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6
「そんなに曇った顔で言われても」
今にも降り出しそうですよ。
そう口にしたかと思えば、彼は開いていた傘を閉じた。そして空を見上げて「ああ、雨だ」と棒読みの台詞を口にする。
「え、何してるの」
「そろそろ僕のビニール傘も日本刀に憧れる年頃でして」
「意味わかんない」
「だから今度は」
白線のような雨に降られながら、私の台詞を遮るように彼は言った。
「あなたが僕の空を晴れさせてください」
青信号が点滅を始める。
彼の言葉の意味はすぐに分かったけれど、身体が動くには少しだけ時間がかかった。
私はなんとか腕を伸ばして、頭ひとつ大きい彼に傘を差す。
「……いや、これじゃいつもと一緒じゃん。肩濡れてるし」
「肩というか全身濡れましたね。まあでもいいじゃないですか」
「何がいいのよ」
「言いませんでしたか?」
信号が赤に変わる。
彼はこちらを向いた。目が合う。彼の瞳の中の無数の光が私に刺さる。
熱い。
「僕は、雨の日が好きなんです」
それから彼はにやりと意地悪そうに笑った。
「びしょ濡れで意地っ張りの変な人が信号待ちしてるので」
自分の中の温度が一気に上がる。
……信号、まだ変わらないで。
何も考えられない頭の中で私はそれだけを必死に願った。
もう少しだけ、私の顔色がバレないように。
「……ねえ」
「なんでしょう」
「名前、なんていうの?」
私が尋ねると、また彼は瞳を細めて笑った。
見えてるのかわからないくらいの目蓋の曲線は空に架かる虹みたいだ。
「確かに自己紹介から始めなきゃですね。それから、色々話をしませんか。お誂え向きに今週はずっと雨だそうですよ」
ひとつの透明な傘の下で、私たち二人は自然と目を合わせた。
ぱたぱた、と雨の音が聞こえる。
「今日も明日も明後日も、いつも通り」
彼の前髪から一滴だけ雨が降る。
「──赤信号が晴れるまで」
(了)
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