闇に散らばるたくさんの光を集めてぎゅっと詰め込んだように彼の瞳は煌めいていた。 「……晴れてますよ」  一瞬のようにも長い時間のようにも思えた沈黙ののちに彼は言った。  そして、視線が外れる。  彼の横顔の色が変わっていて、私は信号が青になったことを知った。 「じゃあ行きましょうか」  短く言って彼は歩き出す。夜と同じ色のジャケットを羽織った背中を私は見送る。  青信号が点滅を始めた。もしも、と脳裏によぎる。  もしもこの信号を渡らなかったら、彼は戻ってきてくれるのかな。  ふと額に冷たい雨粒が当たって、泡のような思考もろとも弾ける。ふっと私は苦笑した。  馬鹿だなあ。そんなの駄目に決まってんじゃん。  晴れた信号が再び陰る前に、私は駆けだした。
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