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俺が人類を『消した』。そんな途方もない話、あるはずがない。
俺はふとスマホを取り出し、メッセージアプリを開いた。だが、そこにあるはずの名前がない。
「母さんは……?」
「いないよ。だって消したんだから」
当然だろうと、男は言いたげだ。
男を否定したくて、電話番号も、写真も、フリーメールも、ありとあらゆる繋がりを探った。あらゆる人間の存在を求めて全部漁った。
だけど、ない。どこにも誰もいない。風景や物が写っているばかりで、人間はいない。
まるでその存在だけ丁寧に消し去ったかのように。いや『まるで』じゃない、そうしたんだ。俺が消し去った。時間をかけて、丹念に、隅から隅まで、その存在を綺麗に消し去った。記憶に新しいことだ。
「後悔しているのかい?」
優しい声音だった。だが、俺は頷く気力すらなかった。呆然とする俺に、男はため息をついていた。
「だから確認したのに。『出来るのか』って」
確かに訊かれた。だがそれは技術的な意味だと思っていた。このシステムの秘密も、これまでやって来たことが何を指すのかも、何一つ知らなかった。
逆に、この男は何もかもを理解した上で、俺に世界を動かすよう言った。
俺の瞳に疑惑の色が濃く浮かんだのを見たのか、男は頷いた。
「君のおかげで余裕が出来たからね。質問に答えてあげよう」
その余裕ぶった顔に、憤りの代わりに、胸の内に湧いた言葉をぶつけた。
「あんたは……いったい何なんだ?」
何者とは問わなかった俺を、男は興味深いといった笑みで見つめた。
「僕はこの世界を作ったモノ。君たちならば、きっと『神』と呼んだだろうね」
「何で俺と同じ人間なんだ」
「君に仕事を頼みたいからこの容姿を見せているだけ。形などないさ。本来なら君にもね」
その言葉で、うっすら抱いていた疑問が、ようやく形を成してきた。これもまた訊きたくなかったが、俺の疑問を止める者などいなかった。
「人間を消したなら、何で俺はいるんだ」
「だって君はもう死んだから。人間でも何でもない存在……いや、かろうじて人間だった存在かな」
「じゃあ何でこんなモノ作った? 人間は『バグ』だって言ったな。『バグ』が作ったもので『バグ』を消させるなんて、おかしいだろ……!」
「これまでのやり方は効率が悪くてね。人間が作ったものの中で使い勝手が良さそうだから真似てみたんだよ。ほんの少し人間に混ざって『研修』なんてものも受けてみてね。ただいくら僕であっても付け焼き刃はいけないね。全然上手くいかないから、君の力を借りることにしたよ」
「何で俺なんだ……!」
「だって約束しただろう」
「は?」
思わず尖った声を向けた俺に、男は構わず近づき、そして肩を組んだ。
「何だよ、いきなり?」
「『いつか世界を動かすシステムを作ってやろう』……そう言ったよね」
その腕を振り払おうとして、思い出した。そんな言葉を交わした相手がいた。
「お前……」
「思い出してくれたようで嬉しいよ」
男が俺に向けた無邪気な顔。それは確かに、以前に大言壮語を語り合った人物のものだ。
その人物は俺と同じ新入社員で、一緒に研修を受け、気付けばいつの間にか姿を消していた。
「僕と違って順調にスキルを上げていく君を、尊敬していたよ」
「じゃあ、あの事故はお前が仕組んだのか?」
「まさか。あの日、あの時間に、君が暴走車に巻き込まれるという事象は予測可能だったけどね」
予測は可能。だけど変更はしない。そして測定値が危険域を犯さない限り監視を続ける。
それが、この男。
あの時俺が死んだことも、その後ここに呼ばれたことも、それで芋づる式に起こった現象も、すべてこの男の予測の範疇だった。
自分の身に、いやすべての人に起こったことを思った瞬間、脳裏にまたあの言葉が浮かんだ。
「『神はサイコロを振らない』……か」
それを聞いた男は、小さく笑った。
「心外だな。振りたくなる時もあるさ。あまりにも色々な事象が同時多発した時なんか、特にね」
「だが、振ったことはないんだろ」
男は答えずに、微笑んだ。それが答えだ。
だからこそ、一つの確証を得た。
「だったら、元に戻す方法も何かあるんだろ」
「……ある。だけど、しない。だってまた、あのエラーの嵐に追い立てられるのはご免だからね」
答える気はないらしい。ならばと、俺は管理パネルを隅から隅まで見回した。
「言っておくが、バックアップデータからの復元は許可しない」
「わかってる。だがバックアップを参考にするくらいはいいだろ」
俺の言葉に、男は初めて怪訝な顔を見せた。だが俺のやることを止める気配はない。
ならば、好きなようにやる。落とし前をつけるために……!
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